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2007.11.23

論争の嵐が吹き荒れる項目で知るウィキペディアの可能性

ウィキペディアでほんとうに問題なのは、
議論が噴出して記述がまとまらなくなることなのか。
それらの項目も、意外なほど完成度は高いのだが‥‥

●みんなが勝手に書くとメチャクチャになるかというと

 ウィキペディアは、紙の事典に原稿を書くよりも、ずっとハードにちがいない。気楽な点があるとすればそれはただ一点、本名を出して原稿を書かなくてもいいということだけだろう。
  書いた原稿にクレームがつく可能性は、紙の事典の比ではない。とくに論争のマトになっている項目では、自分の書いた原稿がそのまま日の目を見るとは考えな いほうがいいようだ。一部は残る可能性があるとしても、あちこち切り刻まれ改変される。細かい表現にいたるまで「それは百科事典的ではない」とか「中立で はない」「典拠はどこにあるのか」などと追及され、きちんと答えられなければ(あるいは答えられても)、何日もかけて書きあげた原稿がボツ(つまり削除) になったりもする。
 いかにも論争になりそうな項目の記事本文と、その記事に対する意見や提案・編集理由などを書きとめた「ノート」や編集履歴のページをあちこち見ていると、ウィキペディアの原稿がもみくちゃになっている――という言い方はなんだけど、ほんとうにそんな感じがする。
 しかし、意外なことに、それらの項目もよくできている。じつは私は、争いになっている項目は、記述がメチャクチャになって、どうにもならなくなっているのではないかと思っていた。
  もちろんメチャクチャにしてやろうという人間はいる。論争になっている項目にかぎらず、理由を明らかにせずに大量に削除したりそれを戻したりといったこと もしょっちゅう起こっている。いやがらせということでなくても、熱が入りすぎて、ついやりすぎる、といったこともあるようだ。
 しかし、結局のと ころ、そうした編集行為は排除される。少なくともそうすべきだというコンセンサスが、記事を書いたり編集したりする人たちのあいだにかなりできている。と りわけ熱心な参加者になればなるほど理解しており、対立する意見の両方ともに目配りした百科事典的な記述に落ち着かせようという努力がなされている。
  逸脱した行為が行なわれた場合には、編集経験の長い人々のなかから信頼を得られた人が選ばれてなる「管理者」が、管理者以外は編集できなくなる「保護」を する。編集合戦が起きた場合は、起きる以前の、比較的、記述が安定したときに戻すことになっている(記事に疑義が出ずに7日間以上経過した場合、いったん 暗黙の合意があったと判断するのがウィキペディアのルールらしい)。
 かくして、激しい編集の嵐が吹き荒れたはずなのに、とてもそうとは感じられない完成度の高い記述に落ち着いていたりして、「メチャクチャになっているのでは」と思いつつアクセスしてみた私などは、唖然とさせられることになる。

 関心の高い人が集まるような項目は、保護扱いになりはしても、「管理者」などのコアメンバーがたくみに裁いているかぎりは、レベルの高い記述が維持されているわけだ。
 激しい論争の嵐の吹き荒れる項目がともかくもレベルの高い記事に仕上げることができるのであれば、誰もが記事を書き編集できるウィキペディア的方法が成立していることは実証されたといえるだろう。

 とはいえ、すべての項目がレベルが高いというわけではないし、記述が少なく不完全な項目も多い。
 また日本語版も含めて250言語にわた るローカル版は各地のボランティアに支えられているが、ウィキペディアの運営母体は、日本語版もアメリカのウィキメディア財団だ。財団には弁護士がいるよ うだが、各言語版で法的な責任を問われるような深刻な事態になると、最終的には財団におうかがいをたてるしかないだろう。
 ウィキペディアでしばしば問題視されるのは、編集合戦や「荒らし」が起こっている項目だが、記述の信頼性や充実度といった観点から問題がありうるのはむしろ、法的な問題を引き起こしかねない項目や、議論がほとんど起こらず注目度の低い項目のほうではないか。

●ウィキペディアへの情熱はどこから湧いてくる?

