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2007.06.12

ネットはテレビをどう呑みこむのか?

 連載を大幅に改稿してアスキー新書で『ネットはテレビをどう呑みこむのか?という本(右の本)にしました。

 内容を簡単に言えば、テレビがネット端末になって、ネットのコンテンツがテレビに溢れる、その過程のすったもんだ、とメディアの未来に関する本です。

 まえがきと目次を載せておきます。

●まえがき――大きな変化を目の前にして

 テレビはネット端末になろうとしている。そうした時代には、どんなことが起こっているのだろうか。
「テレビがネット端末になろうとしてい る」といえば、若い世代を中心に、当然そうなるだろうなと思う人がいる一方で、そんなはずはないと反発する人もいるかもしれない。しかし、インターネット でテレビのコンテンツが配信されるということは、テレビ番組がネットのコンテンツのひとつになるということにほかならない。膨大なネットのコンテンツのひ とつになったテレビ番組は、当然ながら、現在のような地位を保つことはできない。そうしたことを感じているからこそ、テレビ局側の抵抗は大きい。
  ライブドアや楽天のテレビ局との争いでは、テレビ(局)とネット(企業)のどちらが勝つのかが話題になった。企業ベースでの争いは、そのときどきさまざま な結果になるだろう。しかし、前代未聞の巨大なメディア装置であるネットが、テレビを含めた既存のメディアを呑みこむことはほとんどまちがいない。既存の メディアが完全に姿を消すことはないだろうが、いずれにしても大きな影響を受け、姿を変えていかざるをえない。いまむしろ問題なのは、それがどのように起 こるのかということだ。
 本書は、週刊アスキーの連載コラムなどからメディアとネットにかかわるものを選び、大幅に加筆・改稿し各章ごとにまとめたものである。何が起こっているのかが初出より明確になり、コラムを読んでいただいていた方にも、また別の印象のものになっていると思う。
  週刊誌という性格上、そのときどきに起こった事件をとりあげることが多いが、ここ数年は、テレビとネットの関わりについて書くことが多かった。それは、 2011年のアナログ放送の停止という「国家目標」がしだいに近づいてきて、最大のメディアだったテレビに変化が起きることが確実になったからだ。
  テレビのデジタル化とインターネットの急速な普及は、もともと別個のことのはずだ。このふたつが同時に起こったというのは歴史の皮肉というべきか、みごと な調剤というべきか。変化のスピードはいよいよ加速され、以前はまったく予見できなかった変化が次々と起こる。メディアの変化に関心を持つ人間には、まこ とに興味深いドラマが展開されることになった。
 第一章ではまず、視聴者から見て、未来のテレビがどうなるかを考えてみた。それとともに、メディア産業の地殻変動の源になりそうな亀裂のありかも探ってみた。
  第二章では、テレビはもちろん、メディア全般に革命的なインパクトを与えつつある動画投稿サイトのユーチューブが果たしている役割について詳しく解説し た。文章などに比べてプロフェッショナルなノウハウが必要と思われがちな動画についても、一般の視聴者の参加の余地は大きい。ユーチューブは、双方向的な 魅力を加えればシロウトの動画であってもかなりの数の視聴者を得られるということを実証した。「反テレビ」とでも呼ぶしかないそのありようが、コンテンツ のプロたちにあたえた意味は小さくない。
 放送と通信の融合といえば、この専門的な用語をワイドショーにまで登場させたライブドアの「ホリエモ ン」や楽天の三木谷社長をまず思い出す人も多いだろう。これまでの連載原稿を読み返してみると、「ホリエモン」について書いた回はたしかにずいぶん多かっ た。第三章や第五章などに文脈に沿ったものをごく一部収録した。
 けれども、「テレビとネットの戦い」というのは、もはや単純すぎる表現に思え る。この原稿を書いている時点で楽天のターゲットになっているTBSはともかく、日本のテレビ業界にとってさしあたりほんとうに気になっているのは、放送 や通信をめぐる制度がどのようなものになるのかということだろう。さらに、新興のIT企業などよりも、NTTのような巨大通信企業グループの動向も気にか かっているにちがいない。
 第三章は、放送・通信それぞれのメディア企業が具体的にどのような動きを見せているかをたどった。そして第四章では、おもに放送と通信をめぐる制度面での変化についてとりあげた。
  電波という限られた資源を使うテレビは、法律や行政のルールに縛られてがんじがらめになっている。言うまでもないことではありながら、一般の視聴者が意識 することは少ないのではなかろうか。テレビのありように変化がないときには意識する必要がなかったし、また意識しても仕方がなかったともいえる。しかし、 テレビをめぐる「パンドラの箱」が開きつつあるいまは、新たな制度設計が必要になっている。テレビを支える構造そのものにも目を向ける必要がある。
  その際に大きなファクターになるのは、「視聴者の利益」ということである。視聴者・消費者の利益に合致しているのかということを制度設計の錦の御旗にしよ うという動きが、小泉政権下で見られた。小泉政権の業績については毀誉褒貶いろいろあるだろうが、「生産者の論理」で決まることが多かった日本の政治に風 穴を開けるこうした動きは評価できるものだった
 小泉政権の誕生とテレビのデジタル化やインターネットの普及が同時期に起こったことにも何の歴史 的必然もないはずだが、これらの出来事は同時期に起こるべくして起こったように見える。ユーチューブもそうだが、インターネットは、消費者・利用者の立場 をかつてないほど強くする。そうした新しいメディアの普及期に、規制緩和や民間開放によって消費者に利益をもたらそうという政府が誕生したことは偶然とは 思えない。小泉政権は、そういう意味でインターネット的だった。小泉自民党が堀江を応援したのも偶然とは思えない。第四章では、小泉政権のこうした方向性 が、放送と通信をめぐる問題のそこここに影を差していることが感じられるだろう。
 さて、本書の最後の章は、消費者や利用者が力を得る新しい時代の影の側面である。
 週刊アスキーの連載コラムは『仮想報道』という連載名と同じタイトルで一九九七年に最初の本にまとめている。そのまえがきに、「もの言わぬ砂つぶがしゃべるとき」というサブタイトルで、私はこう書いた。

