2005.11.04

心の中まで資本主義──阪神球団上場とファンの猛反発

村上ファンドの阪神上場案は激しい反発にあって
前途多難だが、こうした株のありようは、
ネット時代のこれからを指し示してもいる。

●タイガース株上場のファン投票は無理?

 いまや日本を代表しつつある新興企業のトップにして、かの六本木ヒルズの住人たちのことをこういうのは何だけど、村上ファンドの村上世彰氏や楽天の三木谷氏、あるいはライブドアの堀江氏などを見ていると、小学校のときのクラスに何だかこんなやつがいたっけ、とどこか懐かしい感じもしてくるが、個性の強さがそう思わせるのだろう。小学校のクラスには、ワンパク秀才君がいたし、ソツがなくて大人の受けのいい子どももいた。また村上氏のように、頭がよくて何かと理屈を言うんだけど、なんとなくクラスから浮いている、というのもいた。
 よりにもよって阪神のリーグ優勝間近に、親会社の株を大量に買って上場をせまり、熱狂的なファンを逆上させる‥‥なんて、たとえお金があったとしても、誰でもやれることじゃない。株の大量買収がばれにくいこの時期にやる必要はあったのだろうが、熱狂的な虎ファンからすれば、「優勝の熱をさますようなことをするとは、いかにもムードが読めないやつ」ということになる。
 もっとも、ご本人は、毎日楽しくてしようがなさそうだ。ひところ連日のようにテレビに登場していたが、日に日にテンションがあがっていくのがはた目にもわかった。こんなに反撃をくらえば、ふつうなら落ちこむが、このへんの神経がそもそも並みじゃない。
 村上氏は、タイガースの株を上場するかどうかをファンに聞いて、反対が多ければやめてもいい、と言っているようだが、この話を聞いて、2号前に書いた「ネット調査は回答者の代表性に疑問がある」という話を思い出した。回答者が調査対象者全体を代表していなければ、その調査結果は信用できない。阪神上場をめぐって行なわれるのは調査ではなくて投票といった性格のものだろうが、自称ファンに投票権があるということなら、実質的には誰でも投票できることになる。世論調査の国際学会がまとめた「世論調査ガイドライン」は、インターネット投票について、「こうした調査票をサイトで見つける確率が最も高いヘビー・ユーザーを過剰に代表することはほぼ確実」と言っている。郵便での投票を認めるとしても、ネット投票と併用するならば、容易に投票できるネット利用者のウェイトが重くなるのは避けられない。投票結果の妥当性には疑問がある。
 タイガース株上場の提案に対して「ファンは怒っているぞ!」という気配が濃厚だけど、ライブドアがサイトでやったアンケートでは、73パーセントが上場に賛成。これはライブドアのIDがあれば誰でも登録できる典型的な公開型のアンケートで、回答者の代表性が確保されていない。調査ではなく、あくまで「アンケート」なわけだ。
 日経新聞も、調査会社を通じて調べている。さすがに大手新聞社が「ネット調査」と銘打っているので、代表性に配慮はしているだろう。調査方法の詳細は書かれていないが、回答者は男女同数の515名とのことだから、やはり代表性は考えて選んでいると思われる。この調査の結果は、上場賛成が29パーセント、反対が24パーセント。「どちらとも言えない」が43パーセント。もっともこの調査も、阪神ファンを対象としたものではない。阪神ファンを選び出すためには、どこの球団を応援しているかをまず尋ねなければならない。そうすると、これぐらいの回答者ではたりず、もっと大規模な調査が必要になってくる。
 もうひとつ関西地区在住者を対象にやったヤフー・リサーチの調査も発表されている。これは、72パーセントが上場反対。
 案の定やり方によって調査結果はまちまちだ。

●インターネット資本主義の宿命

 タイガースの株上場についての村上氏の提案でとくに興味を惹かれたのは、阪神球団を上場したら1口5000円、あるいはもっと安くして、ファンが気軽に株を買えるようにする、と言ったことだ。ファンは、ただ応援するのではなくて、株を買って経済的に支援し、勝てば経済的なリターンを得られる。そうすれば、いままでよりももっと球団と一体化できる、という主張だった。
 それにたいするファンの反応がまた興味深い。経済が専門の大学教授まで、「何を言ってやがる」とばかりにムキになって怒っていた。たとえば、新聞に載ったある大学教授の署名記事のタイトルは「心の誇りに札束そぐわぬ」。阪神ファンはタイガースを「無償の愛」で支えているのに、お金の話をからませるなんてトンでもない、と猛反発している。
 阪神も含めて球団は親会社の広告塔の役割を果たしているわけで、もとよりお金と無縁の存在ではありえない。ただファンは、気晴らしか人生を賭けているのかは人それぞれだろうけれど、お金の話と無縁に応援している、ということだろう。けれども、株とか証券というものの性格は、いまどんどん変わろうとしている。「好きなもの」に投資することが行なわれるようになってきている。
 その対象は、音楽だったり、映画だったり、ゲームだったり、本だったり、あるいはアイドルだったりする。多額の資金が必要なエンターテイメント・ソフトの出資者はこれまでは企業ばかりだった。けれども、ネットを使えば、少額の投資を多数集められる。たんに「好き」で終わらせず、それを生み出すためにお金を出して応援し、場合によってはその内容に口を出し、できあがったら、それを宣伝することまで個人が参加できる仕組みがすでに整いつつある。これまでのように、完成したコンテンツを購入し自宅に持って帰って楽しむだけ、あるいはコンサートや試合で熱狂してそれで終わり、ではなくて、コンテンツの企画から完成後まで息長く付き合うことができ、またそうした関わりが求められてもいる。誰もが少しだけプロデューサーになることが可能であり必要でもある時代がやってきつつある。
 そうすることで株というものの性格も、ソフトのありようもともに変わっていく。これまではソフトができてからしか消費者の反応がわからないので、売れそうなものしか作りにくかった。しかし、制作の過程で消費者が投資家となって加わるようになれば、それは変わっていくはずだ。そして、投資であれば当然ながらファンにも経済的なリターンがある。コンテンツやソフトの消費ではなく投資へと、関わり方を変える方向に、ゆっくりと、しかし着実に向かっていくだろう。
 スポーツチームについても、ファンが株主になれば、「経営陣がバカだから」などと文句を言っているばかりでなくて、誰もが少しだけ経営者となり、チームの方向性にかかわることができる。
 先の大学教授は、別の新聞で、「お父さん、巨人に勝ったから株が上がるね」などと子どもが言うようになるのは教育上問題だと言っていたが、むしろ逆だろう。経済学者だったら、身近なもので株というものを理解する格好の教材になる、と考えるべきではないか。
 村上氏もまたそうしたことを言いたいのかもしれない。しかし村上氏は、自分が儲けたいために言っている、と見られてしまった。株で儲けるのが村上氏の仕事なのだから、そう思われても仕方がないし、実際、「儲けたいため」ではあるのだろう。
 村上氏の言動に対する好き嫌いはともかく、多くの人が投資という形で少しずつコンテンツやソフト(あるいは球団などスポーツチーム)を支える時代はやってくるだろう。ネットは直接民主主義的な仕組みであると同時に、広く少額の資金を集められる直接金融のプラットホームでもある。株とかオークションの仕組みは、もっと広くさまざまな局面で使われるようになり、これまで以上に重要なものになっていくはずだ。それがいいことか悪いことかはわからない。皮肉な言い方をすれば、心の領域まで資本主義化されていく。しかし、それが、インターネット資本主義の宿命だろう。

