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2008.06.27

メタボ健診と裁判員制度――「余計なお世話」などというとタダではすまない?

政府が、「健康のためには痩せたほうがいい」とか、
「国民はもっと司法制度に関心を持つべきだ」と言い始めた。
否定しようのない理屈の背景にあるものは何なのか。

●ジャック・バウアーも落とせるメタボ健診

 4月にアスレチッククラブに行ったら、とても混んでいた。腹筋のマシンが異様に混んでいる。それで理由がわかった。混んでいるのは、メタボ健診のせいだ。
 40歳以上の男性は腹囲85cm以上、女性は90cm以上で、さらに血圧や血糖、コレステロールについて2つ以上、基準値を超えるとメタボ、1つ以上で予備軍に分類され、保健指導を受けなければならない。厚生労働省は、男性は2人に1人、女性は5人に1人がメタボもしくは予備軍に該当し、それは、全健診対象者の1/3の1960万人にのぼると見ている。
 この健診や保健指導を受けなかったり、成果が上がらないとペナルティを課される。それも、本人ではなくて、健康保険組合や自治体が課される。企業の健保の場合は会社の負担になるわけで、メタボ社員は、人事や賃金の面でひそかに不利な扱いを受ける恐れも皆無ではない。
 拷問にガンとして口を割らない情報部員も、家族などを捕まえて脅せば落ちる。それと同じ理屈で、「もっと健康に気をつけないといずれひどい目にあうぞ」と本人にいくら言っても馬耳東風かもしれないが、「まわりに迷惑がかかるぞ」と脅されれば弱い。こうした心理を突いたじつにイヤミなやり方で、よくこんな制度が成立したものだ。

●自己責任が連帯責任であるヘンな国

 これまでは、不摂生して健康を損なうのは自己責任だった。しかし、そうした時代は過ぎ去りつつあるらしい。「もはや健康は連帯責任だ」というのが、この制度の趣旨である。
 自己責任というのは、04年にイラク邦人人質事件のときにさかんに使われた言葉だが、そのときからどうも妙な気がしていた。「退避勧告が出ている危険なところに行ったのだから自己責任だ」などと言われたが、この言葉の意味は、「自分の責任で行動してね」ということではなかった。アメリカで自己責任といえば、おそらくこうしたことだろう。しかし、「危険なところに行って政府に迷惑をかけるようなことはするな」と社会に対する責任が問われた。つまり、自己責任といいつつ、じつは社会的責任を求めるのが日本的自己責任なのだ。日本は、どんなに近代化しても、依然として村社会で、自己責任という言葉はあっても実態はどこまでも連帯責任である。
 奇妙なメタボ健診の制度ができたのも、こうした社会的背景があってのことではないか。自己責任ということが声高に語られるようになったころから、連帯責任を求めるムードが逆に強まったように思う。
 このところ取り上げている裁判員制度もまた、その是非はともかく、連帯責任強化のトレンドに乗ったものである。
 前回書いたように、裁判員制度は、主体的に国を統治するという意識を国民に持たせる必要があるという司法制度改革審議会の意見書によって生まれた。
 メタボ健診と裁判員制度には直接の関係はもちろんないが、「メタボ健診とかけて裁判員制度と解く」。その心は「余計なお世話」‥‥といった軽口ぐらいはたたけそうだ。直接的な関係はないといっても、国が個人に介入しよう、あるいはするべきだという共通の発想を見てとることができる。そうやって介入を試みたとしても、「それほど反発を買うことなく、何とか通るだろう」という「読み」もあってこうした制度は生まれたのだろう。小泉政権下で企業に対しては規制緩和が進んだが、個人に関しては逆に規制が強まった。

●メタボ健診によって財政負担は減るのか?

