日本のネットを活性化したもの
この10年、数々の事件が起こったが、
日本のネットを活性化する共有体験となったのは何だったのか。
そう考えて思い浮かぶのは‥‥
●ネットとリアルワールドの隔たり
連載が500回を超えた機会に、このところこれまでのネットの「歴史」を振り返っている。
前回は、ネットにつどう人びとが電話で突撃取
材する「電突(電凸)」の話を書いた。こういうことに対する一般の反応とネットのディープな住人の隔たりはかなり大きい。匿名の情報発信の功罪などについ
ても同様だ。ネットのディープな住人のあいだでは、それなりに評価する声もある‥‥どころか、匿名の情報発信については、擁護する声が圧倒的に大きいだろ
う。日本のネットの発信者の多くが匿名なのだからそれは当然ともいえるが、ネットの外ではかならずしもそうではない。たとえば、学生などに、匿名の情報発
信についてどう思うかを聞けば、(ネットで熱心に情報発信をしている一部の学生を除いて)否定的な反応が返ってくることも多い。どちらの集団にも触れる立
場の私には、その隔たりの大きさはかなりとまどうほどのものだ。
つまり、片方の世界で「常識」になっていることが、もう一方の世界では、まった
く常識にはなっていない。たぶんこの雑誌を読んでいる人でも、誹謗中傷を含めて匿名でばんばん好き勝手に言いあっているのはおかしいと思っている人も少な
くないだろう。一方ネットのなかでは、匿名の情報発信に批判的なのは、ネットに対抗意識を燃やしているマスメディアばかりというムードもある。しかし、そ
うとばかりはいえないように思う。
これほどネットが世の中で当たり前になっていても、おそらくまだそんな具合だろう。2007年の日本には、相手の常識がおかしいと思っているまったく別のふたつの世界が並存していることになる。
ただ10年前には、ネットの世界は明らかに弱かった。リアル・ワールドの意見がほぼすべてで、いまと比べれば、ネットの世界はもっとずっと細々と存在していた。
インターネットに一般の人がアクセスするようになってまだ間もないころ、有名なメディア・アーティストが、「ネットという新しいメディアが活性化するためには共有体験が必要だ」と言っていたのを覚えている。
テレビが力を持つ過程では、街頭に多くの人が集まって力道山の活躍に一喜一憂したり、いまの天皇が美智子妃と結婚したときのパレードをテレビを通して見る
といった共有体験が役に立った。国をあげて注目するということでなくても、学校へ行くと、前日放映されたアニメやドラマ、バラエティの話で盛り上がるとい
う共有体験があって、テレビというメディアは認知されていった。
評判のよくなかったインターネット博覧会(インパク)などは、ネットの共有体験
を生むイベントになるはずのものだったのだろう。01年の1年間にわたって行なわれたこの催しは、70年の大阪万博を成功させた堺屋太一経済企画庁長官な
どが中心になって、政府の旗振りで行なわれた。しかし、「上から」ネットを活気づけようとする試みには反発も起こった。最後には開催側の人たちからの「ぼ
やき」も聞こえてくる無惨な結果に終わった。結局、多くの人の記憶に残るイベントにはなりえなかった。
ネットは分散的で、もともと共有体験を得られるメディアではない‥‥とも考えられる。しかしアメリカでは、ネットを活性化させた共有体験と見られるできごとがいくつかあった。
クリントンのセックス・スキャンダルを調査したスター独立検察官の報告書が98年にネットで公開されたとき、全文掲載したCNNのサイトへは1分間に34
万件ものアクセスが集まり、アメリカのネット・ピープルの共有体験になったと言われた。また、03年のイラク戦争なども、ブログが注目されるきっかけに
なったとされている。
●日本のネットで共有体験を生んだできごと
では、日本でそのようなできごとにあたるのは何だったのだろう‥‥とここ何日か考えているのだが、どうも思いつかない。
もちろん、ネッ
トがらみで騒ぎになった事件は数え切れないし、犯人がネットに痕跡を残したこともある。たとえば、00年に西鉄バスを乗っ取って死傷事件を起こした少年は
「ネオ麦茶」のハンドルネームで掲示板に書きこんでいたし、同級生を殺害した長崎の小学校六年生の女の子もサイトを作っていた。「酒鬼薔薇聖斗」を名乗る
犯行声明が送られて騒然となった97年の神戸の児童連続殺傷事件のときには、犯人の痕跡を求めてネットで風評が飛び交った。いま思い出してみると、「ネッ
トで大騒ぎになった」みたいな話はかなり暗い事件が多かった。マスコミが大きくとりあげたからということもあったが、ネット以前は、事件の当事者のふるま
いを一般の人が直接目にする機会はまずなかった。ネットによってそれが可能になったのだから、そうした事件に関心が集まるのも当然の成り行きだった。犯罪
だけでなく、いわゆる「炎上」などのできごとも、何万人か、何十万人かの共有体験となったはずだ。そして、ネット外の人びとにも、(いい悪いは別にして)
ネットというメディアを印象づける機能を果たすことになった。
ネット上でそれらのできごとをリアルタイムで目にしたのは、かなりディープなネット利用者のはずだが、どの事件がとくに印象的だったかは人それぞれだろう。そういう意味では比較的狭い範囲でそれらの体験は共有されたことになる。
ただし、いずれのできごとにもひとつ共通項があった。それは掲示板が主たる情報交換場所になっていたということだ。日本では、ネットを活性化した共有体験
をいくつかのできごとに絞ることはかなりむずかしいと思うが、共有体験を形作るプラットホームはひとつで、それは掲示板だった、ということは言えるのでは
ないか。
●ポスト2ちゃんねるの共有体験装置
しかし、掲示板がもたらす共有体験というのは、かなり一過性のものだ。事件が起きたときにはアクセスが殺到するが、2ちゃんねるではひとつのス
レッドの書きこみが1000を超えればアーカイヴ入りになり、有料ツールを使わないとアクセスできなくなる。書きこみを保存している人が「まとめサイト」
のような形で保存・公開し続けないかぎり、アクセスできなくなる。だから、たとえば10年とかの長期にわたって体験を共有することにはなりにくい。
かわって、ウェブ上の別のサイトが、時間を超えて体験を伝える装置となってきた。それはネット百科「ウィキペディア」である。右にあげたような事件を検索
してみれば、いまはたいていウィキペディアのページが検索結果の上位に現われる。2ちゃんねるの場合のように、どちらかといえばディープなネットユーザー
だけに限らず、ウィキペディアは、もっと広範な人びとにも情報を伝え共有するツールになり始めた。
そのウィキペディアで、書きこんだ人のデータがわかるウィキスキャナーというツールが話題になって、注目を集めている。次回はその話を取り上げよう。
afterword
ウィキペディアは、ウェブ2・0を支える「大衆の叡知」のたまものと見られているが、情報の信頼性を獲得するためのさまざまな工夫が盛りこまれていて、あらためてじっくり見てみるととてもおもしろい。来週からはそうした話。
(週刊アスキー「仮想報道」Vol.502)
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