困りものの裁判員制度
裁判員制度が始まる日が近づいているが、
この制度にはいろいろと問題点があることが指摘されている。
どんな課題があるのか見てみよう。
●水戸黄門好きと裁判員制度は相性が悪い
「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「遠山の金さん」といった時代劇は、長らく日本人のお気に入りのドラマだった。
デジタル時代になってもそれは変わりないらしい。
最初のふたつは、ウィキペディアでも長大な解説ページができている。そうとう好きな人がいるようだ。シリーズごとの詳しい内容説明まで書かれているから、おそらくDVDでも持っている人が書いたのだろう。
このように好きな人には申し訳ないけれど、私は、これらのドラマがどうも苦手だ。
それまでしたい放題の悪人どもが葵のご紋や桜の彫り物を見たとたんひれ伏すのを見ると、「やれやれ」と何だかもの悲しい気分になってくる。なんてお上に弱い国民なんだろう。「カムイ」のように、お上に盾突く革命気質に満ちた物語で人気を呼んだものは、日本では少ないのではないか。
そう考えると、「なんだ、このやろう」と黄門ジイさんや金さんに刀を抜いて挑みかかる悪人どもがかわいらしく見えてくる。‥‥などといったことを書き始めたのは、今回は、裁判員制度をとりあげようと思っているからだ。
裁判員制度では、いうまでもなく、「お上」の裁判官だけでなく、「しもじも」の者も加わって裁判が行なわれる。「お上ドラマ」が大好きな日本人にとって、こういうのははたしてどうなんだろう、と思ったわけだ。「裁かれるなら、やっぱりお上のほうがいいや」と思う人が多いのではないか。
日本の裁判員制度では、被告に選択権はない。
殺人や強盗致死傷、放火、誘拐などの重大犯罪については、すべて裁判員制度の対象になる。しかし、アメリカなどでは、陪審裁判を受けるのは「被告の権利」ということになっているので、裁判官による裁判と選択できることになっている州が多い。
もし日本でも選択できたら、はたしてどちらが選ばれるだろうか。
じつは日本でも戦前は陪審制度があって、公訴事実を争っているなどいくつかの条件に合致している事件の場合には選択できた。
しかし、陪審裁判を選んだ被告は少なかった。
選びにくい制度になっていたこともあってそうした結果になったようだが、感情に動かされやすいシロウトの裁判員よりプロの裁判官のほうがいいと思った被告もいただろう。
私も、ついこのあいだまではそう思っていた。
しかし、裁判官によるこれまでの刑事裁判は、どうもあまりに問題が多いようだ。そうしたことがわかってくると、プロの裁判官に任せておけばそれで万々歳という気分にはなれなくなってきた。
●ひどい司法制度にしたのは誰だ?
無罪判決を出すと、裁判官の業績評価が悪くなるといったことは、裁判の問題に触れた本でしばしば書かれている。
また、日本の裁判は、先進国の趨勢とかけ離れ、自白を重視する。だから捜査当局は、無理やり自白をとろうとし、罪を認めない被疑者を保釈せず、「人質司法」などと呼ばれている。
認めなければ保釈しないというのは一種の拷問だと思うが、もはや当たり前のようになっている。
こうなってしまった責任は、第一に、こうした状況を認め続けている裁判官にある。裁判官が、無理にとられた自白調書は問題あると採用を認めなければ、こんなことは続けられなかったはずだ。
冤(えん)罪事件の記録などを読むと、裁判官が常識的な判断をしていないと思われることはよくある。司法の世界で当たり前になっていることが一般的には当たり前でない、ということもある。
そうしたことを知ると、裁判官による裁判と裁判員による裁判のはたしてどちらがいいかは一概に言えなくなってくる。
●裁判員は裁判官を論破できるのか
とはいえ、来年5月から始まる日本の裁判員制度は、アメリカなどでやられている陪審員制度とも、戦前の陪審制度とも違う問題の多い制度であることが指摘されている。
アメリカの裁判ドラマを見ればわかるとおり、アメリカの陪審制度では、裁判官は、裁判員の評議に加わらず、有罪・無罪の判断もしない。それに対し、日本の裁判員制度では、裁判官3名と、一般人からなる裁判員6名の合議だ。
裁判官は、裁判員に尋ねられたとき自分の考えを押しつけるのではなく、「常識で考えてください」と答えるのが模範解答らしい。とはいっても、プライドの高い裁判官が、自分たちの意見を裁判員に頭から否定されたとき、どういう態度をとるかは、控えめに言ってかなり微妙だろう。
法律の知識では、裁判官と裁判員では比較にならない。
それでも、3人の裁判官の意見が割れれば、裁判員も意見が言いやすい。しかし、こうしたケースは少ないと見られている。裁判官たちは、いずれも「司法の世界の常識」のなかで生きてきて発想が似ており、有罪判決慣れもしている。3人の裁判官が一致して「被告はクロ」と言った場合、裁判員は論破できるだろうか。
評決は単純な多数決ではない。
裁判官と裁判員どちらも一人は評決に賛成していることが条件だ。つまり裁判員が自分たちの判断を通すためには、裁判官を説得しなければならないのだ。
しかも裁判官は、裁判が始まる前にこれまでの裁判以上に、強い有罪の予断を持ってしまっている可能性が強い。
公判以前に、検事と弁護士が集まって争点を決め、公判で出す証拠を決定する公判前整理手続きが行なわれる。公判前手続きでは、検察側の資料が多く、裁判官は検察側の主張にそって事件を思い描きがちである。
陪審制度を採用した多くの国では、予断を持って裁判にあたらないために、公判前整理と公判では別の裁判官が担当することになっている。
しかし、日本の裁判員制度ではそうではない。
公判前手続きには裁判員は参加せず、裁判官のしきりで証拠や争点が選ばれる。さらに公判では、予断を持った裁判官が強い権限を持ち、裁判員を誘導する可能性がある。
弁護側は、これまでの裁判よりは捜査当局から証拠物件などを見せてもらえるようだが、証拠のリストが渡されるわけではない。どの証拠と指定して提示してもらわなければならない。あることを知っているものについてしか見せてもらえないわけだ。
●裁判の秘密は、永遠に闇の中
そして、何より困ったことには、裁判官が強引に誘導するなどの禁じ手を使っても、裁判員がそれを大っぴらにすることはできない。
評議の秘密を漏らしてはならないという決まりがあり、それに違反すると処罰される。問題点があっても、明らかにはならない。
裁判員制度は、裁判の権威を守りたい人びとによってなかなか周到に準備されている。
こうした裁判の裁判員になるかもしれない日が刻々と近づいてきているわけだが、もし被告になったら、そのときどういう裁判で裁かれたいかについて、次回ももう少し考えてみたい。
afterwards
裁判員が、裁判官の誘導によって判断するようであれば、裁判員制度は意味がないどころか、問題の多い裁判にお墨付きを与えるカモフラージュ役として裁判員が使われるだけ、ということにもなりかねない。
関連サイト
●裁判員制度の開始の延期を求める決議をする弁護士会も出てきた。新潟県弁護士会(http://www.niigata-bengo.or.jp/info/resolution/resolution.shtml?416)の裁判員裁判実施延期決議。
●裁判員制度に反対する「裁判員制度はいらない!大運動」のサイト(http://no-saiban-in.org/index.html)。6月13日に日比谷公会堂で集会をするらしい。
(週刊アスキー「仮想報道」Vol.536)
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