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2008.04.11

「個人の情報発信はマスメディアとは違う」のか?

ネットが広がると同時に始まったともいえるタイトルのような問いに、
法的な指針がひとつ出された。
「誰もが情報発信者」の時代ならではの興味深い判決だ。

●「困りもののマスコミ」
 

「マスコミには困ったものだ」というのは、ネットではことのほか盛り上がるテーマだ。
 私もこの欄でそういう調子で書いたことは何度かあるが、このところできるだけそんなふうには書かないようにしている。
 雑誌で原稿を書いている私が「マスコミの人間」ということになるのかどうかはよくわからない。ひとりで原稿を書いているので、自分ではそういう意識はない。
 新聞などのオーソドックスなメディア組織の人々には、「あいつはマスコミの人間ではない」と思われ、一方ネットでは、「あいつはマスコミの人間だ」とコウモリのような存在になっているのかもしれない。しかし、そもそも雑誌というのは、客観性を重視する大手マスコミと個人の情報発信のあいだのような存在だろう。

 他人がどう見ているのかはともかく、自分としてはマスコミと違った視点で書いているつもりなので、マスコミのやっていることには批判の目も向けてきた。
 けれども、「マスコミには困ったものだ」というムードがあまり強くなってくると、はたしてそれでいいのかという気になってくる。深刻な報道被害もあるので問題があることは確かだが、ただ、やみくもに不信感が高まると、結局のところ困るのはわれわれではないだろうか。

 マスコミ批判のかなりの部分には、「高給を取っているマスコミ」に対するやっかみみたいなところがある。たしかに高給のマスコミ人も少なくはないが、ほかの業種同様みんなが高給というわけでもない。
 それに実際のところ、ある程度お金の余裕があるから「清く正しく」をやっていられるといったところもあるわけで、金銭的に行き詰まってくれば、「困りもののマスコミ」と言われるようなことは増えていくにちがいない。

 さらに、「マスコミは」と一括りで書く気になれなくなってきたのには、新聞社だとかテレビ局だとか、いわゆるマスコミらしいマスコミの人の考えを直接聞く機会も増えてきたからだ。
 外部から見れば、彼らの情報発信はすべて「マスコミの仕事」ということになるけれど、当然ながら、それらの情報発信のもとをたどれば個人の仕事で、何か問題が起これば個人の責任も問われる。そういう意味では個人の情報発信と同じだ。
 ネットの個人の情報発信が他人ごとではないのと同様、メディア組織の人々の悩みも理解できる。
 組織のなかにいる場合には組織が守ってくれるということはあるが、まったく逆に、組織や周囲の人間が対立的な存在になって、ひとりで自由に情報発信していたほうがいいということだってある。

●なぜか異例の刑事事件として立件された名誉毀損訴訟

 「マスコミと個人の情報発信は違う」というのが、マスコミ批判の根拠になっているわけだけど、そう言いきれるのかどうかという事件が起こっている。

 ラーメン店チェーンを展開するグロービートジャパンをネットで中傷し名誉を毀損したということで、サイト運営者が起訴された事件が進行している。被告になったサイト運営者側は、情報発信内容について非を認めず、真実性を争っている。
 
 ネットでの情報発信をめぐって民事での名誉毀損の裁判はしばしばあるが、刑事事件になっているという意味で、この裁判は特異なものだ。
 名誉毀損は親告罪なので、告訴によって裁判になるわけだけど、民事とは違い、相手は検事だ。つまり国(の組織の人間)との争いである。2月末に、東京地裁で無罪判決が出たが、検察側は控訴した。

  グロービートジャパンをめぐっては、ネットでそうとう激しいやりとりがかなり長い間にわたってあった。その痕跡はネットのいたるところに残っている。ウィキペディアなど、この会社をめぐる争いを詳しく書いたサイトやプロバイダーは削除を求められたりもしていて、不用意に書けば、この事件のように告訴される可能性もある。

