« 不謹慎なネットでの情報発信か、それとも一歩前進か? | トップページ | ゼロサム・ゲーム時代の「革命」 »

2008.07.25

おじさんたちには秋葉原の事件は理解できない?

秋葉原の無差別殺傷事件の犯人を神とあがめる声が上がる一方で、
まったく理解できないという人もいる。
両者を隔てているものは何なのか?

●無差別殺人犯が「神」である理由

 秋葉原の殺傷事件に関連するネットの書きこみのなかで、興味深かったのは、2ちゃんねるの派遣業界の板だ。派遣の立場で働いていて事件は他人ごとではないと感じる人も多かったようだ。「秋葉原通り魔・加藤智大は神!批判する奴は死ね!」というスレッドが立った一方で、「秋葉原通り魔・加藤智大はゴミ! 批判する奴は神ね!」というスレッドも立った。「加藤智大は神」のほうはかなりのスピードで書きこまれ、何度もスレッドが更新されているが、最初のころのスレッドの冒頭には、「加藤智大が神であるわけ‥‥理解しにくい人のために」との前振りで、次のように書かれていた。

 『超越性』‥‥行動が、一般人を超越・逸脱しているから。一般人は思っていても実行しない。良くも悪くも人間の仕業ではない。それができるのは神に違いない。
 『啓示力』‥‥社会問題を広く世間に啓示(=神が人に教え示す)した。当事者に自分自身が抱いている社会に対する不満や怒り、絶望への気付きを与えた。さらに、自分たちにも反撃力があること、我慢や泣き寝入り以外の道があることを気づかせた。
 『象徴性』‥‥今回の事件で様々なことについて加藤智大を象徴(シンボル)として議論がなされている。 加藤智大という象徴を媒介として、人と人あるいは自分自身の内部で対話が生まれている。 すでに人間・加藤智大の実像からかなり離れて象徴が語られていると思われる。
 『救済性』‥‥社会的に不利益な扱いを受け尊厳を踏みにじられた人たちの声なき声、思いを行動で代弁した。ざまー見ろといった一部の人たちが持つ、社会に対する報復欲求や攻撃欲求が充足された。情緒的な面での救済性の強さが、加藤智大が崇拝されている大きな理由でしょう。一方で、事件の被害者など救われない人たちが新たに生じたのも事実である。
 加藤智大は、神業ともいえる超越的行動で、一部の虐げられた人びとを情緒面で救済するとともに気付きと勇気を与え、自らが非難や賞賛の対象すなわち象徴となることにより対話を促進し、結果的に社会に対して問題提起を行い、社会改善の機会を与えた。よって、加藤智大は、神である。

 この文章に対しては、「こんなことを言う奴らは頭がおかしい」という反発もあった。その一方、この文章を「名文」と称える声もあった。
 「2ちゃんねる文学」とでもいったものがもしあるとすれば、たしかにこの文章はその模範例と言ってもいいかもしれない。「神」と言いつつ、加藤の行為を突き放し、「事件の被害者など救われない人たちが新たに生じた」と書くバランス感覚も備えている。つまりあくまでもシニカルでありながら、巧みにあおり、事件について考えさせているという意味で、「2ちゃんねる文学」の模範例である。
 こうした文章をあまり誉めると「炎上」しかねないのはわかっているが、この事件のもたらしたインパクトを短い文章で巧みに言い表わした戯文としてはよくできていると思う。

●苦しいのは若者か、おじさんたちか?
 
 ‥‥などと書いたものの、私は、この事件を知ったとたん、これは自分にはとても理解不能だ、と思った。私がこの事件を聞いたとき、まず思い浮かべたのは、すでに死んでしまった年上の編集者の言葉だ。
 「スーパーエディター」などと自称していたその編集者は、「若いうちは貧乏でも何でもないんだけれど、年取ってカネがないと冗談ではすまないんだよ」とぼやくように言った。会社と大ゲンカしながらも辞めない理由としてそんなことを言っていたような記憶があるが、たしかに若いときは、貧しい暮らしをしていてもつらくはなかった。風呂なしトイレ共同の狭い部屋や、冬でもしばしば水しか出なくなるアパートでも、それはそれで楽しかった。
 むしろ年をとってからのほうが、たとえば会社にいれば、上司と部下のあいだに入って胃が痛くなる日々を過ごさなければならなくなる。若いときは、カネがなくてもそれは自分だけの問題だが、家族がいればそうはいかない。この編集者が言いたかったのはそういうことだろう。
「週刊アスキー」で編集人の福岡さんが、若いときには、桜が咲いても感動しなかったが、年をとると、うれしいといったことを書いていた。それはとてもよくわかる。若いときには、桜が咲くなどということ以上に刺激的なことも楽しいこともあった。ただ年をとると、桜を見る以上に楽しいことなどそんなにはなくなる。

●現実の苦難よりも、将来の苦難のほうが恐ろしい?

 事件の報道を聞いて、私がまず思い浮かべたのはそんなふうなことだ。こんなことを思っていたのでは、とてもこの事件のことがわかるはずはない。「なに寝ぼけたことをいってるんだ」と若い派遣の人たちに思われても仕方がないだろう。
 若いときにカネがなくてもなぜ楽しかったかといえば、それは、ずっとおカネがないわけではないと思っていたからだ。「人生いいときもあれば悪いときもあり、若ければ先々いくらでも変わる」というのがおじさん的感覚だが、いまは、おカネがなくて結婚もできない生活がこのままずっと続き、年をとれば仕事が見つかりにくくなっていよいよ生活が苦しくなっていく恐怖をまざまざと感じている人たちがかなりの数いる。そして、加藤もケータイ掲示板に書いていたように、「すべて自分が悪いんだ」と半分は思いつつも、何でこんなことになったんだと誰に向けて爆発させたらいいかわからない怒りを抱えている。「ざまー見ろといった一部の人たちが持つ、社会に対する報復欲求や攻撃欲求が充足された」という2ちゃんねるの先の言葉はそうしたことを言い表わしているのだろう。

 しかし、誰に向けていいかわからない怒りではどうしようもない。そのことは、加藤という男もわかっていたのではないか。けれども彼は、現実的な解決へ向かうことなく、みずからの怒りを爆発させただけだった。
 派遣業界の板では、「派遣労働者の全国一斉ストライキ」といったスレッドも立っていた。悪いのは、中間搾取をしている派遣業界なのか、それとも派遣の受け入れ先企業なのか。結局、過激派セクトが暗躍しているといった話が出て分裂気味になってしまったようだが、合法的で現実的なアピールの方法を探っていた。問題の根っこがどこにあるのか、そして解決するためにはなんらかの連帯をするしかないことが意識され出していた。

 こうした動きがほんとうに有効なのかについては、たとえばグローバリズムの時代に全体のパイが増えない以上、非正規雇用が増えるのは仕方がないといった醒めた見方もあるだろう。しかし、当事者が連帯して声を上げないと、問題点がなかなか改善されないことは確かである。
 次回は、20代後半から30代前半のバブル崩壊以後に社会に出た就職氷河期世代からの興味深い発言を取り上げてみたい。

afterword
 言うまでもないことのように思うがいまだに理解されていないのは、就職氷河期世代が正社員になれなかったのは社会的要因が大きいということだ。それについて理解されないことが疎外感を大きくしている。

関連サイト
2ちゃんねるの派遣業界の板(http://money6.2ch.net/haken/)。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.542)

« 不謹慎なネットでの情報発信か、それとも一歩前進か? | トップページ | ゼロサム・ゲーム時代の「革命」 »

秋葉原殺傷事件」カテゴリの記事

2014年8月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31