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2009.03.23

日本語本は売れるけど、日本語が亡ぶ危機感はない日本人

ネット発で注目度が高まった『日本語が亡びるとき』は、
英語の覇権が進み日本語が亡ぶと「日本語の危機」を訴えている。
しかし、その提言は受け入れられるのか。
 
●日本語の本が亡びるとき

 

 水村美苗氏の著書『日本語が亡びるとき』は、インターネットという技術が追い打ちをかけて人類は「英語の世紀」に入り、「叡智を求める人」は国語で書かれたものを読む気がしなくなるという。
 この本はおもしろく刺激的だが、そればかりでなく、ネットでどう受けとめられたのかも興味深い、前回、少し触れたが、もう少しだけ見てみよう。

 本の奥付は10月31日なので、10月半ばに出版されたのだと思うが、11月7日からの数日でかなりのネット評が出ている。梅田望夫氏が11月7日にブログで、「水村美苗『日本語が亡びるとき』は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う」というタイトルの記事を書いたからだ。
 さらに翌日、梅田氏が、はてなブックマークのコメントは、本を読まずに書く「バカなものが多すぎる」とミニ・ブログで批判し、炎上状態になるというオマケまで付いて、注目度はいよいよ高まった。

 梅田氏は批判したものの、ネットでのこの本の「旬」は、ブログ界の寵児である梅田氏が取り上げたときだろう。
 何かひとこと書くならそのときが最適だった。さまざまなことが言われ「語られつくした」のを「消費された」というのだとしたら、ブログの登場で、本が消費される時間はすさまじく早くなった。日本語が亡びるかどうかはともかく、一冊の本が古びるスピードは確実に速くなっている。

●日本語が隔絶された環境で育った著者のラブレター?

 もっとも、この本は広い読者向けに書かれた本ではないだろう。
 一部の人に静かに、しかし強い印象を残して読まれるはずだったのが、梅田氏の強力な推奨のおかげで、嵐のようなネット評の渦巻きに突入することになった。
 予想外の多様な立場の人に読まれ評価されることになったわけだが、立場によって見方が大きく異なっていておもしろい。限られた誌面ではひとつひとつ取り上げられないのが残念だ。

「日本語が亡びる」のは、英語のパワーが増しているからだが、こうした状況に対処するために、この本は次のような提案をしている。

    1. 日本人全員をバイリンガルにするのは無理だし必要もないが、一部のエリートだけでもバイリンガルにして、日本人の言い分をきちんと海外に発信していかなければならない。
    2. ほうっておくと日本語は亡びてしまうから、学校教育で近代日本文学をしっかり読ませ、生き残れるようにする必要がある。

 ネットを見ると、かなり多くの人が「飛躍が多い」と感じたようだ。
 知的な作業のためにも、また自分たちの考えを広く伝えるためにも、日本語はもはや十分ではなくなっているとは思うが、だからといって「日本語が亡びる」とか「近代文学を読め」というのは唐突、というわけだ。

 言葉に関する興味深い逸話が満載されている知的快楽に満ちた読み物ではあるが、結局のところこの本は、水村氏の個人的な情念に支えられている。
 水村氏は、子どものときに親の都合でアメリカに連れて行かれ長く暮らしたが、英語には馴染めなかったという。夏目漱石などの近代文学に惹かれ続けて日本に帰ってきてみたら、世の中は変わっていた。近代文学を支えていたような「偉そうな男の人」たちはいなくなっていて、「『荒れ果てた』などという詩的な形容はまったくふさわしくない、遊園地のように、すべてが小さくて騒々しい、ひたすら幼稚な光景」が広がっていたそうだ。
 日本から離れていたことで募った日本語と近代文学への恋しさと、思いもしなかった国になっていたことへの絶望感がこの本を生み出したようだ。

