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2008.08.08

秋葉原殺傷事件の問題の根っこは残っている

「希望がない。人間として認めてほしい」という叫びが、「蟹工船」人気を呼んでいる。
そして、非正規雇用者と正社員のあいだには深淵が横たわっているようだ。
 

●度を超した認知欲求

 秋葉原の事件以来、無差別殺傷事件が続いている。世代も環境も違う私には、秋葉原の事件が起こった理由はわからないだろうと前に書いた。しかし、ネットの書きこみや、たくさん出ている就職氷河期世代の本を読むと、年齢や環境が違っても、十分に理解できるもののように思われてきた。というのは、まるでこうした事件が起こることを予言していたかのような文章がいくつも見うけられるからだ。それらを読むと、これらの事件は、いわば起こるべくして起こったもののように思われる。

 ただ、これらの文章からはあまり読みとれなかったこともある。
 不満や怒りを抱えている人は多いが、そういう人がみな無差別殺人をするわけではない。秋葉原の事件の犯人などは、認知されたいという強い欲求を持って犯行に走った。
 悪事がばれて自分の名前や顔を報道されたくないというのが一般的な犯罪者心理だろうが、無差別殺人者たちはまったく逆だ。自分が社会的に存在しているということが実感できなくなっていて、犯行が、報道されて認知され、「自己回復」するための手段になってしまっている。
 ほんとうにそれが達成できたのかはさしあたり本人以外にはわからないが、殺人が社会に認知される手段でしかないので、殺す相手は誰でもいいということになるのだろう。「誰でもいい」といって殺した相手が特定の誰かだったことに殺したあとになって気づくという一般の人には信じがたいことも、繰り返し起こっているように思われる。

 さらに、怒りを実際に爆発させた人々にはもうひとつ顕著な特徴があるようだ。家族と何らかの葛藤を抱えていたように思われる。無差別殺人者の認知欲求が異様に強いのも、そうしたことが関係しているのではないか。

●我慢も限界に来た‥‥

 こうした無差別殺人者独特の傾向はともかく、こうした事件が起こる背景のほうは、かなり多くの人に共有されているものだろう。
 ほかの時期に生まれていればふつうに就職できて結婚し暮らせた就職氷河期世代は、大学を出たときにバブル崩壊の時期にあたっていたためにきわめて正社員になりにくかった。それでフリーターや派遣などの職を転々とせざるを得なかった。規制緩和し競争原理を導入すれば日本経済は復活すると言われ、たしかに大企業は収益を改善させている。しかしそれで非正規雇用となった人々が正社員になりやすくなったかといえば、そうでもなかった。
 さらにここへきて、新卒者が以前とは比べものにならないほど容易に正社員として採用され出した。正社員になる時機を逃してしまった人々は、自分たちがどうやら決定的に取り残されてしまったといよいよ強い危機感を抱くようになった。親たちが年老いて援助がなくなれば、ホームレスになってさまよわなければならなくなる。人間らしい扱いをされないことに対して我慢に我慢を重ねてきたが、負け組はホームレスというのは限度を超えている。もう我慢できない‥‥。
 こうした不満がマグマのように溜まっている。

 「正社員になれないというが、若者は正社員になってもすぐに辞めるし、大企業でなければ就職できるだろうに、いつまでも夢見ていて甘い。自分たちだって苦労した」みたいな話を歳上の世代がしても意味がない。
 めぐり合わせが悪かっただけなのに、そもそも自分たちはなぜあきらめなければならないのか。社会に責任があるのに自己責任だというのはあまりに理不尽ではないか。そう反発されるだけだ。

