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2007.09.07

日本の経済はなぜ回復したのか

どうすれば経済が回復するのかについて
少し前に激しい議論があった。
はたしてどの意見がマトを射ていたのか、
検証してみよう。

●天敵エコノミスト2人の意見の当否

 橋や道路の建設などに政府がどんどんお金を使って経済を支えないと日本はたいへんなことになるという意見がずっと根強くあった。エコノミストとしてそう主張してきた急先鋒は、前回もとりあげたリチャード・クー氏だ。小泉政権下、金融担当大臣として銀行の不良債権処理を推し進めた竹中平蔵氏にとって、クー氏はまさに天敵のような存在だった。竹中氏がまだ学者の一人に過ぎなかったころからテレビの討論番組などで激しく意見を戦わせていた。この論戦、いまになってみれば、どちらが正しく、どちらがどこで間違ったのか、経済のシロウトでもわかるように思う。昨年末から今年の始めにかけてこの二人の本が出たので、読み比べてみた。
 私の印象では、クー氏は、政府はともかくお金を使うべきだと言っていた印象しか残っていないのだが、言いたかったのはそれだけではなかったようだ。バブル崩壊で資産価値が下がり多額の借金を抱えた企業は、借金を返し終わるまで新たな投資をしない。クー氏の言いたかったことは、そうした企業行動自体は正しいが、どの企業もそれをやるので経済は回復できず、その間、政府は公共投資などをして経済を支えるべきだということだったらしい。
 そうであれば、竹中氏の考えとまったく違うというわけでもない。ただ竹中氏は、借金を抱えている企業よりも、カネを貸した銀行の問題をまず解決しようとした。借りた側から解決するか、貸した側から解決するかというのは、些細な違いのようだがそうではない。
 不良債権処理などというと、帳簿を整理するだけで解決しそうだが、実際は、倒産を何とか免れたい経営者や、失業を恐れる雇用者の悲痛な思いが背後にある。強引に不良債権処理をやろうとすれば、そうした人びとの暮らしを破壊することになる。銀行がカネを貸し続けてくれるならば、企業はクビ切りをしなくてすむ。経営状態の悪い企業で働いている人びとも、失業するぐらいなら低賃金のほうがましだと思う。銀行も、不良債権が明らかにならないので都合がいい。不良債権処理が強行されないほうが具合がいい人は少なくないわけだが、それでは、いつまでも景気は悪いままだ。いまの20代後半から30代前半の就職氷河期の世代は、学校を出ても就職先がなくてたいへんだった。それがここのところ打って変わって就職しやすくなってきた。小泉政権下の荒療治がなければ、いまの学生たちもまだ就職できずに困っているにちがいない。
 竹中大臣は銀行にプレッシャーをあたえて、不良債権処理をやらせた。銀行は、経営状態の悪い企業にもうそれ以上カネを貸さないどころか、いわゆる「貸しはがし」、借金の強引な取り立てまでやった。企業は、借金の返済に必死になり、もちろんそのときには混乱が起こった。しかし、ともかくも銀行の不良債権は解消し、企業は過剰債務がなくなって再び投資を始め、経済が回復してきたというのがこのところの日本である。

●先延ばしでは経済は回復しなかった

 企業のバランスシートが回復しないと景気がよくならないというクー氏の見立てが間違っていたわけではない。しかし、銀行からの強い求めがあって初めて問題企業は覚悟を決めて過剰債務を解消した。誰も痛い目にはあいたくないから解決を先延ばしにするという人間の本性からすれば、企業の債務にだけ焦点を当てても解決策にはならなかったはずだ。経済のシロウトであっても、いまになってみれば、このようなことはかなりはっきりわかるように思う。
 テレビ・コメンテーターとしてのクー氏の最大の難点は、公共事業に国民が強い不信感を抱いていることをあまり理解していないように思われたことだ。少なくとも都市住民は無駄な公共事業にきわめて批判的になっていたから、政治的にもこうした政策は続けられなかったはずだ。それがわからなかった時点で、テレビ・コメンテーターとしては失格だったのではないか。
 コメンテーターとしての適性もさることながら、使われない橋や道路を作っても経済効果がないことはシロウトでもわかる。そうした現実を無視して、クー氏は机上の論理を語っているようにしか見えなかった。
 一方、竹中氏の主張で意見が分かれるのは、やはり格差の問題だ。竹中氏の主張では、経済回復の恩恵はやがて地方や低所得者などにもまわっていくということだったが、ほんとうにそうなのか、はたしてそれがいつなのかは未解決の問題として残っている。この点についての「竹中理論」については異論もたくさんあるし、そのなかにはたしかにマトを突いていると思われるものもある。

●マスコミはなぜ抵抗勢力になるのか

 竹中氏の『構造改革の真実』という本のなかで印象的なのは、マスコミがあっというまに抵抗勢力になってしまうことを力説している点だ。テレビ・キャスターの田原総一朗氏が、マスコミや評論家は「不良債権を解決しろ」と言っていたのにいざ始めると竹中たたきをやり、再生プログラムが発表されると骨抜きだと言い「節操がなさ過ぎる」と竹中氏に語ったと書かれている。
 マスコミ報道がこうなったのは、ひとつには世の中の空気を反映したからでもあるだろう。一般論としては、誰しも不良債権処理をしなければと思う。でも実際に計画が明らかになり、その影響がはっきりしてくると、実害を受ける金融機関や企業は猛反発する。そして、政府や政治家にものすごいプレッシャーをかける。政府や政治家ばかりでなく、取材に来る新聞記者などにも伝える。つまり、記者は有力者を取材すればするほど反対の声が強く聞こえてくることになる。おまけに、政府の言うことには疑問を呈するのがジャーナリストの使命だという観念もある。かくして、メディアの論調は不良債権処理に批判的になっていく。しかし、出てきた最終的なプランは、最初の案からは明らかに後退しているので「骨抜きだ」と批判せざるを得ない。こうした成り行きで二転三転し、「節操がない」ことになってしまう。
 ところが、政策立案者は、最初からすべて自分たちの意見が通るとは限らないことを知っている。駆け引きのためにわざと強硬な案を提示し、落としどころまで引くということもやっている。つまり結局は想定どおりだったりするわけだが、マスコミ報道を通して政府の行動を見ていると、「いつも腰砕け」ということになる。
「権力に対抗するのがジャーナリストの使命」というのは、もはやかなり古くさい考えだと思う。ただ反対するのでは、「マスメディアはどうせいつも反対」と信用されなくなる。対抗勢力ではなくて、しかるべき判断材料を提示したうえで、自分たちなりの判断を示す裁定者のような役割を果たすべきだと思うのだが、不思議なことに、そう考えるジャーナリストはどちらかというと少数派のようだ。

afterword
マスコミも含めて、「財政赤字解消のために消費税をあげるのが正しい」みたいな雰囲気になってきた。しかし、竹中氏は、消費税をあげることに強く反対している。その意見は傾聴に値する。それについてはいずれまた書くことにしよう。

関連サイト
リチャード・クー『陰と陽の経済学』(東洋経済新報社)。
竹中平蔵『構造改革の真実』(日本経済新聞社)。小泉内閣で評判を呼んだメルマガの発行は慶応の学生のアイデアだった、とのことだ。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.498)

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