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2012.05.15

民主主義を救うのは抽選によって選ばれた「ふつうの人びと」

「熟議の民主主義」と呼ばれる政治手法が模索されている。
行き詰まった政治の現状を打破するのは
クジによって選ばれた「ふつうの人びと」かもしれない。

●選挙で選ばれた政治家の主張はすべて正しいのか

 大阪府知事から転身して大阪市長になった橋下徹氏は、高い人気を背景に国政レベルでも「台風の目」になりつつある。橋下氏の主張には賛成できるところもあるし、逆にどうなのかと思うところもあるが、橋下氏の発言でもっとも困惑するのは、「自分は選挙で選ばれたのだから、自分の言うことが民意だ」と、ことあるごとに繰り返している点だ。

 橋下氏に投票した人も、その主張すべてに賛成したわけではないだろう。橋下氏ならば行き詰まっている現状を変えてくれるのではないかと、個々の政策の賛成・反対を超えて投票した人も多いはずだ。しかし、「自分の言うことが民意だ」という橋下氏はそうは解釈していない。政策すべて支持されたと思っている(そんなはずはないので、本心からそう考えているとは、ちょっと思えない。となれば、ふりをしていることになる)。

 こうした政治的発想が当たり前になれば深刻な事態が起きる可能性があることは、ちょっと考えてみればすぐにわかる。

 人気のある政治家が、多くの人の歓迎する政策を並べておき、そのなかに、問題のある政策を混ぜておく。先の論法で言えば、当選すれば政策すべて支持されたことになり、問題のある政策も民意ということになる。
 こうした批判に対して橋下氏は、自分のやることに不満があれば次の選挙で落とせばいいし、それまで待てなければリコールすればいいという。しかし、これらの方法は、その政治家を辞めさせるかどうかが問えるだけで、特定の政策を阻止するためのものではない。いくつかの政策に賛同できなくても、たいていの人は人気がある政治家をリコールまでして辞めさせようとは思わない。いくつかの政策に賛成できなくても、次の選挙でもやはり票を入れる。選挙というのはそういうものだ。ヒトラーもまたそうして支持を集めた。橋下氏のこうした言動は、選挙という政治制度の限界をあらためて感じさせる。


●「くじ」で選んだ人に政治はまかせられる


 人を選んだり決めたりする方法としては、選挙、試験、抽選の3つがあると政治学者が言っていた。会社での役職などのようにもうひとつ、指名という方法もあると思うが、いずれにしても民主主義政治では選挙に頼ることが多い。しかし、これがほんとうにベストなのか。

 古代ギリシアでは、将軍や財務官など少数の重要な職を除いて大半の公職を抽選で選んでいたという。古代ギリシアは直接民主主義が基本で、人口も少なく、市民は奴隷に支えられた特権的階級だった。だからそうしたことができたのであって、「昔の話」だと思っていた。しかし、ほんとうにそうなのか。ほんとうにいまは「抽選」ではダメなのか。

 そうではないだろう。
 実際に人の生き死に関わる重要な判断を「くじ」で選んだ人たちにゆだねて、きちんと機能するようすをわれわれは目にしている。
 裁判員制度である。
 裁判員候補者は、欠格事由などを考えて裁判所がはずしたり、検察や弁護士、被告が拒否したりといったプロセスはあるものの、基本は「くじ」で選ばれている。

 日本で起きた冤罪事件の一番の責任者は裁判官だと思っていた。いい加減な調書を証拠として認め、検察側からの恣意的な証拠提出を許す裁判をやってきたからだ。とはいえ、くじで選んだ裁判員ではたしてきちんと裁けるのかという危惧があった。

 裁判員制度は守秘義務の壁にさえぎられて詳しいことがわからないが、報道等で知るかぎり、裁判員に選ばれた「ふつうの人びと」は、量刑などについても納得できる判断をしているように見える。少なくともいまのところ、「くじで選んだ裁判員ではダメだ」という人はいないのではないか。候補者のなかから選んでいるにしても、いまの日本の「ふつうの人びと」のレベルの高さが立証されたように思われる。
 ならば、政治的判断も「ふつうの人びと」にゆだねることができるのではないか。
 「選挙」にもとづく政治が行き詰まる一方で、「抽選」で選んだふつうの人びとがきちんと判断できることが実証されつつあるのだから、そうしたことを考えてもいいのではないか。


●議会が手をこまねいているあいだに地球は燃えている

 前々回とりあげた討議型世論調査も「抽選方式」で民意を聞く試みだった。世論調査はもともと、人口動態などを考慮して代表制のある調査者を無作為抽出して考えを聞く「抽選方式」だ。討議型世論調査はさらに、調査票を送ったり電話をかけていきなり意見を聞くのではなくて、さまざまな資料を読んでもらったうえで集まってもらい、政治家や専門家の考えも聞いて自分たちで議論して調査に答えてもらう。手間ひまをかけた世論調査である。このようにすると参加者の意見の開きが小さくなり、さまざまな条件を考慮して妥当な結論になっていく。

「政策についてよく考え議論して決めましょう」というだけならば新味はないが、裁判員制度でも「ふつうの人びと」をクジで選んで裁判をしているように、政治にとくに興味があるわけではない「ふつうの人びと」の考えを聞こうとしている。

 討議型世論調査を提唱しているスタンフォード大学のフィシュキン教授の支援のもと、日本では慶応大学の研究者などが討議型世論調査をやっているが、フィシュキン教授はヨーロッパでもこうした試みを広めている。

 たとえば、10年にイギリスでは、総選挙にあわせて「パワー2010」という討議型世論調査の運動が繰り広げられた。サイトで次のように言っている。

「われわれの民主主義は危機にある。議会が手をこまねいているあいだに地球は燃えている。われわれの権利や自由が侵されている。金融業者が多額のお金をばらまき、納税者がそのツケをはらっている。このままではいけない。力のある少数者ではなくてわれわれみなのために機能する健全な民主主義が必要である。パワー2010はそうした民主主義を生み出す助けをするためにできた。パワー2010は、われわれがともに民主主義をいい方向に変えていくためにはどうすればいいかについて意見を言う機会をみなに与える」

 パワー2010は、政治改革についての意見をまず寄せてもらい、討議型世論調査の手法を使って議論し、改革案のリストを作った。その後の5週間、イギリス全土で集会を持ち、議論して投票するということを繰り返し、5つの改革案を選び出しパワー2010の公約とした。同調することを各候補者に求め、次の議会で実現をめざした。こうした手法を使えば、「選んだ政治家にまるごとお任せ」ではなくて、個々の政策について熟考し議論までしてまとめられた民意を反映できる。
 こういう手法の可能性についてもう少し考えてみたい。

afterword
候補者という「人」にまるごとゆだねてしまう投票とは違い、上のような方法ならば、小泉首相や橋本市長といった人気があってとても辞めさせることはできない政治家に対しても、個別の政策についてストップをかけることができる。つまり、人気政治家の暴走を防ぐことができる。


関連サイト
●「パワー2010」のサイト(
http://www.power2010.org.uk/)。選挙の民意と、熟議の結果まとめられた「ふつうの市民」の代表者からなる民意、どちらの民意に従うべきなのか。

(「週刊アスキー「仮想報道」Vol.726)

 

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