 これまで、情報の受け手になることはできても、発信者になることは容易ではなかった。有名人であるか、メディアに携わる以外には、世界を見る眼、聞く耳にはなれても、しゃべる口にはなれなかったのだ。
 しかし今、こうした世界に大きな変化が訪れようとしている。
 著名人でなくても、メディアの人間でなくても――つまり選ばれた少数者でなくても――情報の発信者となることが可能な時代がやってきたのだ。コンピューター・ネットワークというのがそれである。この情報ツールによって、個人が情報を獲得し発信することが可能になった。
 こうしたことはとりあえず望ましいことというべきだろう。いうまでもなく、民主主義とは個人が自由にものを言えることにもとづいている。話すという身体機能のよりいっそうの拡張は好ましいことであるにはちがいない。
 しかし、残念ながら、われわれはこうしたことに慣れてはいない。われわれが慣れていたのは、ものを言わぬ砂つぶ、都会の雑踏に埋もれる名前のない自分たちだ。
 砂つぶがものを言いはじめたとき、いったい何が起こるだろうか。
「1997 年の最大の事件」は、じつはそれだ。個々の事件に反応し、個人が、あるいは物言う機能を持たなかった団体が、これまでだったら語らずにすましてしまっただ ろうことを語りはじめるとき、われわれの社会に、そしてわれわれに何が起こるのか。――本書は、そうした事件の物語である。

