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2008.06.20

裁判員制度に反対する理由

「裁判員制度に反対」といってもその理由はさまざまだ。
ネットや出版物をあれこれ見てまわると、
激論が交わされていることがわかる。

●裁判員にはなりたくないにしても、制度は必要か

 裁判員制度について、テレビや新聞はさかんに取り上げている。ただそうした報道の大半は、実際に選ばれたらどうなるかといったことだ。問題点にまで踏みこんでいるものはまれだ。

 裁判員制度が決まる過程では、もちろんもっと突っこんだ報道もあった。けれども、法律関係者以外にとっては、そのころはまだ毎日の仕事に忙しくて、何か騒ぎになっているらしいな、ぐらいの印象だったのではないか。しかし、来年5月に始まることが決まり、今年中には、裁判員候補になる人が出てくる。数百人を超える雇用者のいる会社ならば、毎年一人以上が裁判員候補になっても不思議はない。

 前に、その年に裁判員に選ばれる確率は3500人に1人といった数字を紹介したけれど、もっと多い可能性もある。「思想信条から人を裁きたくない」などと忌避する人が大量に出れば、多めに候補を選ばなければならなくなる。関心が高まってきた今こそ、問題点まで踏みこんだ報道をすべきだろう。
 内閣府などがやった今年始めの調査では、「参加したい」と「参加してもよい」と答えた人はあわせて15・5パーセントしかいない。「あまり参加したくないが、義務なら参加せざるをえない」と答えた人が44・8パーセント、「義務でも参加したくない」が37・6パーセントで、参加したくない人が以前の調査より増えている。
 ただ、だから裁判員制度は止めたほうがいいと考えるのは少し短絡的かもしれない。喜んで人を裁きたいという人が多いほうがずっと不気味だ。やりたくないというのは自然で、やりたくはないがこうした制度は必要と思うかが重要だろう。

 中央調査社という調査会社がそれについて尋ねている。06年8月の調査だが、裁判員制度が「必要だと思う」と「どちらかといえば必要だと思う」と答えた必要派が38パーセント。「どちらかといえば必要ないと思う」と「必要ないと思う」が38・3パーセントと拮抗している。とくに若年層ほど必要派が多い。20歳代は46・2パーセント、30歳代は44・2パーセントである(50歳代は39・3パーセント、60歳以上は29・7パーセント)。参加したいかどうかという調査よりはポジティヴな答えが多いようだ。ただし、03年より、必要派が12パーセント近く減少している。参加したくない人は年々増えているので、この調査から2年近く経ったいま、必要派ももっと少なくなっているだろう。

●ただ「プロの裁判官を信用しろ」と言われても‥‥

 「裁判員制度に反対」という人は多いが、その理由はさまざまだ。
 裁判官出身者からは、シロウトが裁くのでは誤審が増える、シロウトを加えるのではなくて自白偏重などの問題点を直すだけにしろ、という批判がある。少なくとも裁判員制度が決まるまでは、最高裁もこうした考えだったようだ。
 だけど、そもそもプロの裁判官まかせで長く問題点が解消されないできた。そうした事実があるのに、それを無視して、「プロの裁判官を信用しろ」と言われても困ってしまう。たとえば、推定無罪というのは刑事裁判の基本中の基本だが、そうしたこともしばしば無視されている。

 また公判で証拠にできる調書は、「その供述が特に信用すべき情況の下にされたものであるときに限る」と刑事訴訟法に書かれている。この文章を読めば常識的には、そうとうに限られた場合にしか証拠として認められないんだな、と思うが、実際にはたいてい証拠として認められている。刑事訴訟法に反しているとしか思えない。

 長く問題視されてきたのに、改善のきざしはまったくなかった。
 裁判員制度の導入が決まり、このままでは、裁判員から自白の証拠価値に疑問が持たれ、検察側が困ったことになるとはっきりしてきて初めて、ずっと認められてこなかった取り調べ中の録音・録画などが限定的ながらも行なわれることになった。
 こうした経緯をいっさい無視して、「プロの裁判官を信用しろ」というのはありえない話だろう。 

●裁判員の呼び出しは一種の「赤紙」?