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 楽天とTBSの統合は、TBSが前向きにならなければかなりむずかしそうだ。またたとえ統合しても、楽天とTBS双方が球団を持つことはできない以上、どちらかが手放さなければならない。TBSが球団を手放す気になってくれるというのは少々虫のいい期待ではなかろうか。楽天には、いったいどんな成算があったのか、ほんとに不思議。

関連サイト
●阪神タイガース公式サイトの「球団の基本姿勢」(http://www.hanshintigers.jp/team/company/index.html)。「球団のあるべき姿」のひとつとして「映像・音声などの情報ビジネスやキャラクター商品の販売などの関連事業を展開します」と書かれている。「無償の愛」だけで球団運営をしているわけではないとはいっても、上場もしていないのに、「球団のあるべき姿勢」として、サイトにこうしたことが書かれているのは意外。
●通称・村上ファンド、M&Aコンサルティング(http://www.maconsulting.co.jp/page_j/index.html)。通常は個別の案件に言及しないが、問い合わせが多いので、阪神電鉄の件については説明する、とのことで、プレスリリースがいくつも出ている。
●ライブドアのスポーツ世論調査「阪神タイガースの株式上場に賛成?反対?」(http://sports.livedoor.com/question/list?id=52)。賛成72パーセント、反対26パーセント。楽天のTBS株については、「TBSから手を引く」という人が41パーセントでトップ。

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2004.08.24

コンテンツ・デジタル証券による消費革命の提案(さしあたり一番まとまっている・・・・はず)

インターネットにふさわしいコンテンツ流通とはどのようなものか。
未来のシステムを探る。
(一部「エコノミスト」誌2004年8月24日号掲載)

●価値が変化する著作物は投資対象にふさわしい

 お金を貯めるには、負債を減らして投資を増やすのがセオリーらしい。また、政府やエコノミストたちも、人々がリスクをとって投資するようになるにはどうしたらいいかなどと議論している。「投資を増やせ」というのが経済発展のための合い言葉のようだが、誰も彼もがよく知らない会社に投資するというのはちょっと考えられないのではないか。不動産への投資も、自分の住む家ぐらいは買うとしても、それ以上はなかなか踏み切れない。けれども、ことさらに構えなくても投資の増える方法がじつはあるのではないか、とこのところ思いはじめている。身近で親近感がわき、さらにこれまでは払い捨てにしていた支払いが投資として扱われ、いずれ何倍にもなって返ってくる可能性があるとしたら? そのときは人々はもっと投資にお金をまわすはずだ。投資をすることが個人にとっても社会にとっても望ましいのだとしたら、それは好ましい変化ということになる。
 これまで投資として扱われなかったけれども投資として扱われる可能性があるものは何か。それは新たな価値を生むものだ。いうまでもなく、会社も不動産も利益が出たり価値が上がりうるから証券化されている。著作物もまた将来的に利益を生み価値が上がる可能性がある。実際、コンテンツ制作のための証券化の試みは次々と行なわれ、ちょっとしたブームになっている。映画、音楽CD、本、ゲームソフト、さらにはアイドル育成までさまざまなコンテンツ制作のためのファンドが作られ、資金の募集が行なわれている。
 これらのファンドは制作のための資金集めだから、作品が世に出る前にお金を集めなければならない。企画書やサンプルなどで出来上がりを推測して出資することになる。そうした条件で資金を出す人は、内容をよく知っている企業や投資のプロであることがほとんどだ。ごくふつうの消費者が気軽にお金を出すといったことはなかなか起きない。ゲームや音楽などは玄人はだしの知識を持った消費者がいるし、またネットやケータイで人気が出て単行本化される小説などはシロウトが第一発見者のわけだが、彼らが投資をする側にまわることはこれまでめったになかった(1)。投資家と消費者は別の役割の人間と考えられている。しかし、もしすでに作品が完成していて誰もがネットで簡単に見聴きでき、著作物を購入する感覚で投資できるようになっていたらどうだろうか。その場合は、もっと容易に消費者が投資家になるのではないか。私は金融の世界についてはまったくの素人だが、知的財産の証券化に注目が集まっているにもかかわらず、こうしたことはまだほとんど考えられていないようなので、とりあえず概略を紹介してみたい。

●デジタル証券マーケット(2)