 10年経って、この文章は少し素朴すぎるものに思われてきた。「もの言わぬ砂つぶがしゃべりはじめた」と喜んでばかりいるわけにはいかなくなってきたのだ。最後の章は、マスメディアが「みんなのネット」に呑みこまれたときに何が起こるか、それを考えてみた。
  こうしたことを思いめぐらすきっかけになるような事件は、ネットにはこと欠かない。こと欠かないが、イラクで起こった人質事件のときの、ネットとマスメ ディアあげての異様な「盛り上がり」は、いまの社会のありように不安を感じ始めるのに十分なできごとだったと思う。この事件はいまの社会の底に眠っている 不安定なマグマの所在を見せつけるものだった。
 詳細は本文を読んでいただきたいが、ポピュリズムが批判された小泉政権下でこうした事件が起こっ たことも偶然とは思えない。ネットという直接民主主義的な装置によって、ポピュリズムは確実に増幅される。もう10年すると、それがどういうことに行き着 くのかは、さらによく見えているかもしれない。とはいえ10年後に、社会に致命的なダメージをあたえていなければよいのだが。

●目次

まえがき――大きな変化を目の前にして

第一章 二一世紀のメディアの主戦場は何だろう?‥‥

第1節 テレビが二一世紀メディアになるとき
 ・連ドラがおもしろくなった理由
 ・テレビのパワーはどこから生まれる?
 ・電子番組表って、テレビに表示すべきものなの?
 ・リモコン・ディスプレイで始まる電子新聞の時代
 ・いまのコンピューター環境に欠けているもの
 ・テレビのステータスはいまが底?
 ・テレビ局が受信機を独占する時代の終わり

第2節 未来のテレビ
 ・テレビポータルサイトの是非
 ・サンプル動画が壁表示される検索
 ・未来のネット端末テレビ生活
 ・ユーチューブより検索サイトのほうが有利!?
 ・未来のテレビ広告とコンテンツ

第3節 メディアとのつきあい方の変化
 ・タイムシフト視聴への移行
 ・テレビCMのおかげで心は引き裂かれ‥‥――時間の使い方の変化
 ・能動的な視聴によって連ドラは復活した?

第4節 メディア企業の生き残る道
 ・「クール・キッズ」がメディア利用を変革する
 ・連ドラ視聴がいぶかしく見られる理由
 ・アイソのつかされないテレビ
 ・メディア企業のビジネスモデル
 ・「仲間割れ」するメディア企業

第二章 ユーチューブ旋風でテレビが変わる

第1節 ウェブ2・0時代の動画配信
 ・ヒートアップし始めた動画配信ビジネス
 ・グーグルに勝った無名の若者たちの配信サイト
 ・ユーチューブ人気の理由
 ・著作権侵害コンテンツのジレンマ
 ・「バブル2・0」とウワサされたユーチューブ
 ・うるさがられない広告を求めて

第2節 ウェブ2・0時代の広告
 ・ユーチューブの広告戦略
 ・広告についての考え方を一変したユーチューブ
 ・利用されることで収入を得るビジネスモデル
 ・グーグルによるユーチューブ買収の背景
 ・「消費者の生成するメディア(CGM)」を使ったウィルス型広告
 ・ブログや動画配信サイトで損しているのは誰か?
 ・映像コンテンツ企業の考え方も変えたユーチューブ
 ・名よりも実をとり始めたテレビ局

第3節 強まり始めた「ユーチューブ包囲網」
 ・絶妙のタイミングで行なわれた合意
 ・強大化するグーグル=ユーチューブへの警戒感の高まり
 ・グーグルやユーチューブにたいする訴訟攻撃
 ・勝敗の分かれ目

第三章 テレビとネット、呑みこまれるのはどっち?