 国民を動員するこうした考えを露骨に示すのはさすがにためらわれるようで、オブラートに包んだ結果、何のためにやるのかよくわからない政策が次々と生まれるという摩訶不思議なことになっている。
 メタボ健診は、高齢化社会になって成人病患者が増えれば、医療費が増大し、国家財政が破綻するということで始まった。しかし、新たな健診や保健指導によって当面の財政負担は増大するのではないか。成人病予備軍だった人が一挙に成人病として認定されれば、医者にも通うだろうし、薬も必要になる。
 厚生労働省が作成した医療費適正化計画案によれば、将来の成人病患者が減り、長期入院の削減などほかの対策とあわせて10年間で医療費が1兆円削減できるという皮算用だ。行き場所のない長期入院患者を無理やり退院させるのは、適切かどうかはともかく、財政削減にはなるかもしれない。しかし、メタボ健診や保健指導は今年度の国の予算だけで500億円が計上されている(このほか自治体や健保、被保険者も負担が生じる)。さらに今後、大量の成人病患者が顕在化し、治療代や薬代が発生すれば、メタボ健診によって財政削減どころか財政の肥大化になるのではないか。
「国民の健康のため」ならけっこうだが、財政削減が目的で、しかもその効果については(控えめに言っても)あやふや。確実なのは、一部の人々のポケットが膨らみ、この制度を作った人々の利益になるということである。メタボ健診は、自民党の支持団体である医師会や、官僚たちの天下り先企業の薬業界などに色目を使った政策という見方もできるだろう。

●理由の定かでない制度が相次いで生まれている

 裁判員制度についても、国民への教育などと大上段なことを言っていたのでは理解されないと思ったのか、こうした物言いは影を潜めるようになってきた。
 先月末に自由人権協会というところが主催したシンポジウムでも、賛成派の弁護士や裁判官が、最高裁は司法制度に問題があることを認めたわけではないが、裁判員制度の導入が決まったときよりは謙虚になってきたといったことが指摘された。
 東大総長も務めた刑事法学者・平野龍一氏が20年以上も前に「日本の刑事裁判は絶望的」といった制度が少しは変わる可能性が出てきたわけだが、「絶望的」だから変えるのか、「国民への教育」だから変えるのか。その隔たりは限りなく大きい。もともとあったはずの教育目的がしだいに影をひそめ、何の意味があるのかあやふやになりながら、「ともかく決めたことはやる」と第二次世界大戦突入時と同じモードになっている。
「第二次大戦前の雰囲気に似てきた」といったことは少し前から、どちらかといえば左よりの人々が言い始めた。ふと気がつくと、世の中が変わって自由のない国にいつのまにかなっているというわけだ。当時とは状況が違うし、まさかそんなことはないだろうと思っていたが、財政事情や国民参加の司法制度などともっともらしい説明をしながら、連帯責任を押しつける制度が相次いで生まれているのを見ると、今後10年か20年たってもいまのような自由があるかどうかはかなり危うい気がしてきた。「余計なお世話」などと言うと「非国民」と白い目で見られるなどといったことには、いずれなるのではないか。

afterword
「主体的に統治にかかわれ」というのが「正論」であるにしても、それは、最高裁も可能性を認めて対策を講じ始めたような、心的外傷まで生じる恐れがある死刑判決を出させる仕事にいきなり就かせることなのか。突飛で奇怪な論理の飛躍があるように思う。

関連サイト
●司法制度改革審議会の意見書(http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/report/ikensyo/)。じつは、国民が統治者(お上)としての政府観から脱することも、司法制度改革のねらいのひとつとしてあげられている。しかし、裁判員制度は、「裁く立場になれ」というわけだから、国民を「お上」と一体化させようということなのだろう。
●通称メタボ健診(特定健康診査)や、大騒ぎになっている後期高齢者医療など厚生労働省の医療制度改革のページ(http://www.mhlw.go.jp/bunya/shakaihosho/iryouseido01/)。医療費適正化計画案にもアクセスできる。医療制度改革は、労働市場の規制緩和と並んで、「小泉改革」のなかのとりわけ大きな負の部分だろう。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.538)

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