 名誉毀損をめぐる裁判では、書いたことが真実かどうか、あるいは真実と信じるに相当するだけの理由があるかどうかの立証責任は書いた側にある。当たり前のようだが、表現の自由を重視するアメリカなどでは、少なくとも公的存在については逆で、悪意や過失によって名誉毀損があったことを訴えた側が証明しなければならない。

 日本では名誉毀損で訴えられれば、訴えられたほうが負ける可能性が高いし、少なくとも民事ならば、書面をととのえ、必要な費用を負担すれば、高額の賠償請求だって起こせる。メディアの場合は情報源の秘匿もしなければならず、訴えられた側が敗訴しやすい構造になっている。

●「ネットとマスコミは違う」は通用するか?

 情報発信の内容が名誉毀損に問われるかどうかについては微妙なことも多い。
 この事件が刑事事件として立件されたのには、検察側の何か特別な思惑があったとしか思えないが、ともかく、「マスコミに困ったものだ」とネットも含めて世間の声が強くなっているうちに、いつのまにかネットの情報発信についてもマスコミと同じく名誉毀損だと訴えられ、国の組織に属する検事と争わなければならない事態になっている。

 ただ、ひとまず出た東京地裁の判決は、「ネットとマスコミは違う」というこれまた異例の判決だった。
 これまでは、公共の利害に関係し公益目的があり、真実性があるか真実と信じる相当な理由がなければ名誉毀損に問われていた。しかし、これはマスコミについての基準で、個人にはもう少し緩い基準が適用されるべきだというかつてない判断を裁判所は示した。その理由として、裁判所はおもに次の2つのネットの特性をあげている。

  1. マスコミと個人では異なり、ネットでは対等に反論できる。
  2. ネットでの個人の情報発信の信頼性は低いと受け止められている。

 ネットの情報発信の信頼性が低いということで出た判決は、はたしてネットにとって喜ぶべきものなのか、という疑問の声も上がっているが、ひとまずネットとマスコミでは違うということになった。

 しかし、これは勝訴を勝ち取った弁護士が感激するぐらいに異例の判決だ。被告側の紀藤正樹主任弁護人は、そのサイトで次のように書いている。

「従来の名誉毀損基準では、市民の批判的表現は、ことごとく名誉毀損となりかねません。それでは表現の自由は死滅してしまいます。判決は、この市民の置かれた現状に真摯に向き合い、そして表現の自由の重要性に理解を示したもので、画期的な判決です」。

 起訴されれば99・9パーセント有罪になる刑事事件では、無罪判決自体がそもそも珍しいわけだけど、無罪判決の根拠となる基準は今回初めて出たものだ。検察側は控訴しており、先行きはまだわからない。
 「ネットとマスコミは違う」のか、そして信頼性が低くて、影響がないからネットはマスコミより自由に書けるのか。こうしたことは次回もう少し考えてみたい。

afterword
 本文で書いた判決は、現在制定がめざされている「情報通信法」の発想と重なっている。社会的影響力の大きさによって規制のあり方を変えようというもので、一足早く、こうした発想を取り入れた判決なのかもしれない。

関連サイト
●裁判を傍聴した人々のブログにリンクを張って「淡々と記録」している「平和神軍観察会vsグロービートジャパンの裁判記録」(http://d.hatena.ne.jp/globeat_saiban/)。裁判のようすは、いくつものブログが報告している。
●被告側の主任弁護人・紀藤正樹弁護士のサイト(http://kito.cocolog-nifty.com/topnews/2008/02/post_d3c4.html)。無罪判決について、「主任弁護人として携わってきたので感慨無量」としながらも、「判決が、従来基準での真実性と相当性を認めなかった点はとても残念」とのことで、控訴審では、その点も争われるのだろう。
●名誉毀損で訴えられた平和神軍観察会のサイト(http://es.geocities.com/dempauyo/)。被告側だけでなく、グロービートジャパン側の意見を聞きたいところだけれど見あたらない。ネットでは反論できるというのが無罪判決の根拠のひとつなのだが‥‥。

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