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2011.12.14

フェイスブックの未来は学生寮にある?

透明性が高まれば高まるほど世の中はよくなるという
フェイスブックの確信はどこから生まれたのだろう。
創立者の過去に、その答えがあるのではないか。

●「グーグルの時代」の終わり?

 1998年に会社を設立したグーグルは、2004年に株を上場して莫大な資金を確保し、ここ10年近くネットは「グーグルの時代」が続いてきた。グーグルが新しいことを始めるたびに大騒ぎ。ネットの枠組みをグーグルが作ってきた。帝王グーグルのもとにネットの統治が行なわれてきたわけだが、そうした「パックス・グーグル」の時代は終わろうとしているのかもしれない。

 誰よりもそうしたことを感じているのはグーグル自身だろう。
 グーグルのセルフ広告を引っ張ってきた女性幹部シェリル・サンドバーグを筆頭に、グーグルからフェイスブックへの人材流出が続いている。

 フェイスブックの野心の大きさからいっても、グーグルが脅威を感じるのは無理もない。
 前回、フェイスブックによって実名化したネットの世界がやってくると書いたが、カークパトリック著『フェイスブック』によれば、リアルな関係を反映して作られた人間関係図(ソーシャル・グラフ)はこの時代の「最強の配信機構」だと、CEOのザッカーバーグは言っている。
 フェイスブックを使えば、友人・知人が「おもしろい」と言っているものがわかる。信頼する人が勧めるのだから、ほかのサービスがおいそれとは追随できない「最強の配信機構」になるというわけだ。


●ザッカーバーグは進みすぎているのか、ずれているのか

 とはいえ、このシステムを実際に駆動させようとすると、大きな波紋を呼んでしまう。

 友人のプロフィール更新をただちに伝える06年の「ニュースフィード」の導入に激しい反発が起こったという話を前に書いたが、翌年「ビーコン」という仕組みを公開したときにも同じように猛反発が起こった。
 これは、オンライン・ショッピングをしたときに、「誰が何を買った」という情報が友人たちの「ニュースフィード」に表示される仕組みだった。いくら親しい友だちにでも自分が何を買ったかをいちいち知らせたくないというのは当然の思いだが、ザッカーバーグらの感覚は少なからず「ずれて」いた。「時代は透明性を高める方向に向かっている」というのが彼らの確信だから、彼らにしてみれば、「ずれている」というより、「先に進みすぎていた」ということになるかもしれない。

 この秋にはさらに恐るべき機能を導入した。
 ニュースや音楽・映画などを視聴するアプリをインストールすると、いちいち「いいね!」ボタンなどを押さなくても、自分がどんな記事を読み、何を聴き、何を見たかが友だちなどに通知される。通知しないようにもできるものの、当初の設定は通知される。というわけで、忘れていて、まずい情報が流れてしまったということも起こっているようだ(日本では使えない機能やアプリがある可能性はある)。

 実際のところ、友だちのほうはあなたが何をしているかを知りたいかもしれない。またあなたのほうも、趣味が同じ彼・彼女の聴いたり見たりしたものをチェックしておきたいだろう。彼・彼女と同じものを見て感想を伝えれば、それをきっかけに仲を深められるかもしれない。さらに気になっている彼・彼女が付き合っている相手と別れたということなども、すぐにでも聞きたい情報だ。ニュースフィードは情報の受け手のそうした需要にはあっている。こうしたサービスが必要というのは、少なくとも情報の受け手にとっては真実だ。

 とはいえ、誰しも情報の受け手ばかりではいられない。
 以前も書いたように、透明性が高まれば高まるほどいいと無条件で信じることができない多くの「非・未来人」には、フェイスブックはしばしばストーカー的なネット・サービスに思えてくる。

 フェイスブックの仕組みが変わって、いつ自分の知らないうちに情報が発信されているかもわからない。フェイスブックの歴史を顧みると、こうした不安がつきまとう。にもかかわらず急成長を続け、よく世界8億人が使うまでになったものだとほんとうに思う。


●フェイスブックのDNA

 そもそも創立者のザッカーバーグ自身は、彼女と別れたとか何を買ったということが友人・知人にただちに伝わるのがイヤではないのか。
 そんな疑問も湧いてくるが、ザッカーバーグについて書かれた本などを読むと、ザッカーバーグはそれほどイヤではないのかもしれないという気がする。

 フェイスブックを生んだのは、大学の学生寮だ。学生寮のルームメートたちが手伝って彼のアイデアを育ててきた。
 フェイスブックが急成長してたくさんの人を雇わなければならなくなっても、オフィスは雑然とした学生寮の雰囲気を残していたという。ザッカーバーグがそう望んだからだ。

 アメリカの学生寮で暮らしたことはないが、学生寮に暮らしている学生たちにはプライバシーは乏しいだろう。日本風に言えば「同じ釜の飯を食っている」間柄では、彼女と別れたということから何を買ったということまですべて筒抜け。またそれで不満はない。彼女に振られれば一緒に嘆いてくれるし、誰かが新しいCDを買えば、借りて聞いてしまう。
 ザッカーバーグは居心地のいいそんな寮での仲間たちの空間をネット上に再現しようとしているように見える。未来は透明性の高い世界だとザッカーバーグは信じているが、この「未来」はじつはザッカーバーグの過去、つまりフェイスブックを生んだ学生寮にあるのではないか。

 ネット・ベンチャーでは、自分たちを生んだDNAがしばしばなかなか消えないようだ。
 グーグルは、電子図書館の研究をしていたスタンフォード大学の大学院生2人が作った会社だが、彼らが提供するサービスには、研究者のDNAが感じられた。そうした用途のためには抜群に役に立ったが、コミュニティ作りには失敗してきた。
 その一方、学生寮というDNAが埋めこまれているフェイスブックは、親密なコミュニティ作りに成功した。しかし、プライバシーの乏しい学生寮のDNAを引きずっているために、透明性を高くしすぎて、こうした面では繰り返し失敗している。

 話が飛ぶようだが、マンガの登場人物は、マンガ家自身に似ていることが多い。とくにコミカルなマンガはしばしばそう感じる。マンガ家が意識して描いている場合もあるだろうが、思わずそうなってしまうということもあるのではないか。
 ネットという機械仕掛けのシステムでも、自分の育った環境から自由になるのはけっこうむずかしいのかもしれない。


 フェイスブックはこうした創立者のDNAから自由になれるだろうか。DNAの束縛を未来と錯覚して、転落してしまうことはないのだろうか。
 それとも、透明性についての確信を生んだ学生寮のDNAはほんとうに未来への啓示で、いまの時間に縛られているわれわれが容易に理解できない世界を切り開くのだろうか。


参考文献
フェイスブックを映画化した「ソーシャル・ネットワーク」の原作ベン・メズリック著『facebook――世界最大のSNSで、ビル・ゲイツに迫る男』。ザッカーバーグが取材を断わったとのことで、フェイスブックのこの創立者が何を考えているのかまったくわからない不思議な存在になっている。しかし映画同様、学生寮の雰囲気はわかる。

afterword
フェイスブックをウェブのプラットホームにしようとしているザッカーバーグの野心を知っておもしろくなり、あれこれほじくり返し、フェイスブックについて長くなってきたが、もう少しフェイスブックの話を続けたい。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.706)

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