第1節 姿が見え始めた「放送と通信の融合」――通信事業者の戦略
 ・IT企業のもくろみ
 ・テレビに乗り出したNTT
 ・NTTと対立するメディア企業グループの動き
 ・テレビが家庭内ATMになる
 ・動き始めたネットでの再送信時の権利問題

第2節 民放の広告モデルが崩壊するとき
 ・テレビCM損失額は五四〇億円
 ・ハードディスク・レコーダーは従来のビデオ・レコーダーとは違う
 ・広告がすっ飛ばされてしまえば民放は成り立たない
 ・記憶されていないテレビ広告

第3節 変化を受け入れられるか――テレビ局の戦略
 ・相次いでネット配信に乗り出すことを発表したテレビ局
 ・見かけ倒しのテレビ局のネット配信
 ・やる気満々だった日本テレビ
 ・広告を見ることはコンテンツ料金を払うこと
 ・キーワードはレトロ
 ・テレビ発の「ネット・コンテンツの作り方」
 ・究極の「放送と通信の融合」はテレビ局の悪夢
 ・TBSのねらいはDVDの販売?
 ・テレビは幸福になるのか不幸になるのか

第4節 国家プロジェクト破綻の危機感が引っ張り出した「放送と通信の融合」
 ・見通し不明の放送のデジタル化
 ・貧乏人は二度とテレビをみなくてけっこうです!?
 ・画面が小さくなるデジタル放送
 ・困りもののデジタル放送

第四章 合意された放送と通信の近未来

第1節 小泉政権下で変化を生んだ仕組み
 ・少数の民間人によって動いた政策
 ・ネット時代の政府のペーパー
 ・戦後何十年かの放送の仕組みがまもなく変わる?

第2節 放送と通信の融合はバラ色か?――ネットの競争ルール
 ・放送、新聞、出版‥‥メディアの変化はなぜ起こる?
 ・携帯電話の乗り換えがもっと簡単になる?
 ・ブロードバンド時代の競争ルール
 ・携帯電話と固定電話の融合
 ・統合型事業の登場

第3節 光ファイバーを誰が引く?
 ・通信の未来を握るのは誰?
 ・残り半分の世帯のブロードバンドはどうなる?
 ・光ファイバーは高速道路と同じ?

第4節「合意」は実現されるか
 ・大山鳴動ネズミ何匹?
 ・NHKの料金引き下げと制作部門の分離
 ・ハードとソフトの分離
 ・どうしても合意できないものは‥‥?

第5節 ネットで全国放送できないわけ
 ・地方は、チャンネル数が少なくてあたりまえなのか?
 ・日本の放送制度の根幹
 ・失われた機会

第6節 IT政策の揺り戻しが始まった?
 ・後退した第三次中間答申
 ・迷走するコピーワンス問題
 ・「消費者の利便性が考えられなければ可能性はない」
 ・コピーワンス問題の摩訶不思議
 ・コピー制限が必要なほんとの理由は? 
 ・コピー回数を増やす案が有力か
 ・安倍政権は誰の味方か?

第五章 "群衆の叡知"の真実

第1節 ネットの時代にはスクープに価値がなくなる?
 ・「記者クラブの壁」とラジオ局
 ・「一次情報はもはや重要ではない」
 ・ライブドアのパブリック・ジャーナリズム
 ・コスト削減のための市民記者
 ・新興ネット企業が急成長できる理由
 ・一次情報の社会的価値と経済的価値の乖離

第2節 ブログによって事件が解説されてしまう時代が本格的に始まった
 ・量が質を生むネット
 ・予定調和のないブログ解説
 ・マスメディアとブログにおける時間の制約
 ・立場によって見方が大きく変わることを感じさせるブログの解説

第3節 踊る世論と「メディアの死」
 ・大衆社会とポピュリズム
 ・マスメディアは直接的な反応に耐えられるか
 ・イラク邦人人質事件について揺れる朝日新聞社説
 ・人質家族に疑問を呈した読売新聞社説
 ・過熱するネット世論とマスメディア
 ・イラク邦人人質事件についての朝日・読売の社説にたいする学生の反応
 ・学生たちの熱をさました海外の見方
 ・あっという間に非難の嵐
 ・メディアが死ぬとき

第4節「みんなの意見は案外正しい」というのはほんとうか?
 ・日本社会と「大衆の叡知」
 ・ネットの意見はどんどん正しくなくなる
 ・スロウィッキー仮説の真実
 ・「双方向であればあるほどメディアはよくなる」というのはほんとうか?

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