 パソコンの普及によって誰もが簡単に作品を作れ、ウェッブの誕生で誰もが簡単に公開できるようになった。膨大な創作者が現われ、さらにそれを批評し、ウェブで自分の意見を発信する膨大な「批評家」も現われている。しかし、それらの人々はお金とは無縁である。もちろん無償の行為として作品を創り評価する人々がいてこそインターネットは活性化しているわけで、その特質を失うことには大きなデメリットもまた生じうる。しかし、出現した膨大な創作者や批評家をコンテンツ・ビジネスの世界に組みこむことができたとき、コンテンツの世界にとどまらず、経済や社会全般に大きな変化が起こることは確かだろう。
 著作物は、人気が出れば劇的に価値が上がりうる。本来はふつうの商品のようにコストによって価値を決定すべきものではない。また、どんな創作者にとってもまず必要なのは最初に制作資金を出してくれる存在だ。そうしたことを考えれば、制作者にとっても消費者にとっても、購入ではなく、これから書くような投資という形で制作を支えるほうがふさわしく、また社会全体にとってもメリットが大きいように思われる。
 実際のところそうした仕組みを作るのは技術的にはそう難しくはないはずだ。個人が作品を創って発表することはすでにできるようになっているのだから、かなりの部分はすでにできているといってもいい。欠けているのは、マンガや音楽、映像、小説などネットで公開されている作品が気に入ったら簡単に投資できる仕組みである。
 投資というわけではないが、その一歩前のような構想はすでに生まれている。たとえば文化庁は昨年度「バーチャル著作物マーケット」の実証実験を行ない報告書にまとめている。このマーケットでは、著作物の創作者と利用者がネットで連絡をとりあって契約書を作成し、コンテンツを再利用することをめざしている。これはお金を払って作品を利用するふつうの市場のシステムだが、こうしたマーケットをデジタル証券市場にすることはできるだろう。マーケットに登録された作品を見たうえで、投資希望者はネット証券で株を買うのと同様にデジタル証券を購入する。創作者個人のホームページからもこのマーケットにリンクを張り、各サイトで作品を見聴きして気に入った人がリンクをクリックして簡単に投資できる仕組みも作れるはずだ。投資は、創作者の戦略とコンテンツの性格によって作品にしてもいいし、アーティストにしてもいい。
 問題は、そうやって発行したデジタル証券の価値をいかに高めるかだ。
 いまのコンテンツ証券は転売市場が未整備だが、デジタル証券を成り立たせるためにも転売市場は必須である。こうした市場があれば、デジタル証券をほしい人の増加によって売買価格が上昇しうる。あらゆるコンテンツについてそれは共通だが、そこから先はコンテンツの性格によって異なってくる。
 アナログとデジタル双方にわたるコンテンツの場合は、アナログをデジタル証券の価値の裏付けに使う。たとえば音楽なら、デジタル証券を、各ツアーごとに一回コンサートを見に行ける定期券などといった形で発売する。ネットではコピーフリーで誰でも無料で聞けるが、コンサートはデジタル証券を買った人しか行けない。新人のうちはタダ同然でデジタル証券を購入できるが、人気が出てくれば高値になる。ただし、人気が出れば広いコンサート会場で公演できるから、証券の発行枚数を増やすことはできる。その場合は「株式を分割する」と宣言し、分割によって増えた分をデジタル証券市場に出す原則で、すでに証券を買っている人すべてに利益が渡るようにする。証券発行側(制作サイド)は、証券価値が暴落しないように勘案しながら少しずつ発行枚数を増やしていき、証券の一部をキープしている制作者と投資家の利益を確保していく。証券を持っている人は自分でコンサートに行ってもいいし、チケット販売会社に委託して一回分のコンサート・チケットをオークション方式で売って利ざや(一種の配当)を得てもいい。もちろんミュージシャンは永遠に活動を続けるわけではない。しかし、ビートルズや山口百恵、あるいは尾崎豊などの例でもわかるように、解散や引退、死亡によって人気がなくなるとは限らない。デジタル証券を持っている人しか手に入らないアイテムを発行するなどの形で、デジタル証券の価値を落とさないように工夫することはできるだろう。
 本の場合もこうした方式が可能だ。ネットで発表した作品を見て気に入ったら投資希望者は投資額を供託する。一定数集まったら出版される。たとえばデジタル証券一口千円で二千口売れれば、千円の本を五千部作る原価ぐらいの額になる。そこまで集まらなくても、出版後の売れ行きが見込めれば本にできる。出版して売れたらもちろん配当する。出版の費用を捻出するために投資を募るコンテンツ・ファンドはすでにあるが、紙の本を入手する権利としてデジタル証券を発行する。つまり、デジタル証券がないと紙の本は手に入らないことにする。
 一方、書店では、発行されるにいたった紙の本はこれまで同様ふつうに買うことができる。ただし、購入者は自動的にデジタル証券を一口買ったこととして登録される。これは、バーコードや財布代わりになるケータイ、あるいは広まりつつあるICタグを使ってもいい。ピッとやると、誰がどの本を買った(つまりどのデジタル証券を買った)かが自動登録される(本の場合はとくにプライバシーに関わるので、登録されるのはいやだという人が拒否できるようにすることは必要かもしれない)。デジタル証券は、本の印刷部数以上は発行しない。つまりデジタル証券の価値を紙の本で担保する。本の売れ残りが少なくなってきたら「株式分割」をして、分割によって増えた分をデジタル証券市場に出し、その株数分だけ増刷できる。1.2口とか1.5口とか細かく分割してもいい。増刷スピードより本をほしい人が多ければ、当然ながら、デジタル証券の価値が上がって証券の持ち主は儲かる。そうではなく、どんどん増刷されてもその分「株式分割」されるわけだからやっぱり儲かる。重版以後は本の値段は一定ではなく、ほぼリアルタイムでデジタル証券の価格にスライドさせる。そのためにはやはり本にICタグを貼り付けたりして、デジタル・ネットワークに接続できるようにする必要がある。
 デジタルとアナログにわたるものはこのような形をとれるが、デジタルで完結しているものの場合には、デジタル証券の価値の裏付けのためにもう少し仕掛けが必要だろう。たとえば、一定期間はコピーフリーで視聴できるが、その後はデジタル証券の購入によって暗号鍵を手に入れなければ視聴できないといった形にする方法が考えられる。
 ややこしく感じられるかもしれないが、書店ではこれまでと同じく本を買うことができるし、デジタル証券の購入者は、ネット証券で株を買うのと同じことをするだけだ。いまは払い捨てでお金を払ってコンテンツを購入している。それと同じく本を読み、コンサートに行って楽しめる。自分の好きな音楽やテキスト、映像作品にお金を払い、人気が出てくれば儲かる。将来儲からなくてもいまと同じくコンテンツを楽しめるわけで、いまと比較してことさら損した気分はしないはずだ。
 コンテンツ制作者のほうも、証券の専門家の何らかのサポートは必要になるだろうが、基本的には、コンサートの入りや本の売れ具合を見て発行数を調整するというこれまでやってきたことをやればいい(本を作りすぎたり広すぎる会場でコンサートをやってしまうリスクはいま同様あるが、そのリスクは投資家にある程度、分散される)。
 こうした仕組みを作れるのは誰だろうか。ネット証券はもちろん、プロバイダーやポータルサイト(とくにオークション・サイト)や携帯電話会社など、認証や課金の仕組みをすでに持っているところならば技術的にはそう難しくなく始められるはずだ。インターネットが社会の中心的なメディアになっていく時代には、ネット証券などの投資の仕組みやオークションはたんなるネットの一サービス以上のコンテンツ流通の核になる役割を担っていく可能性があると思う。

