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2011.05.09

ウィキリークスはメディアをどう利用したか

一次情報を見つけることに精力を注いできたのが
これまでのメディアだったが、ウィキリークスは
そうしたメディアのあり方を一変した。

●一次情報ありきのジャーナリズムの誕生

 前回はウィキリークスが情報機関かどうかについて書いたが、この組織がジャーナリズムの変化を強烈に意識させたことは確かだろう。
 これまでのジャーナリズムは、一次情報を集め、報じることに精力を注いできた。ほかのメディアが持っていない情報を見つけ、それを独占的に報じることに最上の価値を見出してきた。
 しかしウィキリークスは、それとは違った報道のスタイルを生み出しつつある。

 ウィキリークスが提供する情報をもとにした報道では、機密文書という一次情報はすでにそこにある。それも何十万点という簡単には処理できない量である。そんな膨大な情報の出現で、その真偽を確かめ、情報の意味を探ることがメディアの重要な仕事になってきた。
 もっとも、どこまでがウィキリークスの功績かについてはさまざまな意見がある。

 ニューヨークタイムズはウィキリークスから情報の提供を受けてともに仕事をしたものの、この組織に批判的だ。編集主幹のビル・ケラーは、「ジャーナリズムの文化に対するウィキリークスの影響は過大評価されている」と次のように言っている。

「ウィキリークスが生まれるずっと前からインターネットはジャーナリズムの景色を変えてしまった。インターネットによって、読者と情報源の双方に簡単にアクセスできる広く開かれたグローバルなマーケットが生まれ、情報消費がより早くなり、情報を共有し精査する新たな仕組みが誕生するとともに、個人情報やプライバシー、秘密保持といった概念を尊重する気持ちを減少させてしまった」。

 ネット上には真偽不明な膨大な情報がすでにそこにあり、その情報を拾い上げ、その意味を探るのもメディアの仕事になったが、こうした変化を生み出したのはインターネットで、ウィキリークスはその変化の過程において生まれた顕著な例にすぎないというわけだ。

 本誌創刊以来10年以上にわたってネットの多様な情報を拾い上げてきた本欄にしても、膨大なネットの情報から当事者の発言やさまざまな組織の主張など一次情報に近い情報を積極的に取りあげてきた。こうしたことはネットによって初めて可能になった。とくに日本のように海外の情報がメディアを通してそれほど入ってこない国では、海外の膨大な情報のなかから興味深いニュースを拾い上げ伝えることも重要なメディアの仕事になりうるのではないかと思ってきた。
 ウィキリークス以前に、インターネットやウェブの登場によって、こうした変化はすでに始まっていたという見方は正しいだろう。しかし、アクセスされ記事にされることを待っている膨大な機密情報を出現させたウィキリークスは、こうしたインターネットが生み出すべくして生み出した存在であると同時に、こうしたジャーナリズムのあり方に注目させたとは言える。

●ソーシャル・メディアの限界

 ウィキリークスはインターネットの申し子のような存在とはいえ、すべてが彼らの思い通りになったわけではない。
 とくに思惑違いだったのは、情報を公開すればネットで掘り下げられ追及が始まると思っていたことだ。そうした予想はあまりに楽観的だった。メディアもネットのブロガーたちも、公開しただけでは飛びついてこなかった。
 昨年12月1日に公開されたタイム誌のインタヴュー記事のなかで、ウィキリークスの創設者ジュリアン・アサンジュはこう言っている。

「われわれが最初始めたときには、ブロガーやウィキペディアの記事を書いている人たちなどによって分析的な仕事が行なわれるだろうと思っていた。上質で重要な情報をたくさん公開したので当然そうなると思っていた。中国の極秘情報やソマリアの内部文書とか機密情報などのわれわれが公開した情報について書くほうが、ニューヨークタイムズのトップページの記事や飼っているネコなどについて書くよりもずっとおもしろいはずだ。しかし、実際はそうではなかった。公開文書についてのハードな分析の仕事は、われわれ自身や、われわれがともに仕事をしたジャーナリスト、プロの人権活動家たちによって行なわれた。より広いコミュニティがやったわけではない」。

 ウィキリークスが立ち上がったのは06年12月だが、その後しばらくは情報を公開しても、期待したほどには話題にならず、ネットのコミュニティに対する当初の期待は裏切られ続けた。機密文書の読解はハードで、ソーシャル・メディアには限界があることをアサンジュたちは認識させられることになった。

●メディアの力学とアサンジュの計算

 09年10月9日の「コンピューターワールド」の記事でアサンジュは、公開した情報の重要さに見あった反応が起こらなかったことについてこう言っている。

「それは直感に反していた。文書が多ければ多いほど、また重要であればあるほどレポートされると思うが、そうではない。これは需要と供給の問題で、供給がなければ需要は高まり、価値が出る。資料を公開するとすぐに供給が無限大になり、そうすると認識される価値はゼロになってしまう」。

 ネットで公開し、誰でも見れるようになれば情報の価値は下がる。極秘文書でもあまり興味を持ってもらえない。けれどもごく一部のメディアにだけ情報を知らせるのであれば、情報価値は高くなり、メディアはスクープしてくれる。
 09年までの公開で大きな関心を引くことに失敗したアサンジュは、こうしたメディアの力学を見てとり、まずメディアに向けて情報を流すことにした。

 このやり方で最初に成功をおさめたのはイラク民間人への爆撃ビデオの公開だった。
 戦闘ヘリ「クレイジーホース」に乗った米軍兵士がロイターの記者や助けようとした民間人まで射殺していたことをこのビデオ映像は暴いた。
 アサンジュはアメリカの中枢ワシントンのプレスクラブで昨年4月にこのビデオを発表している。このビデオはいまも、ユーチューブでダイジェスト版とオリジナル版の両方を見ることができるが、世界中にスクープとして大きく報じられ、期待通りの成果をあげた。

 その後、英ガーディアンの記者がもちかけてメディアとの共同作業が始まった。こうした連携はまずはアフガニスタンの戦争記録で始まり、次にイラク戦争日誌、そして現在も続いているアメリカの外交公電の公開へとつながっていく。

 機密文書を公開しただけでは、ネットのコミュニティは飛びついてこなかったとはいえ、いったん記事になればコミュニティが貢献し、情報を拡散させ、また新たな情報をもたらしもした。ネットのコミュニティはそのままプロのジャーナリストの代わりにはならなかったものの、それぞれ異なった役割を果たしている、ということなのだろう。

afterword
 ともに仕事をしたメディアの記者たちは、アサンジュがひとの言うことをあまりに簡単に信じてしまうとびっくりする反面、傲慢で、しばしば怒り出したりもする厄介な交渉相手だと語っている。こうした態度の背景には、メディアをバカにしながらも、利用できるものはしてやろうというアサンジュなりの計算があるのだろう。

関連サイト
●アメリカの膨大な外交公電の公開を続けているウィキリークスの「ケーブル・ゲート」のサイト(http://www.wikileaks.ch/cablegate.html
)。発信地別に集計したサイトのグラフによれば、国務省、アンカラ、バグダッドに続いて東京のアメリカ大使館が4番目に多い。
●ウィキリークスがYouTubeにアップロードした米軍のイラク民間人射殺ビデオ。「付随的な殺人」というタイトルが付いている(http://www.youtube.com/watch?v=5rXPrfnU3G0&feature=player_embedded&has_verified=1
)。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.671)

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