« 失敗した与党の広報戦略 | トップページ | 景気が回復したのに、給料が上がらない理由 »

2007.08.24

「美しい国へ」という皮肉

「美しい国へ」を唱える首相が政府を率いるさなか、
国への信頼度がどんどん低下している。
それに対して、「国を滅ぼせ」という不気味な叫びもこだましている。

●あまりにすごすぎる年金問題

 この数か月で、日本はまたまた大きく変わったのではないか。参議院選挙で自民党が大敗した原因についてあれこれ語られているが、根底には、与党を支えてきた日本人の考え方が変わったということがあるように思う。

 年金の話は、メディアでさまざまにとりあげられてはいるものの、あまりに話がすごすぎて、そのことがもたらすほんとうの意味についてはまだあまり考えられていないのではないか。
 どんな保険だって、おさめた掛け金がそのまま消えてしまうなどということはこれまでなかった。保険金の支払いがきちんと行なわれていなかったことは民間の保険であったが、掛け金を払った事実そのものがうやむやになっていたわけではなかった。ところが、民間よりも信頼度が高いと思われてきた年金が、掛け金が払われたかどうかという根本的なところでわからなくなってしまった。パソコンを買おうとしてお金を払ったものの、品物をもらえないのでは買う気はしなくなる。これと同様のことが起こったわけだ。
 しかもその理由がいろいろあるというのだから、問題の根は深い。紙の記録を電子化するときに間違えたといったことから、担当者がネコババしてしまったことまであるという。政府は、「コンピューターを使えば誤りの修正がたちまちできます」みたいなことを言うけれど、データがきちんと電子化されていないのであれば、コンピューター・パワーが役に立たないことは誰でもわかる。
 年金のもらえないワーキングプアの存在が問題になったが、掛け金を払っていてももらえない可能性があるわけで、こうなってくると、行政のミスというより、国の信用そのものが問われる事態である。

●国の信頼度が低下し続けた15年

 考えてみれば、ここ15年ほどのあいだに国に対する信頼度はどんどん落ちている。
 そうなった大きな変わり目は、やはり90年代の経済の混迷だろう。「こうすれば経済が回復します」と国がやり続けた政策がまったく効き目がなく、事態はどんどんひどくなっていった。
 この時期に就職できなかったいまの20代後半から30代前半は、国に対する幻想を持っていない人が多い。
 また逆に、国のあり方自体を変えなければどうにもならないと思って政治の世界に飛びこんでいく人もいる。
 そこそこ豊かな時代には、国というのは自分にはあまり関係がないもののように感じられるが、国のありようが自分の人生に直接的な影響を与えるときにはそんなことは言っていられなくなる。就職できないのはなぜかを考えれば、それは「自己責任」などといったレベルではなく、世の中のほうに問題があると気づく。社会に不信感を抱きいらだつ人もいるだろうし、真っ当に正面から直そうという人も出てくる。

 耐震偽装のときにも、国の建築審査がメチャクチャだったことが発覚し、国中の建築物の信頼性が揺らいだ。年金についても、政府が予定しているように加入期間を明記した年金手帳が配布されれば、いま気づいていない人たちにも誤りがわかり、国の信頼度はさらに揺らぐ。

 しかし、さしあたりこの年金問題にもっともショックを受けたのは、「国なんてアテにならないよ」と斜に構えている都市住民に多いタイプよりも、国や政府を信頼してきた地方・農村部の人びとかもしれない。戦後何十年も国や与党をともかくも信じてきた人たちが、90年代の経済の混迷や格差の広がりで不信感を募らせたあげくにこうしたことになって、かなり決定的な不信感を抱くにいたったのではないか。
 参議院選挙で自民党は、これまで強かった地方・農村部でも大敗したが、こうした変化が反映しているのだろう。

●「生活が第一」のインパクト

 安倍首相は、自分の政策が否定されたとは思わないと言って続投を決めた。国のありようの根幹にかかわる憲法や教育基本法の改正に意欲を燃やしていた首相が、年金のような生活に直結する部分で足をすくわれることになったのはなんとも皮肉である。どんな批判よりも、イデオロギー色の強い安倍首相の主張に対する手痛い打撃になった。まともに機能していない行政組織のトップが、「美しい国へ」などといってもそらぞらしいだけだ。さすがに参議院選挙中は、このキャッチフレーズを口にしなかったようだが、もはや手遅れだ。首相就任直前に刊行した同タイトルの本がベストセラーにまでなったのだから、この言葉は安倍政権のキャッチフレーズとしてすっかり浸透してしまっている。
 「戦後体制の脱却」も安倍首相のお題目のひとつだが、脱却する以前にちゃんとしたものにしてほしいというのが、たいていの人の気持ちだろう。それに対して、「生活が第一」を掲げた民主党の選挙戦略は、あざといぐらいにたくみだった。

 安倍首相は、年金問題の大きさに気がつかなかったわけではないだろう。気づいたからこそ、そのショックをやわらげようとあれこれ言い、かえって墓穴を掘ってしまった。とても覆い隠せる話でないのにそう判断したところが、致命的な誤りだった。その結果、「美しい国へ」という標語との隔たりがさらに大きくなり、空疎さがきわだってしまった。

●「美しい国へ」と「政府を転覆しろ」

 日本の首相や大臣は(あるいはほかの多くの役職でもそうかもしれないが)、なって何をするかではなくて、なること自体が目的で、なってしまえば目的の大半は達成されたのでいつ辞めてもいい、むしろ早く辞めればその役職に就きたい人の希望をかなえられるのでかえっていい、みたいなところが多分にある。しかし、首相が短期で次々と替わることの弊害はたしかに大きい。「ちょっとやそっとのことでは首相は辞めないぞ」という前例を安倍首相は作ろうとしているのだろう。やはり首相になった安倍氏の祖父や大叔父は、国民の猛反発のなかいつまでもその地位にとどまっていた。こうした「家風」を引き継ごうともしているのかもしれない。

 安倍首相の運命はともかく、国民から国が信用されなくなるというのは、そうとうに深刻な事態である。いうまでもなく、信頼されなければ、税金だって払われなくなるし、犯罪だって多発する。国が荒れていく。

 最近の選挙で、「この国は最悪だ。改革なんてやったって無駄だ。私には建設的な提案なんてひとつもない。この国に何も望まない。この国は見捨てるしかない。この国は滅ぼせ」と叫ぶ政見放送がユーチューブで流れ、人気を呼んだ泡沫候補がいた。自分は限られた少数派にだけ呼びかけるというその政見放送は、(おそらく笑って見ていた人が大半だろうが)不気味な迫力もあった。

 「美しい国へ」と「政府を転覆しろ」という叫びは表裏一体だ。「美しい国へ」が空虚なモットーに見えてくればくるほど、もうひとつの声がいつのまにか強く響いてくることになる。

afterword
前回取り上げた広報のプロの自民党議員・世耕弘成氏は、選挙のあと政治番組に出まくっている。広報や危機管理の欠陥に対するあせりの現われなのだろう。

関連サイト
社会保険庁のサイト。「重要なお知らせ」が頻繁にアップされている。
●なぜかベータ版と書かれている安倍晋三首相の個人サイト。「政権構想『美しい国、日本』」というページももちろんある。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.496)

« 失敗した与党の広報戦略 | トップページ | 景気が回復したのに、給料が上がらない理由 »

社会」カテゴリの記事

2014年8月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31