 水村氏の個人的な感情に支えられている本ではあるが、普遍性がないわけではない。
 フランスをはじめとするヨーロッパでは、グーグルなどがもたらす英語の覇権に危機感を持ち、独自の検索の開発などに乗りだしているといった話を本欄でも何度か書いた。邦訳が出ている国立図書館長ジャンヌネーの『Googleとの闘い』や若いジャーナリストたちによる『ウィキペディア革命』など、フランスの知識人たちの本からはこうした懸念が見てとれる。アメリカの大学院でフランス文学を専攻した水村氏は、フランスの知識人の抱くこうした危機感を共有している。

 海外に旅行すれば、日本語では通じないし、英語の文献を探せば日本語とは比べものにならない。こういう意味で日本語はローカルで、知的作業のためには不十分。そういう意味では、日本語はもうとっくに亡んでいる。
 けれども、これまでは比較的そうしたことに気づきにくかった。海に囲われていて外国人との接触は限られているし、ネットがない時代には日本でアクセスできる英語文献も限られていた。ところがいまは、ネットにアクセスして、ちょっと検索すれば、誰でもすぐにその差がわかってしまう。
 英語文献にアクセスしにくければ国内にいる人びとの情報格差もつきにくい。しかし、いまは簡単に常時アクセスできるのだから、英語力しだいで情報格差やコミニケーション格差が開いていく。「日本語使い」であることのデメリットを感じて日本語から離れていく人が増えていくことは避けられない。

 水村氏自身、『新潮』1月号で、「書きながら日本語を救おうとすることにはたして意味があるのかどうか、いつもぎりきりのところで迷っていました」と言っている。書いた本人が、日本語の「救済」に意味があるのか迷っていたというのだから、読むほうが「救済」の部分を唐突に感じたとしても不思議はない。
 異言語の環境に置かれて、近代文学に恋い焦がれたという過去がなければ、この本は1の主張で終わっていたかもしれない。しかし、「日本語なんて役に立たない。捨ててしまえ」というミもフタもない話であれば、いくら梅田氏の推薦があっても広く受け入れられることはなかったはずだ。2があったからこそ広く読まれたことは確かだろう。

●日本語はやっぱり亡ぶ?

 水村氏が主張しているのは、日本語が消えてなくなるということではなくて、知的な意味での日本語の重要性が下がっていくということだから、亡んだかどうかは見方しだいだ。そして、2の提言が受け入れられる可能性は低いのではないか。
 水村氏が書くように、「ヨーロッパ人は、他民族の侵略に次ぐ侵略という過酷な歴史を生きてきたうちに自分たちの国を『発見』してきた」が、「日本人は未来永劫日本人であり続ける」と思いこんでいる。ネットでも、「日本語が亡ぶ運命だとしたらそれはそれでいいのではないか」と危機感を感じていない意見も多かった。
 1はかなり多くの人がその通りだと思うものの、ネットでは「トンでも本に近い」という評まであったぐらいで、2については無視されて終わるのではないか。
 水村氏のように「日本語を救いたい」という人があまりいなければ日本語が亡んでいくのを止める力は働かないだろう。

afterword
 あちこちのブログを読んでみたのは、この本を読んで1に対して反応した人が多いのか、2に対してなのかを知りたいと思ったからだ。一概には言えないが、この本に共感した人は1が多く、反発を感じた人は2が多いように思えた。

関連サイト
●梅田望夫氏の9月7日のブログ記事は568人が「はてな」でブックマークしている(http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20081107/p1)。梅田氏のブログ記事はブックマークが1000を超えるものもあるが、この記事は6番目に多い。
●ブログでの反響を調べることができるサイト「kizasi」で、「水村美苗」または「日本語が亡びるとき」が含まれているブログを検索してみた。Kizasi 11月2日までは週あたり5件前後にすぎなかったのが、11月3日から9日までが63件、次の11月10日から16日までがピークで272件になった。その翌週は93件に下がり、今年に入ると50件前後になったが、ミクシィなどもあわせれば、すさまじい数の書評が書かれたのだろう(http://kizasi.jp/show.py/detail?kw_expr=%E6%B0%B4%E6%9D%91%E7%BE%8E%E8%8B%97+%2F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%8C%E4%BA%A1%E3%81%B3%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%8D&label=)。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.574)

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