●消費行為の変化がもたらすもの

 デジタル技術の特徴は、きわめて安いコストでコピーできることにある。しかし、お金をとるためには著作権保護技術などを使ってガードを堅めなければならない。コンテンツの供給サイドにしてみれば仕方のないことだろうが、利用者の利便性にとっては妨げだ。デジタル技術の可能性に制約を加えるのではなく、その特徴を活かす方向で制度設計を考えるべきだろう。このデジタル証券の場合は出資者を集めなければならないのだから、作品を見聴きするのは有料などというのはもってのほか。投資を募るために、作品を気に入った人はどんどんコピーして自分のサイトに載せたりファイル交換ソフトも使って配布してもらう。作品を広め宣伝してくれたほうがありがたい。デジタル複製技術の可能性を最大限活かす方向へのインセンティヴが働く。
 実際のところ、いまのコンテンツ市場で制作の見返りを得られている著作権者がいきなりこうしたシステムに参入することは考えにくい。しかし、さしあたり報酬を得られるあてのないアーティストたちには抵抗が少ないはずだ。ポータルサイトなどが抱えている利用者に対するサービスのひとつとしてこうした仕組みを取り入れていくといったことから始めるのが妥当のように思われる。
「コミケット」と呼ばれるマンガ同人誌のフリーマーケットなどはどんどん大きくなって多くの若者を惹きつけており、アマチュアの作品だから売買が活性化しないとは限らない。実際のところ、出版業界も音楽業界も売り上げが減り、新人はますますデビューしにくくなっている。人気のある作家やミュージシャンにリソースが集中する傾向が強くなっているが、このデジタル証券では新人に投資したほうが利幅は大きい。新人発掘にもっと熱心になることが考えられる。プロデュースする人々だけでなく、投資家となる消費者もそう考えるはずだ。新しい作品の価値を人より先に見抜く批評眼を磨く方向にインセンティヴが働く。
 お金を払って手に入れてコンテンツとの経済的関わりが終わりというわけではないので、人々のコンテンツとの関わりはいまよりずっと濃密なものになる。デジタル証券購入者は、コンテンツの人気が出たほうが儲かるので、ウェブ等、個人に可能な方法でそのよさを積極的に語る宣伝係の役割も担うようになるだろう。その結果、コンテンツ供給サイドにとってコストの大きな部分を占める販売促進活動を個人が肩代わりしてくれることが期待できる。インターネットというメディアの性格に沿って、コンテンツ流通において個人はいまよりずっと重要な地位を占めるようになるだろう。
 すべての創造行為は模倣【ルビ:コピー】から始まると言われているが、すでにある創作物を利用し新たな創作活動を生んでいく好循環を作り出すためにも、著作物のデジタル・コピーを解放していくこうした投資モデルは有用なのではないか。「お金を払ってものを手に入れて終わり」という現在の消費行為とは異質だし、いまのコンテンツ証券のように制作資金集めのための制作サイドからの発想というより、「投資を消費の代替手段にする」という消費者サイドからのアイデアで、突飛なものに思われるかもしれないが、インターネットの時代にふさわしいのはこうした投資モデルではないだろうか。

(1) たとえば音楽コンテンツの証券化をしている ミュージックセキュリティーズなどは試聴させて投資を募っており、投資額も個人が可能な範囲で近いモデルだが、いうまでもなくここで書いたような「消費の代わりに投資する」という性格のものではない。
(2) デジタル証券のアイデアは、ファイル交換ソフトWinnyの作者の「デジタル証券によるコンテンツ流通システム」と題された文章から着想を得た。

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2004.07.02

誰もが芸術のパトロンに――インターネットで社会は変わるか?(2番目に書いたもの──本のモデル)

●社会の変化とわれわれの意識

 私に与えられたもともとのテーマは、「インターネットで人間の意識は変わるか」というものだった。

 『インターネットは未来を変えるか?』とか『本の未来はどうなるか』といった本を出しているので、本誌の編集の方が、「それでは」と考えられたのだろう。たしかにインターネットによって人間の意識は変わっているようでもあり、また変わっていないようでもある。目下、脳科学者の茂木健一郎さんにインタヴューして6月末に出す『脳のなかの小さな神々』という本の作業をしているが、茂木さんの話によれば、脳の基本的な構造は人間以前の生物と変わっていないところが多いそうである。たとえば、言語などといういかにも人間にしかないように思われる能力についても、そのもとになる中枢神経の働きは昆虫などにも見られ、以前からあるそうした働きの上に成立したという説もあるそうだ。こうした見方にしたがえば、脳の構造に支えられている意識はなかなか変わらないことになる。
 もっとも、脳の基本的な枠組みは変化しにくいとしても、その脳に浮かぶさまざまな思いはつねに変化し続けているわけだし、社会がわれわれに与えている意識の枠組みも変わっている。社会が変化してわれわれの意識が変わるということもあるだろうし、またわれわれの意識が変わらなければ変わらない社会制度もある。これから書こうとしているのは、このどちらについても言えることである。というよりも、あらかじめがっかりするような結論を言ってしまえば(いちばんがっかりしているのは、あれこれ考えをめぐらせている私だが)、どちらも変わりそうにないので実現の見こみはほとんどない。空想的とも言えるし、机上のプランにすぎないとも言える。それでも、やはり書いておこうと思うし、これから先ももう少し考えてできれば本にまとめられるぐらいの状態にまで持っていきたいと思っているのは、こうした考え方の中に、インターネット時代にふさわしい著作物の扱われ方の雛形があるような気がするからだ。

●本が証券になる?

