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2007.11.02

ウィキペディアの常識と非・常識――「真実かどうか」は最重要ではない

ウィキペディアには、びっくりするような
方針が存在している。そうした点にこそ、
ウィキペディアの秘密があるのだろう。

●ウィキペディアにとって、もっとも重要なものは?

 ウィキペディアは、思った以上にまともに百科事典になろうとしている‥‥というと妙な言い方だけれど、みんなに適当に書いてもらっている、などということではなくて、きちんとした方法論をもとに、信頼性のある百科事典を作ろうとしている。
 ウィキペディアには記事の執筆や編集にあたっての基本方針がある。前回書いたように、中立的な観点で記述するとか、独自の研究は載せないといったことは、これまでの百科事典でも暗黙のルールとしてあった。ウィキペディアはさらに、信頼できるソースを示すという「検証可能性」を方針にしている。これは、リンクを使って誰でも簡単に多数の出典をたどれるネット百科ならではのものだろう。
 とはいえ、何が信頼できる情報源かを見きわめるのはむずかしい。ウィキペディアはそれについてどう考えているのだろうか。
 ウィキペディアの方針を解説した項目「独自研究は載せない」によれば、「信頼できる」という言葉の明確な定義はないが、大部分の人は直感的に判断できるという。もっとも信頼できる資料としてまず、「査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌」をあげている。
 ウィキペディアの創立者は以前、投稿原稿を集めて査読(専門家によるチェック)をし百科事典を作ろうとして失敗している。自分たちで査読していたのでは、いつまでたっても項目数が増えなかった。すでに査読が終わっている文献や信頼度の高い記事を使うことに発想を転換したわけだ。
 ニューヨークタイムズのように主流の新聞は出典にすることができるが、たとえばアメリカの社会主義労働者党の機関誌の記事をもとに「ブッシュ大統領はゲイである」と書くことはできないという。急進派の雑誌や新聞の記事は信用できないが、マスメディアの情報は信頼する、というわけだ。「マスメディアの言うことは信頼できない」というのはネットのお気に入りのテーマだが、ウィキペディアはそうした見方はせず、ごく常識的な(ネットから見れば保守的な)基準を採用していることになる。
 おもしろいことに、ニューヨークタイムズの記事が真実かどうかは、検証する必要があるどころか、「調査をしないよう強く求められ」ていると「検証可能性」の項目に書かれている。「なぜならウィキペディアでは独自研究を発表してはならないから」で、「信頼できる情報源が公開している題材だけを含むべき」。「直観に反するようですが、ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は『真実かどうか』ではなく『検証可能かどうか』」なのだと主張している。
 真実かどうかが最重要ではないというのは、直感どころか常識にも反しているが、これこそが、ウィキペディアが獲得した知恵なのだろう。
「検証可能性」の項目にはさらにこうも書かれている。
 ある理論が発表され、学術誌に掲載されていればそれはウィキペディアで記事にできる。しかし、その理論を発表した学者から、「自分が発表したあの理論は誤りだ」という話を聞いても記事にしてはいけない。ほかの人が検証できないからだ。信頼されている報道機関に連絡して記事にしてもらってからでなければダメなのだという。
 報道機関によって権威づけられていないことは記事にできないという方針には、反発を感じる人もいるにちがいない。

●一次資料と二次資料の信頼度についての意外な考え

 公式な報告書や手紙、当事者の回顧録やインタヴュー、統計などの一次資料と、それをまとめた二次資料のどちらがより信頼できる情報源か。
 一次資料のほうが信頼できると考えるのがふつうだ。二次資料はまとめた人の解釈が入っている。一次資料にあたるべきだと、報道機関はもちろん学校などでも教えているだろう。
 ところが、ウィキペディアの発想は正反対だ。「一般に、ウィキペディアの記事は一次情報源に基づくべきではなく、むしろ一次情報源となる資料を注意深く扱った、信頼できる二次情報源に頼るべきです」。「信頼できる情報源」の項目にはこう書かれている。なぜそうなのか。一次資料を適切に用いるためには訓練が必要だからだという。
 名門百科事典のブリタニカとウィキペディアのどちらがより信頼できるかについては激しい論争も起きているが、では二次情報をまとめた三次情報にあたる百科事典はどう見ているのか。
 ブリタニカのような百科事典は「信頼できる三次情報源の宝庫」だとウィキペディアはとりあえず述べる。ただし、「現存する百科事典よりも優れた記事を書こうという大望をウィキペディアンたちが抱いたとき、三次情報源の内容に頼るようでは目標の達成には不十分」。つまり、ブリタニカよりもすぐれた百科事典にしようとしたときにはそれではダメだというわけだ。したがって、「一般に、一次情報は要注意で扱い、二次情報がウィキペディアの記事の参照先の素材庫」だと言っている。

●望みどおりにウィキペディアが作れない理由

 こうした方針にはいろいろな意見が出そうだし、実際にまとまるまでには激しい議論があったにちがいない。しかし、誰が書くかわからない記事の信頼性を高めるためには、効率的で現実的な基準ではある。ただ問題は、検証可能なことだけでほんとうに記事ができるのかだろう。
 ウィキペディアの統計によれば、日米ともに数字が明らかになっている昨年10月の時点で比較すると、日本語版28万記事について外部リンクが25万、英語版140万記事に260万の外部リンクが張られている。単純計算すれば、日本語版は、1記事あたり0・9個、英語版では1・86個の外部リンクがあることになる。しかし、私の実感からすると、リンク数の差はもっと大きいように思う。情報源はかならずしもウェブ上にある必要はないようだが、誰でも容易に検証できることが望ましく、そういう意味では、ウェブ上の文献は適している。英語版では(もちろんすべての記述ではないものの)ウェブ上の文書が出典としてかなり明示されているが、日本語版ではそれほどでもない。出典のある記述だけを残すとすると、とくに日本語版はかなり寂しいものになってしまうだろう。
 英語では、査読のある学術誌などもウェブで公開されていることが少なくない。その一方、日本の新聞社サイトの記事などはたいてい短い期間でアクセスできなくなる。英語圏のメディアサイトでもそうしたことはあるが、期限付きでない記事も豊富にある。ウィキペディアが出典を明らかにして記事を書くことができるかはその言語圏のウェブの充実度にもよっている。逆に言えば、ウェブが充実すればするほどウィキペディアの記述の信頼度も高まることになる。そう考えればウィキペディアの利用価値が今後ますます上がることは確かなのではないか。

afterword
ウィキスキャナーを作ったグリフィスのサイトからリンクが張られていてたまたま目にしたサイトには、記述の信頼性を簡単に見分ける画期的な方法が書かれていた。「大衆の叡知」を象徴するようなそのアイデアを次回は紹介しよう。

関連サイト
●ウィキペディアが重視している3つの方針を説明した「検証可能性」「中立的な観点」「独自研究は載せない」の項目。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.506)

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