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2007.09.21

進化の歴史のなかのインターネット

ネットは情報獲得のツールである以上に
コミュニケーションツールになってきたが、
この情報装置の持つ意味をあらためて考えてみよう。

●ネットの意味

 本欄は今回で500回目になるらしい。ちょうど切れ目の回なので、少しこれまでのことを振り返ってみることにしよう。
 10年のあいだに ネットはずいぶん変わった。この連載が始まったのは97年で、いまをときめくグーグルなどはまだ影も形もなかったし、個人が簡単にサイトを作れるブログの ような仕組みもなかった。掲示板はあったからさまざまな議論や情報交換は行なわれていたが、連載で取り上げたくなるような日本のサイトはまだそれほど多く はなかった。だから自然に海外の話が多くなった。
 ある新興宗教を取り上げたら、そのメンバーから「訴える」と文書が送りつけられてきたことがあ る。そこには「あなたは、もしかして日本にいないのかもしれないが」と書かれていた。クレーマー氏もこのコラムを読んでくれていたらしかったが、なるほ ど、そんなふうに見えるのかと思ったものだった。
 その後、日本のネットのコンテンツは急速に増え、国内のサイトを取り上げることが多くなった。だからいまでは筆者が外国にいると思っている人はいないだろう。
  でも実際のところ、日本の話題が多いから日本にいるとはかぎらない。じつは私はこのところアメリカに住んでいる・・・・というのは冗談だけど、ネットを使 えば、アメリカにいるのではと錯覚されるような原稿を書くことはもちろんいまでも可能だ。そういう意味では、「リアリズム」というものがすっかり変質して しまったわけだ。
 この連載を始めるときに、漠然と思っていたのは次のようなことだった。
 一人の人間が見聞きできることは限られてい る。人類が進化しているとすれば、それは昔の人間と比べてはるかに多くのものを知ることができる能力を獲得したことにある。交通手段を得るまで、人間を含 めた生物は、自力で行ける範囲の情報しか得ることができなかったし、メディアが発達するまで、人間も自分の目と耳で拾える情報がすべてだった。しかし、交 通機関が発達し、われわれはあちこちへ行けるようになったし、身体を動かさなくても、居ながらにして多くの情報に接することができる。進歩というものがも しあるとすればまさにそういうことで、インターネットというのは、その歩みを大きく進めるもののように思えた。
 この連載のバックナンバーを保存していたアスキーの以前のサイトのトップページには、望遠鏡で遠くを覗くイラストが載っていた。インターネットという望遠鏡で、遠くを見てみようということだったわけだ。
  海外のことを書くには、その場所に行かなければならない。しかし、ネットを使えば、そこへ行かなくてもどれぐらいのことがわかり、どれぐらいのリアリティ を持って書けるのか。行ったこともない国の、直接見聞きしたのでもない事件をレポートするのにはかならずしも私が適任というわけではなかったが、あえて やってみたのはそうしたことを思ったからだった。
 もちろんそうして始めたこの連載で、かなりのことが書けたときもあるし、またそれほどでもない ときもあった。情報集めに使った海外のサイトは、英米はもちろん、カナダ、フランス、ロシア、スウェーデン、オーストリア、ドイツ、インド、パキスタン、 インドネシア、アフガニスタン、イラク、中国、(返還前の)香港、台湾、韓国、北朝鮮(おもしろサイトが意外に多かったので以前はけっこう取り上げた)、 東チモール、バチカン、オーストラリア、アルジェリア、エジプト、イスラエル、パレスチナ、ペルーなどだ。500回もやったのだからいろいろな国にわたっ ているのは当然だろう。それらの国の政府や企業、個人、あるいは反政府組織のサイトなどを取り上げた。
 意外に読み解くのが難しかったのは海外の マスメディアのサイトだ。メディアの立場によって事件の見方は変わる。ある程度でも知っているメディアの場合は問題なかったが、そうでない場合、それがど ういう毛色のメディアかが漠然とでもわからないと、記事をどう解釈してよいかわからないことも多かった。
「できるだけ広く」というのは地域だけの ことではない。政治の情報が経済と無関係のわけはないし、科学技術だって社会の変化と密接につながっている。どれかがわかればそれでいいということではな いはずだ。そういうわけで扱うジャンルも、ゲノムやナノテク、脳科学といった高度に専門的な知識が必要な科学の領域から、政治や経済、あるいはさまざまな スキャンダルや犯罪、ゴシップまで雑多な事件を追いかけた。つい最近やったように、経済の専門家でもないのに、エコノミストの判断の当否を検証してみると いう、通常のプロのライターならばあまりやらないようなことをあえてやってみたりするのも、一人でできるだけ広い領域をカバーしてみるという実験的な意味 もある。

●ネット誕生以前と以後の人間の変化

 交通機関やメディアが発達しても、人間が一生のうちで見聞きできるものは限られている。結局、人間は分業によって情報に接している。そして、情報 集めのかなりの部分はメディアに委託されている。メディアに携わる人びとも、たいていの場合、専門分野ごとの分割された情報集めをやっている。そうしたこ とに、私はかなり不満だった。進化した時代の人間は、部分的な情報で満足するべきではないのではないか。
 人間がほかの動物と違うとしたら、それは部分情報では満足できない存在であることにあるはずだ。短い一生でどれだけ世界の秘密を知りうるかに、人間の一生の意味はかかっている。
  もちろんそれは、広く情報に接すればいいというものではないかもしれない。小さな村の狭い情報しか知らなくても、人間が人間でありうる奥底を理解している 人はいるのだろうし、一生ひとつのことをコツコツとやったことで得られる深さというのも確実にあるだろう。ただし、インターネット誕生以前と以後の人間の 違いは、限られた能力しかない一人の人間が、それまでとは比べものにならない情報収集能力を獲得できた点にある。この時代に生まれたばかりの画期的な情報 技術の誕生を目にした人間が、その技術を使って、かつてとは違ったどんなことができるのか。それは試してみる価値のあることのはずだ。
 とはい え、10年経って、私も含めてかなり多くの人が、ウェブに対する当初の新奇な感覚を抱かなくなってきたのも確かだ。こんなサイトもある、あんなサイトもあ るというだけではなくて、その情報が自分(たち)にとってどんな意味があるのかも問われるようになってきたように思う。そして実際、われわれにとって身近 なテーマについての価値ある情報もサイトで公開されるようになってきた。だから、当初やっていたようなテーマとともに、いまはもう少し身近なことも取り上 げるようにしている。

afterword
 今回書かなかったが、この10年でネットが大きく変わったのは、誰でも情報発信できるという状況がより進んだことだ。それによってマスメディアの地位もいよいよ微妙なものになってきた。次回はそうしたことについて振り返ってみよう。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.500)

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