 前置きが長くなったが、この発想の源にあるのは、次のようなことだ。
 インターネット、とくにウェッブは情報の共有を可能にしたと言われる。たしかにウェッブには、以前は考えられなかったぐらいの情報があり、簡単に手に入れることができる。とはいえ、障碍もまた多い。たとえば著作権もそのひとつだ。著作権を持っている人間は、その作品をどのような条件で見せるか、また再利用や編集にあたってどうするかを決められる。情報の自由な利用のためには障碍ではあるけれど、だからといって「著作権なんてなくしちゃえ」という話にはもちろんならない。法律の問題以前に、創作者が(金銭的)見返りを得られなければ創作活動が促進されなくなる心配があるからだ。テキストや映像、音楽を作っている人の多くはお金儲け(だけ)が目的というわけではなくて、創作することが好きで、できれば多くの人に見てもらいたいと思っているはずだ。ただ、生活できなくなってしまったら困る、人々に喜びを与えたぶんだけの見返りはほしい、と考える。ではもし見返りを得られて、誰にでも作品を見てもらうことができたら?
 そんなことはありえない、というのが常識的な考えだろう。しかし、そうした方法はありうるのではないかとこのところ考え始めた。そして、あれこれ考えているうちに、そこにはたんに、「創作者が経済的見返りを得られて作品をただで見せられる」以上の大きな社会的メリットがあることに気がついた。
 本はお金を払って、購入する。払ってしまえば、そのお金は戻ってこない。これは誰しも当たり前のことだと思っているが、じつは払ったお金の何倍にもなって戻ってくることはありうるのだ。
 ますますウソっぽい話になってきたと思われるかもしれない。でも、投資というのはじつはそうだ。たとえば株券を買うことを考えよう(あまりにリスクが高くて投資とは言えないらしいが、馬券を買うのでもいい)。株券や馬券は買ったら戻ってはこないとはふつう考えない。(馬券の場合は考えたくないわけだが、)増えて戻ってくると信じて買う。
 本の場合と、株券や馬券の場合はどこが違うのか。違いは、それが代金か投資かということにある。お金の払い手にとってどちらがいいかと言えば、それは決まっている。将来何倍にもなって返ってくるほうだ。‥‥「いや待ってくれ、自分がほしいのは本であって、証券や馬券ではない」と思うかもしれない。では、本を証券にしてしまったら?

 もう少し順序だてて説明しよう。本の発行部数を決めておく。最初はそれほどでもなかったが、作家に人気が出て、欲しい人が多くなってくるとする。でも、本はもうそれ以上は刷らない決まりだ。そうするとどうなるか。本の値段は高くなる。いまでも古書市場ではそうなっているが、買い手が限られているから、値上がりの仕方はそれ相応のものにしかならないし、値上がりするものも限られる。古書店は、実際に買うお客さんが(そのうち)見つかるというものしか買わないわけだ。つまり、値上がりするものも限られているし、値上がりの仕方も限られているから、値上がり期待で買う人も少ない。まあそういう循環論法になっているわけだ。ところが、もしこの前提が崩れて参入者が多くなり、値上がり期待で売買が行なわれるようになったら? そのときは、かなりの値上がりをするだろうし、本を読みたいわけではないけれど、値上がり期待で買いたいという人も出てくるだろう。そういう人にも売れるように、「本を買う権利」を証券化する。つまり「この証券がないと、本は買えない」というルールにしてしまう。
 といっても難しく考える必要はない。本を読みたい人はふつうに書店で本を買えばいい。ただ、そのときに「証券」と書かれた紙が付いてくる。その本の人気がそれほど出なかった場合には忘れてしまってもいい。本を買って楽しんだ。同じお金でこれまでと同じことができるわけで損はない。ただ、もしその作家が人気が出て、本が売り切れてしまい、さらにその本を欲しい人がいたら? ふつうは増刷するわけだが、先ほど書いたように、証券がないと本は買えない。ネットでその本を買いたい人の希望を募る。希望者は、希望するだけでなく、信用できる第三者機関に証券の購入代金を供託しておかなくてはならない。その本の作家、もしくは代理人(あるいはそういうことを生業にする業者)は希望者が一定数を超えた場合には、証券を分割すると宣言する。どういうことかというと、証券一枚が二枚分の価値を持つようにするということだ。つまり本が二冊買える。といっても同じ本を二冊もいらないから、一冊分の権利は売りに出す。最初に買った人は本を一冊買ってもう一冊分の権利を売ったのだから、ただで本が手に入ったことになる。さらに分割が行なわれれば利益が出る。作家本人も自分の本の証券を相当数持っておき、次に増刷されるまでに本を欲しい人が出てきたときには、少しずつ売っていってもいい。
 もちろん、買った本の証券が分割されていないかどうかなどをいちいちチェックするのは厄介だから、バーコードか何かをピッとやると自動登録されて、あとは分割されて自分の余剰の証券が売れたときにはそのたびにネット越しに情報をやりとりして自動的に自分の口座に振り込まれるなどの仕組みは必要だろう。証券もデジタルで、実際は紙の証券をやりとりせずにすます必要がある。オンラインで一般の人々が不要な本を売ったりすることはすでに始まっているし、オークションのサイトもある。突飛な話のようだが、インターネットで簡単に情報が処理できるようになれば、実際のところ、本(証券)の購入者にとってはそれほど厄介でなく、やりとりができるのではないか(こうしたデジタル証券方式が一般化すれば、知らないうちにお金が増えている、ということだってありうる)。