 これと正反対の立場からの「裁判員制度反対!」もある。
 一般人だけで評議し、控訴を認めないアメリカなどで行なっている陪審制度こそ望ましく、裁判員制度は、裁判官の誘導が行われるという主張だ。
 裁判員の呼び出しは、一種の「赤紙」で、国民を治安維持の前線に駆り立てようとする策謀にほかならないという意見もある。何だかあまりに仰々しくて妄想にかられた陰謀論のように思えるかもしれない。しかし、「策謀」かどうかはともかくとして、司法の世界で国民にもっと積極的な役割を担ってもらうといったことは、裁判員制度が生まれるきっかけになった司法制度改革審議会の意見書にも書かれている。だから、「治安の前線に駆り立てる」というのも、まったく根拠のない「妄想」とは言い切れない。

 憲法は裁判官による裁判を保証しているので、裁判員による裁判は憲法違反だという憲法論からの反対意見もある。最高裁も、そうした疑いをほのめかして国民の司法参加を威嚇したことがあるようだ。しかし、結局のところ違憲かどうかは最終的に最高裁が決めるわけだ。だから、最高裁が裁判員制度を定着させようと熱心になっている現状では、法律論としてはどうあれ、違憲になるはずはない。

●裁判官と裁判員、裁かれるならどっちがいい?

 あれこれ主張を見てきてひとつはっきりわかるのは、刑事司法は何もせずに放置しておくにはあまりに問題がありすぎる、ということだ。
 たしかに裁判員制度は、裁判官に誘導されて一般人が誤審の体裁のいい「盾」にされてしまう恐れがある。また、とくに被告が無罪を主張している否認事件で、死刑などの重い刑罰について判断しなければならない裁判員の心理的・物理的負担は不当なまでに大きい。こうしたマイナス点と、「裁判制度が変化のきっかけになる」プラスのどちらをとるのか、ということになる。

 前回、「お上」意識が強い日本人は、裁判官による裁判のほうを好むかもしれないと書いた。しかし、自分がもし冤罪(えんざい)で罪に問われるようになったときに、裁判員の合議による判決と裁判官による判決のどちらがより諦めがつくかと考えてみると、少なくとも私の場合は、常識的な判断力のある人々が長時間にわたって真剣に議論したうえで下してしまった誤審のほうだと思う。
 ただこの前提は、すでに現在の裁判員制度とはくい違っている。
 「7割の裁判は3日以内に終わります」と迅速に終わることを政府はさかんにアピールしているが、言うまでもないけれど、私たちも被告になる可能性が皆無ではないのだ。
 「うーん、検察側の言うことはちょっと怪しいと思ったけれど、時間がないし、とりあえず有罪にしておきました」なんてことで、死刑になったり無期懲役になるなんてことでいいと思う人はいないだろう。

afterwards
 裁判員制度についての議論はたくさんあるけれど、「裁かれる立場になったらどうする?」といった議論はほとんど見あたらない。確率的には低いにしても、そうした可能性はゼロではない。そして、「被害」を受けるとしたら、そのほうがはるかに大きい。

関連サイト
●裁判員裁判への参加意向。参加したいかどうかよりも、裁判員制度が必要と思われているかどうかが重要と上に書いたけれど、「参加したい」と「参加してもよい」と答えた人があわせて15・5パーセントしかいないというのはあまりに少ない。最高裁による「裁判員制度に関する意識調査」(08年3月)(http://www.saibanin.courts.go.jp/topics/pdf/08_04_01_isiki_tyousa/siryo1.pdf
●裁判員制度の必要性に関する調査。「必要だと思う」と「どちらかといえば必要だと思う」があわせて38パーセント。「どちらかといえば必要ないと思う」と「必要ないと思う」が38・3パーセント。2006年12月に公表された中央調査社の「裁判制度に関する世論調査」より(http://www.crs.or.jp/59021.htm)。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.537)

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