 ハードな議論が行なわれている項目などをあれこれ見れば見るほど、ウィキペディアに対してこれほどの情熱を持つ人がなぜかくもたくさんいるのかが不思議に感じられる。
  ウィキペディアの創立者ジミー・ウェイルズは来日時のインタヴューで、自分は世界を旅して多くのウィキペディアの会合に出席しているが、典型的なウィキペ ディアンは世界中で共通しており、多くは20代後半か30代、大学を出て専門的な職業に就いていて、学生や退職した人、大学の教授なども参加していると 言っている。

 アメリカのウィキペディアが成功したのは何となく理解できる。ウィキペディアの前身は、専門家によるネット百科である。そのとき集まった人々が ウィキペディアにも貢献したにちがいない。専門家たちが、自分の専門領域についてきちんとした知識を広めようと、教育的情熱を持つことも理解できる。ま た、日本に比べて、ボランティア活動に参加することが当たり前になっているアメリカで、こうした試みが受け入れられやすいことも想像がつく。

 日本でもボランティア活動に対する認識は高まっているし、ブログやミクシィなどで情報発信することに対する心理的抵抗もなくなっている。
  ただ、以前この欄でも紹介したように、日本人の情報発信は、自分の感情を他人と共有したいという気持ちが強いことが、国際比較調査などからも明らかになっ ている。あくまでも中立的・客観的な記述が求められるウィキペディアは、そうした欲望を満たしにくいはずだ。にもかかわらず、記事数が2年で3倍になるほ ど熱心な執筆が行なわれているのはどうしてなのか。
 もちろんアニメにしろ鉄道にしろ、自分が強い関心を持っていることについて、世の中の認識を 高めたいと思い、ウィキペディアの執筆にかかわっている人がいることは理解できる。それでも、多様な分野についてそういう人がこれほどいたというのは、や はりびっくりするようなことだと思う。
 ウィキペディアをただ見ていただけではわからないが、結局ウィキペディアにも、かなり濃密な人間関係(コミュニティ)が存在し、自分の関心のある事項についてハードな議論をしていくなかで、共感や知的な興奮が得られる、ということなのだろう。

 ウィキペディアの編集をした人がどの組織のネットワークからアクセスしてきたかがわかるウィキスキャナーというツールが登場し、日本では官公庁などからの編集も多いことが判明した。これは私の勝手な推測だが、官僚とウィキペディアは、親和性が高いのではないか。
 お役人の仕事は、自分の名前を出さず、議論しながら、感情を交えない法律文や大臣の答弁書などパブリックな文書をまとめていくことだ。ウィキペディアの記事はそうした仕事と近いのではないか。
 そう考えると、ウィキスキャナーは、ウィキペディアの最良の理解者を排撃しているような気もするのだが。

afterword
 ウィキペディア関係者でひとり気になっている人物がいる。創立にかかわりながら、たもとを分かったラリー・サンガーという男だ。別のネット百科を作ろうと苦闘している。次回はそれについてとりあげよう。

関連サイト
●ウィキペディアにはこんな項目もある。「あなたはウィキペディア中毒でしょうかテスト」。92問あって、1000点を超えると、「ウィキペディアがないとあなたは24時間禁断症状に追いかけ回されます」とのことだ。
●いつのまにか私も「無期限の投稿ブロック」になってしまっている。 (覚えがないので)何をしでかしたんだろうと見てみたら、どうやら私の名前も含めた複数アカウントを不正使用したヤカラがいるらしい。「ご自身の実名やハ ンドルと同じであると困惑されておられる方へ――このメッセージは全く別の人物を対象としたもので、あなた宛てのものではありません。どうかご理解くださ い」と書かれている。とはいえ、私の名前で登録することはもうできないのだろう。
「Wikipedia を書いているのは誰?」。メールで教えていただいた。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.509)

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