●代価か、それとも投資か

 本の購入について、実際にこういう方法が導入されたという話は聞いたことがないが、ここ何年か、投資を募って出版物を作ったり劇場公演をしたり音楽CDを作るという会社はいくつも出てきた。こうした会社を立ち上げたのは金融関係の出身者が多いようで、出版社の場合も、本の世界の人々とは使う用語も異なり、私自身、正直なところうさんくさい気持ちがしていた。そもそも企画書だけで出資しようという人の気が知れない。私も編集者をしていたし、自分でも本を書いたりしているので企画書を書くことは(たまに)あるが、なかなかその通りにできあがらない。そもそも概要は同じでもどう書くかによって、本の出来映えはまったく違う。たとえば、村上春樹と素人が同じあらすじをもとに本を書いたら、当然ながら出来映えはまったく違う(ほかのビジネスについても同じことが言えるのかもしれないが)。
 投資を募っている出版社の実態を私はよく知らないが、結局のところ、出資しようという人は、その本を出したい作家本人かその家族ぐらいなのではないか。だとすれば、これは出版の世界でもよく知られている形態、つまり自費出版である。ただし、違いは、自費出版の場合は払った費用が戻ってはこないのにたいし、ファンドの場合は、もし売れればそのぶん儲かるということだろう。
 通常何かの代価としてお金を払った場合、そのお金は戻ってこない。われわれはそれを当たり前のことのように思って暮らしているが、かならずしも当たり前ではないということをこうした形態の出版は明かしている。代価ではなく、投資として支払いができるものがあるわけだ。それは、将来、価値が上がりうるものでなくてはならない。会社というのも言うまでもなくそのひとつだし、創作者(あるいは創作物)の価値というのもそうだ。有望な会社の上場前の株を買っておけば大儲けできるといわれるが、創作者についても同じような制度がありうるのではないか(投資ということに偏見のある人も、払い捨てよりは戻ってくる可能性のあるほうがいいとは思うのではないか)。
 投資を募って出版物を作るシステムは、投資する人がきわめて限られるように思われるが、それは多くの場合、できたものを想像できるのが作家本人ぐらいだからだ。すでに名前の売れたベストセラー作家ならともかく、新人ではまずお金が集まらない。では、書き上げたものを読んでから投資するのだったら?

●新人がデビューしやすいシステム

 じつは、私がほんとうに言いたいことはここから先だ。本を作って出すにはいうまでもなくお金がかかる。しかし、ワープロソフトで文章を書いて、ネットで発表するならお金はほとんどかからない。実際にそうしている人は数多くいる。でも、その人たちが対価を得られる可能性はほとんどない。たまたま目にする編集者がいて、本にしてくれることぐらいしかないだろう。実際にネットで書いたものが本になって成功した例はすでにいくつかあるが、なぜ少ないかと言えば、利益につながる読み手(つまり編集者)が少ないからだ。
 では、こうしたらどうだろう。
 ネットでテキスト(だけでなく、音楽でも映像でもなんでもいいが)を公開すると同時に、デジタル証券の買い手を募り、一定数を超えたら発行する(証券の価格と発行数はとりあえず本のコストがまかなえるぐらいの設定だろう)。
 証券の販売や購入というとなんだかおおごとだが、要するに、その作家へのサポートの表明である。ひつじ書房という出版社の社長の松本功さんは「投げ銭システム」というのを提唱されていた。気に入った創作者に投げ銭をする。その場合、投げてしまったお金は戻ってこない。動機は創作者へのサポートということで同じでも、デジタル証券方式の場合は投資なので、何倍にもなって戻ってくる可能性がある。投資を募るためには多くの人に読んでもらう必要があるので、デジタルではコピーフリー、つまり自由にコピーして読んでもらっていいことにする。すでに名の売れた作家にとっては、(少なくとも当初は)あまりにリスクの大きい選択肢かもしれないが、お金をもらうよりもまず読んでもらいたい新人や、研究者などの書き手にとっては損にならない方法だろう。
 この方式の利点は、多くの人が有望な新人の発掘や宣伝に熱心になるということである。新人発掘のほうが利幅が大きい。本でも音楽でも映像でも、いまのシステムの問題点は、いったん売れるとますます宣伝され、口コミも加わってますますメジャーになり作品が売れるが、新人がデビューするのはむずかしい。しかし、このデジタル証券方式では、一般の人々が、たんに創作物の享受者であるばかりでなく、もっと積極的な評論家になり投資家になる。さらに、いったん購入すれば人気が出たほうが儲かるわけだから宣伝もするだろう。以前だったら個人が宣伝できる方法は限られていたが、いまは自分でホームページを作ったり、ウェッブ上の掲示板に書きこみをするなどインターネットを使えばいくらも方法はある。ともかく誰もがネットで自由にあれこれ読んだり聞いたり見たりして批評眼を高め、気に入ったら、サポートとしてわずかのお金を払い、その作家のアイテム(つまり本)をもらい、その本のいいところを熱心に語る。そして、そういうサポートが将来、大きなリターンになって戻ってくるかもしれないという仕組みである。10代の子どもたちから老人まであらゆる人が創作活動を支える重要な担い手となり、批評眼をみがき、芸術へのパトロンになる。そんなことも、インターネットの技術を使えばできなくはないし、誰もが情報の担い手になれるインターネット時代にふさわしいものだろう。
 新人にとってメリットがあると書いたが、すでにデビューした作家にとってもいまの時代、本を出し続けることは容易ではない。ある直木賞作家は、新人向けの文学賞を受賞したさいに、「『以前だったら受賞者の本は3冊まではともかく出したが、いまはとてもそんなには出せない』と編集者から宣告された」と言っていた。プロの書き手も、本を出してくれなければ話にならず、とはいえ、まったく見返りの当てがなくネットで公開してしまったら食べてはいけない。誰にでも無料で読んでもらえながら、将来お金になりうる方法がもしうまくいくようなら、かなり多くの書き手が参加する可能性はあると思う。
 もちろんこのアイデアはまだ完全ということからはほど遠い。「ネットでただで読めるようにしてしまったものについて、はたして本が売れるのか」ということはまず指摘される点だろう。このデジタル証券の価値の裏づけはアナログのもの、この場合で言えば本なのだから、そこに価値がないということになってしまえば成り立たなくなる。
 ネットでその本の電子書籍がただで読めるのであれば本はほんとうに売れないか。このこと自体、まだはっきり確かめられたわけではない。ネットで自由に読めれば宣伝になって、紙の本を買おうという人が逆に増えるのではないかという意見さえある。それもまた検証されていないことだと思うが、ともかく電子書籍がただで読めても紙の本に価値を持たせ続けられる方法というのはあるのではないか。たとえば、この4月に立ち上がったソニーの電子書籍は「レンタル制」で、2か月経つと読めなくなる。この仕組みについては私は不満を感じ、そうしたことを書いた(「出版ニュース」4月下旬号)。しかし、「有料レンタル制」ではなしに「無料レンタル制」、つまりプロモーション期間は無料で読めるが、それを過ぎると読めなくなるといったふうにする手はあるだろう。手もとに置いておきたい人は紙の本を買わざるをえなくなる。またたとえば、電子書籍は書きこみができないなどの制約を加えておけば、仕事の資料として使う本などは線を引くなどの書きこみをしたいので、紙の本がほしくなるだろう。もちろんいわゆる愛書家と呼ばれる人やコレクターといった人種は、どんなに電子書籍が普及してもいるだろうし、この場合は言うまでもなく投資のために購入する人もいる。
 さらにデジタル証券の魅力を増すために、作家が、この証券の持ち主にだけ配る本を出すといった方法も考えられる。そのほか細かいことを並べれば、その作家のクラブに入って直接メールでやりとりできるとか(ただのファン・メールというより本をよりよくするために意見を言うことは重要だ)、作品の中に自分の名前を使ってもらえるなどということもあるかもしれない。
 本について書いてきたが、たとえば音楽だったら、デジタル証券の購入者しかコンサートへは行けないことにして、デジタル証券の価値を高めるという方法があるだろう。いずれにしても先に書いたように、デジタル証券の価値の裏づけは、デジタルの外の世界、つまりアナログでアクセスに限度があるものによって生み出す(そもそも物の価値が需要と供給の関係によって決まるという考え方は、アクセスに限度のあるアナログではありえても、無限に劣化しないコピーができるデジタルの世界には原理的には馴染まないもののように思われる)。