●正社員と非正社員が対立する理由

 日本ではもはや高成長が望めないのであれば、非正規雇用者が自分たちの扱いを改善してもらうためには、誰かの待遇を悪くするしかない。正社員の地位が不安定になって自分たちが入れ替わるチャンスをつかむか、正社員の収入を減らして、そのぶんを自分たちにまわしてもらうしかない‥‥。こうした主張もかなり見られる。
 このように考えれば、非正社員の「敵」は、経団連でも政治家でもなく、たいして仕事をしていないくせに威張っていて、自分たちから見れば不当な高収入と安定した地位を得ている正社員ということになる。篠原涼子が主演したドラマ「ハケンの品格」は、こうした現実を巧みに戯画化したからこそ、高視聴率を獲得したのだろう。
 正社員と非正社員で対立するなんて、なんと不毛な話しかと「正社員陣営」は思うかもしれない。自分たちだって、長時間労働やサービス残業を強いられ、辞められるものなら辞めたいと思っている。しかし、正社員の地位からドロップアウトした人々から見れば、彼らはまぎれもなく「勝ち組」だ。

 こうしたことについて、小泉首相を支えてきた経済学者、たとえば竹中平蔵氏ならこう言うだろう。規制を緩和する一方で、セーフティネットを整える必要があると自分は言ったが、十分に実現されなかった。それは認めるが、規制緩和が不徹底なものになっていることこそが問題なのだ、と。
 労働市場の規制緩和によって、正社員の流動化が進めば椅子がしょっちゅうあくわけだから、非正規雇用者も正社員になりやすい。また、正社員も過労死寸前といった職場から転職することができ、不当な労働を強いる会社は淘汰されていく。けれども、このほうの規制緩和は実現しなかった。現実には、企業は非正規雇用を増やす一方で、少数に絞りこんだ正社員には長く働き続けてもらいたいと思っている(実際にそうした待遇をしているかどうかはともかくとして)。
 こうして正社員の流動性は十分に生まれず、人間らしい扱いをされない低賃金の不安定な仕事ばかり増えたのだから、非正規雇用者はたまらない。
 社会の安定の土台が崩れてしまった‥‥というのが今の状況だろう。

●規制緩和がたりないからこうなったのか

 私の実感からすると、規制緩和がもっと行なわれれば、それでただちに問題が解決するとも思えない。
 出版界は流動性の高い労働市場にかなり早くからなっていた。ほかの会社に移るのはそれほどむずかしくなかったし、非正規雇用であっても、それ相応の実績があれば正社員にもなれた。ただし、そうやって移りやすかったのは、出版市場が拡大していたときだ。出版市場が縮小し始めると、そうはいかなくなった。座れる椅子自体が減っているときには、椅子を変わるのはたいへんなことになる。
 この理屈は、出版界だけのものではないだろう。
 日本経済が拡大するのであれば規制緩和をしてもうまくいくが、そうでなければ、厳しい椅子とりゲームが待っている。
 規制緩和派の経済学者たちは、規制緩和によって経済成長ができると主張したが、成長していなければ規制緩和はしにくく、反発も起きる。これではいつまでも堂々めぐりだ。
 ではどうすればいいのかということになるが、それは次回。

afterword
 最後に書いたようなことに解決策はないだろうとずっと思っていた。しかし、そうではないようだ。かなり画期的な解決策を北欧社会が実践していることが、フィンランドの経済研究所のサイトでわかった。次回を乞うご期待。

関連サイト
●赤木智弘氏の「希望は戦争」という言葉で有名になった昨年1月号の「論座」に掲載された文章は、秋葉原の事件を予言していたものであることに気づく。その「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」はネットの赤木氏のサイトで読める(http://t-job.vis.ne.jp/base/maruyama.html
●アルファブロガーの小飼弾氏は、赤木氏の著作を読んで、「笑い」が必要、と書いている(http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50969521.html)。自分は成功したから笑っているのではなくて、笑っていたから成功したのだという。前向きでいないと事態が打開しないというのはそのとおりで、個人的に相談に来た氷河期世代の若者に伝えたいような言葉だ。ただ、気持ちの持ちようを変えることだけに解決をゆだねてしまうわけにもいかないだろう。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.544)

 

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