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2012.03.08

死者を偲ぶ仕組みができているフェイスブック

フェイスブックは、社員の死に直面し、
独自の死者追悼の仕組みを作った。実名SNSは、
とりわけ死者と向かいあわなければならないようだ。

●死者のことを考えるには日本のネットは若すぎる?

 このところ利用者が死んだときにネット企業がどう対応しているかについて書いている。
 故人が遺言を残しでもしないかぎり、サービス提供者が独自に対応しなければならないわけだが、勝手にやれば問題になる。

 前回書いたように、グーグルやツイッター、リンクトイン、英語版ウィキペディアなどは利用者が死んだ場合にどうするか、ヘルプページなどで明記していた。しかし不思議なことに、ヤフー・ジャパンやミクシィ、グリーなどの国産ネット企業のサイトにはこうした記述は見あたらなかった。メメント・モリ(死者を思え)のキリスト教文化圏と、死を不浄のものと考える文化圏の違いということなのか。

 匿名が中心のサービスならば問題が起きにくいということはあるかもしれない。会員であることを家族が知らない場合も多いし、たとえ知っていても、見たことがなければ、ページが消えて残念ということもない。またバーチャルな名前では本人確認もしにくい。死んだかどうか確認できなければ、さしあたりそのままにするしかないだろう。
 ただそういうことだと、ミクシィなどはそのうち死者であふれている、ということになるかもしれない。縁起でもないと感じる人もいるだろうが、それはそれでおもしろい気もする。

 けれども、現実世界と結びついている実名SNSの場合はおもしろがってはいられない。
 前々回、タイムラインで一生を一覧できるようにしたフェイスブックは「墓碑銘」に向いていると書いたが、今回いくつか見たなかでは、やはりフェイスブックがもっとも切実に利用者の死の問題に向かいあっているように思われる。


●「死者との絆(きずな)は消えはしない」


 フェイスブックでは、ユーザーが死んだという連絡があった場合、親族が希望すればアカウントを削除する。そのさいはコンテンツも削除されるのだろう。しかし、とくに削除を希望しなければ「追悼アカウント」にするとヘルプ・ページで明記している。「追悼アカウント」では連絡先のような微妙な情報は削除され、プロフィールの更新もなくなる。

「追悼アカウント」の仕組みができたいきさつは、フェイスブックの公式ブログでマックス・ケリーという社員が説明している。彼の次のような体験にもとづいて、こうした対応をすることになったのだそうだ。

 05年頃のことのようだが、ケリーは、フェイスブックで務め始めてまもなく、親友と同じプロジェクトを担当することになった。1日18時間、週7日、40人ほどのチームでともに働いた。しかし仕事を始めて6週間後、その親友は自転車に乗っていて事故で死んでしまった。ケリーは大きなショックを受けた。
 フェイスブックのほかの社員も落ちこみ、死の数日後、会社全体で集会を開いた。
 ケリーはそこで、自分にとって親友がどういう存在だったのか、もっと一緒に働きたかったことなどを語った。
 小所帯で互いの結びつきが深い会社であり、また若い社員の多くにとって身近な人が死ぬのは初めてのことでもあって哀しみの感情を共有した。その集会のことはいまでもありありと思い出せるとケリーは言う。
 会社全体が悲嘆に暮れる一方で、現実的な問題も起こった。死んだ友人のプロフィール・ページをどうするかということだ。ケリーは、親友の死を無にせず、こういう場合のモデル・ケースにしたいと考えた。

 この世を去っても、死者の記憶やソーシャルなネットワークは消えはしない。こうした考えにもとづいて、死者についての記憶を保存し共有する場所として、プロフィールで「追悼する」ことを思いついたという。

「時が経ち、この世を去った親しい人との結びつきは色あせていくが、結びつきがなくなりはしない。私はいまでも彼のプロフィール・ページを訪ね、お互いの友人たちと持ち共有したすばらしい時間を思い出す」

 このように感動的な言葉でこのブログ記事は結ばれている。

 しかし、この記事には辛辣なコメントがついた。コメントはデフォルトでは「ソーシャルランキング」の順番で表示される。冒頭にあるので、つまり一番人気のコメントだ。

「私はこれらのコメントをみな読んで、とても悲しい気持ちでいる。フェイスブックは、私のような家族に与えた心の傷を取り去るために何もしてくれず、答えてもくれないからだ。私の19歳の息子のフェイスブックは、彼の悲劇的な突然の死のあと、ハッキングから守るために追悼アカウントに移された。彼のコメントや投稿を削除することについてはまったく何の警告もなかった。自分たち家族や友人は、われわれの生活の一部だった彼の書いたものを保存する機会も与えられずに失う新たな苦しみを味わっている。このインターネットの時代、人びとはもう手紙を書かない。フェイスブックが理由も言わず警告もせず削除するというのは許されないことだ。どうかどうか彼の投稿やメッセージを復元してほしい。これに関するわれわれのメールに答える親切心をもってほしい。あなたたちは自分たちが引き起こした痛みを思いやることができないのでしょうか」

 2010年7月に書かれ、このあとどうなったかはわからない。


●想定外のできごとも‥‥

 このコメントは先のブログ記事の趣旨と矛盾するようだが、どういうことなのだろうか。

 ヘルプ・ページでは、ユーザーが亡くなった場合、アカウントの追悼により、承認された友だちのみがプロフィール(タイムライン)を表示したり検索して見つけられ、家族や友だちは追悼のメッセージを書き込むことができると書かれている。しかし、「プロフィール(タイムライン)」以外の投稿やメッセージなどのコンテンツは読めなくなるのだろう。

 また生前、友だちとして登録していなければプロフィール・ページにもアクセスできなくなる。米メディアでは、生前IDやパスワードを共有していて友だちとして登録する必要がなかったので、死後はログインできなくなって、コンテンツを見れなくなってしまったケースがレポートされている。

 直系の家族または遺産管理人だけがアカウントの削除や「追悼アカウント」への移行を申請できる決まりにはなっているが、友人などの報告で削除してしまったということも考えられなくはない。コメントのケースの詳細はわからないが、社員の実体験で始まった死者を悼むアイデアもまだ万全ではないようだ。

 現実世界の人間と一体化している実名SNSであるだけに、フェイスブックは問題が起きやすい。
 こうした面でもフェイスブックは先駆的な試みをしなければならなくなっているわけだか、利用者の平均年齢が高くなればなるほど、利用者がこの世を去ったときの対応の問題は、ますます切実なものになっていくだろう。


afterword
 何年も前に死んだはずの友人が「知りあいかも?」と突然出てきて、幽霊が現れたようで気持ち悪かったという記事も見かけた。「追悼アカウント」に移行すると、死んだ人が「知りあいかも?」と表示されることはなくなるそうだが、追悼アカウントがあることを知っている人は少ないから、「幽霊の出現」は避けられないだろう。

関連サイト
●フェイスブックの亡くなった人の報告ページ(
http://www.facebook.com/help/contact.php?show_form=deceased)。この報告ページとは別に「リクエスト」のページもある。そちらには削除や追悼アカウントへの移行は直系の家族または遺産管理人だけが申請できると書かれているが、こちらにはそうは書かれていない。しかし、「虚偽の記述をした場合は偽証罪に問われることがあります」と警告している。
●フェイスブックで務め始めてまもなく4年になるというマックス・ケリーが「追悼アカウント」ができた経緯を語った09年10月27日の公式ブログの記事「この世を去った友人の記憶はフェイスブックで失われることはない」(
http://blog.facebook.com/blog.php?post=163091042130)。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.716)

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