●芸術が経済の柱となる日

 最初に書いたように、デジタルの著作物をコピーし流通させるインターネットというものすごいシステムができたものの、われわれはそれを十分に活かすことはできない。インターネットの技術のために世の中があるわけではないのだから、多少の制約は我慢してもらわなければならない、というのはたしかにひとつの意見だろう。しかし、既成のシステムを存続させるために、われわれの前に開けるかもしれない可能性を閉ざしてしまうのは理不尽だという考え方もありうる。著作権法は、著作物の保護とともに文化の発展に寄与することを目的としていると謳っている。著作者がその見返りを得ながら自由に作品を見聞きさせることができ、子どもから老人までがそうした活動を容易にサポートし、新人作家・新人アーティストがデビューしやすくなるというのは理想的な状況と言うべきだろう。
 もとより私にはビジネスの才能はないし、証券の実務などの知識はいよいよない。ただ、こうした仕組みができたときには、創作とか音楽、映像が社会のなかでいまよりも重要なものになり、経済活動を支える大きな柱になっていくだろうということは感じられる。古代ギリシアでは、市民階級はもっぱらアートや思索などの活動に従事していたそうだ。古代ギリシアはつらい労働をになう奴隷の存在があって初めてこうしたことが成り立っていたわけだが、インターネットによってわれわれの意識が変われば、奴隷なしでもわれわれは古代ギリシアの市民になれるかもしれない。

【付記】
* デジタル証券のアイデアは、ファイル交換ソフト「Winny」の作者による「デジタル証券によるコンテンツ流通システム」と題された文章から着想を得た。
** デジタルがコピーフリーになるのだったらデジタルにしないというのはもちろん自由だし、それもひとつの考え方だろう。ただし、ネット上ではなんでもただで読めてしまうわけだから、デジタル化しなければ、人に読まれるチャンスはかなり減る。新人のうちは、デジタル証券の形でデジタルを中心に活動し、売れてきたら、紙の本中心に移行するという考え方もあるかもしれない。ともかく、ネットでは、ただちに利益をあげることではなく、多くの人に知ってもらい、デジタル証券の購入につなげるための一種の宣伝媒体と考える、というのは現在でも通用するネットについての考え方だと思う。

(「草思」2004年7月号掲載)

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2004.05.18

著作権市場の焼け野原から立ち上がるはずだったもの(デジタル証券について最初に書いた原稿)

逮捕されたウィニーの作者は著作権制度を崩壊させ、
新たな制度の誕生を夢見ていた。荒唐無稽だが、
そこにはおもしろい発想が潜んでいる。

●合法的に著作物をただで見れる制度

 音楽を聴いたり映画を見たりするほうは、もちろん、ただで見れるものなら見たい。作ったほうは、これまた当然のことながら、「そんなことをされたらたまらない」と考える。両者が折り合うことはなさそうだ。
 しかし、5月10日に逮捕されたWinnyの作者は、おもしろい提案をしている。

 はっきり言って、現実味はひじょうに少ない。空想的と言ってもいいくらいだ。最初に読んだときには、ばかばかしいと思って放り出してしまった。でも、逮捕されたあとあらためて読んで、考えが変わった。
 ウィニーの作者は、だいたい次のように言っている。
「現在のコンテンツ流通の根本的な問題点は、簡単にコピーできてしまったり配信システムがまずいことにあるのではない。インターネット世界における集金モデルが不備だということにある。インターネットの世界では、情報を共有することが前提で、ただが基本。(ファイル共有ソフトなどで)実質的にただになっているのに、昔のモデルでお金を取ろうとして矛盾が生じている。情報はただでも、将来出てくる情報とその可能性でお金が取れるはずだ。こういう可能性を無視してピア・トゥ・ピア技術そのものを悪と決めつけて排除しようとすると、最終的にインターネット技術そのものの排除につながる」。
 理屈としてはそうかもしれない。だけど、コンテンツの送り手はただではやっていけない。では、ほかに収入を得られたら? そのときは、ただで見せたり聴かせたりしてもいいと考えるコンテンツ制作者も出てくるだろう。
 とりあえずWinnyの作者のアイデアを紹介すると、次のような具合だ。
 コンテンツの送り手が、デジタル証券を発行する。つまり株券だ。そのコンテンツに興味がある人は、証券を買ってそのコンテンツへ投資する。たいていコンテンツは見たり聴いたりする前にお金を払わなければならないが、この方式ではおもな収入は投資だから、見てもらえば見てもらうほど証券の買い手が出てくる。お金を払わないと見せないいまの状況とは一変する。作品がどんなものかを知ってからお金を払うことができるから視聴者にとってもフェアである。価値があると思えばお金を払えばいいし、つまらないと思えば払う必要はない。
 コンピューター・ソフトには使ってみて気に入ったらお金を払うシェアウェアというのがある。シェアウェアも中身を知ってからお金を払うことができるが、払ったお金が返ってくるわけではない。払い捨てである。それに対し、デジタル証券は、将来、払ったお金の何倍にもなって返ってくる可能性がある。人気が出れば、証券の価値が上がって買った人は儲かる。コンテンツの送り手も証券の一部をキープしておき、値が出てから売れば作品制作の見返りを得られる。
 Winnyの作者の主張を私なりの解釈も加えて説明すれば、だいたいこんなことになると思う。
 理想的だ。え、そんなことがうまくいくはずがない? まあちょっと頭を働かせてみれば誰でも、「いったいこの証券がなぜ値上がりするんだ?」と疑問を持つ。株は、会社の業績という一応の価値の裏づけがあるが、このデジタル証券には価値の裏づけがない。将来ほかの人が高く買うはずという根拠のない値上がり期待だけである。株は、将来の値上がり期待のほかにも、配当、それに株主としての発言力・経営参加権などの魅力があって購入される。では、デジタル証券についてはどんな魅力がある?
 Winnyの作者は、配当や経営権にあたるものとして「コンテンツ提供者が管理するご意見サイトへ優先的にその意見を伝える権利」を具体例としてあげているだけだ。あとは「いろいろなサービスが考えられるでしょう」・・・・「え、それはないだろう」という気がする。
 ただし、これを株券だと思うからいけないのではないか。たとえば映画やコンサートのチケットの定期券として発売する。もう少し正確に言うと、一単位の証券で、各ツアーごとに一回コンサートを見に行ける権利が手にはいる。この権利がないとコンサートに入れないことにしてしまう。新人アーティストのコンサートや素人の映画は見に行きたい人がほとんどいないだろうから、ただ同然。人気が出てきたらどんどん高くなる。人気が出れば、広い場所で興行できるから、新たなチケットの定期券の発行(つまり増資)もできる。自分で見に行ってもいいし、チケットピアのようなサービス会社にゆだねて見に行く権利をその回ごとに小分けにして売ってもいい。いまのチケットは、見に行ってしまえば無価値になるが、この場合は、コンサートを見に行って、さらに儲かるかもしれない。アーティストを見分ける目さえあれば、楽しめてぼろ儲けということも・・・・。もちろんアーティストは永遠に活動できるわけじゃないから、そのうち証券の価値はなくなるだろうけど、価値がなくなるまえに小分けにしたチケットで投資資金を回収できれば損はしない。かならず儲かるとは言えないが、儲けを期待させるものはあるだろう。

