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2007.10.19

ウィキペディア創立者の苦悶と出自の秘密

ネットで自分に関する間違った情報が書かれていたらどうするか?
ウィキペディア創立者が陥ったダークサイドから何が見えてくる?

●ウィキペディアで間違えられると痛い!?

 たまたま見たウェブページに書かれていた自分の経歴が違っていたことがある。そんなことはいまや誰にでも起こる。会社や学校、あるいは気のあった仲間どうしでネット上にコミュニティが作られている。とくに悪意がなくても、他人が書いた自分に関する記述が違っているということは起こる。
 私の場合は、出身学部が違っていただけなのでたいていの人は気がつかないし、気にもしないはずだ。私にとってもどうでもいいことだが、自分のことなので間違いはすぐにわかる。そうしたことはいくらもある。自分が開発した商品の仕様が違っていればすぐに気がつくはずだし、経歴だって同じだ。そして、こうした間違いがウィキペディアで起こっていると、話は少々複雑になる。
 少し前まで、英語版に比べて日本語版は質量ともにいまひとつと思っていたが、あれよあれよというまに記事数が増え、それぞれの項目も充実してきた。ウィキペディアの統計によれば、日本版も英語版も記事数がだいたい3年間で6倍、2年で3倍になっている。検索結果でも上位に表示されるようになってきた。誰もが簡単にアクセスでき、実際わからないことがあるとネットで検索してまずアクセスするサイトになってきただけに、記述が違っているとなれば影響は大きい。まして自分にかかわることとなれば、直したくなるのが人情だ。
 ウィキペディアの「存命人物の伝記」という項目では、取り上げられた人物からの苦情が毎日来ていると書かれている。プライバシーを尊重し、「保守的・中立的・百科事典的に書くべき」で、出典のない批判は議論なしで除去していい、とも言っている。
 とはいえ、ウィキペディアは、原則的には、「自分のことについては他の利用者に執筆を任せるのが望ましい」。「自分自身の記事をつくらない」というウィキペディアのガイドラインによれば、模範的な態度は、本人が直接直すのではなく、「ノート」という本文とは別のページに問題提起し、第三者に直してもらうことだという。なぜならば、「自分について書いた情報には、しばしば主観が入り込み、自分に都合のよいようにものごとをとらえがち」だからだ。
 もっとも、絶対に本人が直してはいけない、ということでもないようだ。「誰の目にも明らかな問題点があるときには、自分が関係していることについての記事を直接に編集することも許され」ると言う。ただし、編集になれていないので、本人が直すと、「荒らし」や「編集合戦」だと非難が起こるとも書かれている。
 誰の目にも明らかな間違いは直していいといっても、直すと批判されるばかりか、そもそも許される境目はどこまでかも曖昧だ。自分にとっては「明らかな間違い」であっても、他人にはそう見えないこともある。

●ウィキペディア創立者の過去

 おもしろいことに、ウィキペディアの創立者ジミー・ウェイルズも自分の項目を直してしまったそうだ。そのことで批判されている。英語版ウィキペディアの彼についての項目などでかなり詳しく書かれている。ウェイルズがこだわって直してしまったのはおもに2点あるらしい。
 ウェイルズは66年生まれで、アラバマ大学で金融の課目で博士課程まで進んだ。しかし、博士号はとらずに先物取引の仕事を始め、若くして彼と妻が生涯食べていくには困らないぐらいの金を得たという。その後、ボミスという検索エンジンを立ち上げたが、この仕事が少々大っぴらには言いたくない要素を含んでいた。ウェイルズによれば、「男性向きの検索エンジン」とのことで、アダルト・コンテンツを含んでいたらしい。
 アダルト広告が満載された2ちゃんねる文化を持つ日本などに比べて、アメリカ社会は一般に、日本よりもこうした方面には寛大でない。ウィキペディアはいまや学校などでも参照されているだけに、彼がこの事実を隠したい、隠せないまでもその衝撃度を弱めたいと考えたとしても無理はない。ただし、この書きかえは「誰の目にも明らかな間違い」とはいえず、ウィキペディアのガイドラインには反していた。問題になるのは当然だった。
 もう一点ウェイルズが書き直したのは、ウィキペディアの共同創立者がいるのかどうか、ということだ。
 ウェイルズは、ボミス社が雇ったラリー・サンガーという男を編集長にして、00年3月に「ヌーペディア」という無料の百科事典を始めた。あぶなげな名前にも見えるが、こちらはしごく健全なものだった。ウィキペディアとの違いは、記事ひとつひとつについて専門家が読んでチェックする査読を経てから公開することだった。ウェイルズは、これは参加しにくかったしおもしろくなかったと後に言っているが、厳密なチェックをしたために記事が増えなかった。そうしたときサンガーが、ウィキという無料で使える共同作業のツールがあると進言し、01年1月にウィキペディアが始まった。命名したのもサンガーのようだ。
 はためには過剰すぎると思うぐらいにウェイルズが気にしているのは、このサンガーの関わりである。彼を共同創立者として認めない、というのだ。自分が雇っていた男で、自分の指示に従って行動したに過ぎないから、ということらしい。時間的な意味でのサンガーの関わりはたしかに限定的で、ボミス社からの給与の支払いが止まった02年3月には、ウィキペディアの「チーフ・オルガナイザー」の地位を離れている、とウィキペディアには書かれている。とはいえ、サンガーは、ウェイルズとともにウィキペディアの基本的な方針を作り、辞めるまで、ウィキペディアの共同創立者としてメディアなどでも取り上げられている。現在の「ウィキペディア」の項目でも、共同創立者として明記されている。
 ウェイルズは、改変したことについては詫びたものの、事実関係については譲る気がないようだ。自分にかかわることになると、ウィキペディアの創立者も、ガイドラインをおびやしかねないほど頑(かたく)ななわけだ。

●なぜ自分についての記事にかかわるべきではないのか

 ウェイルズをおとしめるような逸話を紹介してしまったが、次号以降で書くように、ウィキペディアの基盤を作ったウェイルズらコアメンバーの思考の深さには敬服すべきものがある。その彼でさえこうなのだから、ほかの人はましてやだ。それに、自分についての記事を書くことは歓迎されないとは知らずに直してしまう人も多いのではないか。
 ウィキペディアにとって重要なのは、その文章を誰が直したかではなくて、記述が正しいかどうかということのはずだ。当初私はそう思っていたのだが、どうやらそうではないようだ。自分の記事を書いたり直したりすることには、ウィキペディアの信頼性の根幹を揺るがすものがあることがわかってきた。次回はその話を書くことにしよう。

afterword
他国に比べて日本のテレビは「山場CM」が多いという研究を紹介した9月25日号の記事は反響が大きかった。テレビ局の人も含めて多数のメールをいただいた。ひとつひとつお返事できなかったが、興味深く読ませていただいた。

関連サイト
英語版ウィキペディアの創立者ジミー・ウェイルズのページ。本文に書いたように、ウェイルズの人生はいろいろな意味で波瀾万丈のようだ。ウィキペディアは、01年1月に英語版が作られ、現在は250以上の言語で執筆され、英語版は200万記事を超えた。日本語版も41万にまでなった。
●同時代の人物の項目は、とかく問題が起きがちで、ウィキペディアには、「存命人物の伝記」を書くにあたっての注意事項を列挙したページもできている。
●ウィキペディアの「自分自身の記事をつくらない」の項目。自分の記事を見つけたときの対処方法が書かれている。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.504)

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