ミクシィの秘密――あるいは、ミニブログはなぜ人気があるのか
SNSやブログの人気を支えているものは何なのか。
自分を隠したくもあり、見てもらいたくもあり‥‥。
そこには、現代人の複雑な心が見てとれる?
●見られているほうが安心できる?
書評を頼まれた精神科医の斎藤環氏の『メディアは存在しない』という本には、「ミクシィの秘密」を解き明かすおもしろい議論が収録されていた。この本そのものは難解だけれど、末尾の座談会はわかりやすい。出席者は、斎藤氏、社会学者の大澤真幸氏、それに本誌でも連載していた批評家の東浩紀氏だ。
あちこちの国でリアリティ・ドラマと呼ばれるテレビ番組が流行っている。あらかじめ筋書きのあるドラマではなくて、たとえば呼び集められた参加者を孤島に送ってサバイバル・ゲームをやらせ、その様子を放映するといった番組だ。日本でもいくつも作られている。タレントの卵などにわずかのお金をもたして見知らぬ土地に放り出したりした『電波少年』などがそうだ。
フランスでは、『ロフト・ストーリー』という番組が作られた。ロフトに集められた男女を監視するというもので、人間をペットのように24時間観察する下品な番組だと非難が起こった。にもかかわらず、記録的な高視聴率を獲得し、志願者が何千人も集まったという。個人情報をさらされたくないというけれど、事態は逆で、人から見られないことのほうが恐ろしく、見られていれば誰かとつながっていられて安心できるからではないかと、大澤氏は言う。
志願者たちがほんとうに「見られたがっていた」のか、あるいは、賞金ほしさや、人気が出ると思って集まったのかはわからない。しかし、「見られていたほうが安心」という心理が、いまの社会に広がっていることは確かだろう。見られていることによって、自分は孤独じゃないんだと安心できる。
大澤氏のこうした主張を読んで思ったのはミクシィのことだ。一昨年この欄で、私は「ミクシィ嫌い」だと書いた。ミクシィでは、自分のページにアクセスした人の名前が「足あと」として記録される。誰が見たかわかる仕組みで、それが気持ち悪く、「ミクシィ嫌い」になってしまった、というわけだった。この原稿には、ネットでもけっこう反響があり、「自分もそう思っていた」という人も多かった。
とはいえ、ミクシィの「足あと」は、見られることで、「ひとりではないんだ」と安心したい欲望をたくみに突いている。こうした仕掛けをうまく作ったからこそ、「気持ち悪い」と反発を感じる一部の利用者を尻目に、「ミクシィ中毒者」も出るほどの人気を獲得できたのだろう。
ブログについても同じようなことが言える。なぜわざわざ日記をネットで公開するのかといえば、見られることでつながりたいという側面もあるからだろう(それだけではないにしても)。
●誕生した「つながりたい欲望」のエッセンスのサービス
このところ注目されているTwitterなどのミニ・ブログもまたそうした欲望にマトをしぼったサービスだ。ミニ・ブログは1回に書きこめる字数が限られ、「お腹がすいた」とか「疲れた」など、日々の行動が刻々と綴られていく。
「ミクシィ嫌い」ではあるが、これがヒットする理由はよくわかる。とくにおもしろいことが書かれるわけではないけれど、いまこのときに誰か(たいていは自分の知っている人)とつながっているという感覚は得られるし、その人の日常の行動が伝わってくる。「まとまった文章を書き続けるのはつらいけれど、つながる感覚は得たい」という欲求にもうまく応えている。
派手なプロフィール・ページが並んでいる世界最大のSNS「マイスペース」には、「ウェブ2・0というよりスパム2・0とでも呼ぶべきで大量自己宣伝サイトだ」という批判がある。しかし、なぜ自己宣伝をしたいのかといえば、見てもらうことで人とのつながりを感じ、安心したいということもあるはずだ。
●ストーカーとプチ有名人が生まれる理由
東氏はこの座談会で、ストーカーには2種類いるのではないかと言っている。
別れた恋人など知りあいがストーカーになるというのは昔からあった。しかし、インターネットの出現によって、まったくの他人が突然ランダムにこちらを標的に選んで無根拠な強い感情を向けてくるという現象が目立ってきたという。
それに対し大澤氏は、プリクラが流行ったとき、「あなたの親友は何人ですか」と訊かれた中高生が、200人とか300人とか答えたのでびっくりした、狙われているほうは知らない人間につきまとわれていると思っているが、ストーカーのほうは「親友」だと思っている場合もあるのではないかと言っている。
その人の行動が伝わってくるミニブログは、また新たなストーカーを生み出しそうだが、それはともかく、従来の感覚の「親友」は少ないけれど「プチ親友」はいっぱいいる、というのはいまの子どものあいだではかなり当たり前に起こっていることだろう。
このストーカーの話を読んで、ブログが炎上した知人の言葉を思い出した。
「何十年と生きてきて、こんなに人から嫌われたことはなかった。何で見ず知らずの人にこんなに嫌われなきゃならないんだろうか」。
自分のサイトが炎上までしなくても、こうした不条理な思いは、ネットで文章を公開しているかなり多くの人が抱くものだろう。ネットは双方向的なメディアだが、「認知度」についてはかならずしも双方向ではない。対面や電話、手紙では双方が認識しあっているが、ネットでは「相手だけが自分のことをよく知っている」ということがふつうに起こる。
私にしても、ブログで文章を公開していることで「安心できる」というより、ときに不条理な怒りの矛先を向けられてうんざりすることもある。しかし、ネットで見たり見られたりしている関係というのは、意識している以上に濃密なものなのではないか。
実際のところ、人間関係が希薄になったいま、毎日5分でも、あるいは1週間に1度15分とかでも、決まった人の話をじっくり聞くことはそれほど多くはない。ネット上のつながりしかない相手でも、かなり濃密な関係の相手として認識されるということは十分にありうる。
ネットで、私のことを「有名なジャーナリスト」といったぐあいに書いているページがあった。そう思っていただけるのはたいへんありがたいが、私は「有名なジャーナリスト」だとは思わないし、おそらくそう思わない人が多いだろう。しかしたとえば、私の書いたものを熱心に読み、さらに私のことを触れているサイトなどを見てまわったりすれば、その存在が実体よりもずっと大きく見える。ネットは世界の端までつながる広大なメディアだといっても、一人が見てまわれる範囲は限られている。その結果、「プチ有名人」が多数生まれている、というのがいまのネットの状況ではないか。
「誰でも15分だけ有名人になれる」と言ったのはウォーホルだが、ネットで熱心に情報発信し続ければ、いまや誰でも知らないうちに有名人になっている。もっとも、それが幸せなことなのかどうかは、わからないけれど。
afterword
ミクシィやTwitterのようなソーシャル・ネットワーク・サービスに人気が出るのは、いまとなっては当たり前のことのようだが、その背景には、いまの社会のありようが確実に反映している。
関連サイト
●フランス語圏で人気を呼んだリアリティ・ドラマ「ロフト・ストーリー」のサイト(これはカナダ・バージョン)(http://www2.loftstory.tqs.ca/)
●世界最大のSNS「マイスペース」(http://jp.myspace.com/)。Mixiと性格は異なるが、「見られると安心」という心理に支えられているのは同じ?
●この春までには日本語版が立ち上がることが発表されたミニブログ『Twitter』(http://twitter.com/)。
(週刊アスキー「仮想報道」Vol.519)
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