●みんなが新人発掘に熱心になる社会の誕生

 このデジタル証券のおもしろいところは、すでに人気の出てしまったアーティストよりも、これから人気の出そうな人の証券を買ったほうが利幅が大きいということだ。いまのコンテンツ市場では、人気が出たものはメディアで取り上げられてますます人気が出るかわりに、新人はデビューしにくい。しかし、この方式だと、新人の証券はただ同然だし、一般の人も可能性のあるアーティストを探そうと熱心になるだろう。みんながたんなる「お客さん」以上の存在、アーティストを発掘し育てる人間になっていく。創造活動の促進のためにはまたとない環境が生まれる。
 今回書いたのは、とりあえず音楽についてだが、ほかの分野でも考えられる。要するに、デジタルはコピーフリーで自由に見聞きできるが、会場の広さや印刷部数、サポートなどアクセスに制約のあるアナログへのアクセス権を「配当」として使うという考え方だ。このようにすれば、デジタル証券の価値の裏づけはできると思う。
 ただし実現するためには、コンテンツ提供側がこうした方式を導入しようとする強い動機がなければならない。そんなことをしようと思うはずはない? たしかに。もしコンテンツ提供者が、違法コピーをされまくり、収入を確保する方法がなくならないかぎりは…… Winnyの作者は、著作権市場を焼け野原にして、その焼け野原から、いまとはまったく異なるこうしたシステムが立ち上がることを夢見ていたのだろう。警察がそれをほうっておいてくれればたしかにそうなったかもしれないが、この前提はもはや崩れてしまった。
 しかし、その一方、投資を募ってファンドを作り証券化してコンテンツ支援をするという事業は(下のサイトのように)一種のトレンドになってきている。コンテンツ証券を売買する市場もおそらくいずれはできるだろう。コンテンツ制作のコストを投資でまかなおうという発想はすでに広まっている。この方式の問題点は、作品ができるまえにお金を集めるので、投資してくれる人間が限られるということだ。けれども、作品をまず見聞きでき、気に入ったらコンサートなどに行け、ついでに将来儲かるかもしれないぐらいのことなら購入する人はずっと多くなるはずだ。荒唐無稽だけれど、インターネット時代の新しいコンテンツ流通の可能性はこうした発想の延長にあるのかもしれない。

*

本文に書いたようなことが実現すれば、創作活動をめぐる環境は一変する。デジタルで完結している著作物についてはどうするかなど考えなければならないことはまだ多そうだが、音楽会社や出版社など著作物をあつかう会社やチケット販売会社、タレント事務所などがもしその気になれば、たとえば新人を対象にすぐにでも始められるはずだ。

関連サイト
●Winny作者が書いた「デジタル証券によるコンテンツ流通システム」。「著作権制度を揺るがす」と革命家のようなことを言ってWinnyを開発した人物が、証券という資本主義の精髄のようなことを考えていたのは興味深い。Winnyの作者も、創作者が見返りを得るべきだとは考えていたわけだ。逮捕されたのは情報処理工学が専門の東大大学院の助手だそうで、いかにもこうした研究者らしく、デジタル証券を発行するサーバーについてなどはけっこう詳しく書いている。ただし、証券の価値の裏づけをどうするかという肝心の点については漠然としている。
●Winny作者が昨年10月にネットで左上の提案を発表して以後、Winny開発の舞台になった「2ちゃんねる」にログがある)や「スラッシュドット」、ウェブログなどで議論されている。いくつか覗いてみたが、総じて実現に懐疑的で、見たかぎりでは、いい知恵は見あたらなかった。
●出版の世界では、投資を募って本を作るという試みはいくつかある。これはそのひとつ英治出版。サポートしたいという気持ちや値上がり期待だけでお金が集まるなら、デジタル証券の「配当」を考える必要はないのかもしれない。しかし、新人の場合はとくに、(作家本人とその知り合い以外から)作品を見せずにお金を集めるのはたいへんだろう。
●音楽CDの制作コストを証券化して集めている会社「ミュージックセキュリティーズ」。ほかにも通産省(当時)の肝入りで設立された「ジャパン・デジタル・コンテンツ」が、新人グラビア・アイドル育成のファンドを作ったりしている。劇場公演からワイン輸入まで、投資を募って事業を進めるさまざまな会社が生まれている。証券化はちょっとしたブームだ。
(週刊アスキー「仮想報道」338回)

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