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2007.05.11

地方は、チャンネル数が少なくて当たり前なのか?

地デジのネット再送信の準備が進んでいるが、
セットトップボックスを使い、県域単位になる。
こういうやり方でいいのだろうか。

●テレビが全国放送できないわけ

 テレビを見ている側から言えば、番組が電波で届こうがネットで送られてこようが、コンテンツが同じであればどうでもいいことだろう。しかし、地上 波の放送をネットで流すことは、実質的にかなり大きなインパクトがある。それが起爆剤になり、テレビがネット端末になる動きが加速されるからだ。
 地上波の放送をネットで流すことをIP再送信というが、NTTは今年の初めに地上デジタルのIP再送信の実験を開始した。
 地上波の放送は県域単位で行なわれているが、チャンネル数が少ない地方も多く、都会との格差は大きい。地方の視聴者は、地元で流れないキー局の番組も見たいだろう。地上波のテレビは基本的な放送であり、格差是正というならば、本来、これを解消する必要がある。
 ネットを使えば、全国放送どころか全世界放送だってできる。地上波デジタルのネットでの再送信は、格差解消の格好の手段でありえた。けれども、それをやれば、キー局の番組を流している地方局の立場がなくなるということで、ネットでの再送信も、県域単位になってしまった。

 昨年前半に注目を集めた総務大臣の私的懇談会「通信・放送の在り方に関する懇談会」ではこの問題も俎上にあがった。まとめられた報告書には、「デ ジタル化・IP化の特徴の一つは、距離や地域の制約を取り払うことにあり、地方局の番組制作力の強化と経営基盤の充実に資する面もあるため、基本的には再 送信に地域限定を設けるべきではないと考えられる」と書かれている。けれども、この文章は、「しかし」と続く。

「しかし、本来この問題は事業者の側で判断すべき事柄であり、行政の側がその判断に積極的に関与することは適当ではない」。

「キー 局の番組を再送信した場合の地方局の経営への影響等、現実には様々な問題が生じ得るので、それへの配慮は必要」で、「各放送事業者が自らの判断により、関 係者との協議を踏まえて決定すべき」と当事者にゲタをあずけてしまった。こうして地方の視聴者の立場が顧みられることはなくなった。

●日本の放送制度の根幹

 キー局と地方局の関係というのは、日本の放送制度の根幹で、ネットで全国放送をやれば、それがひっくり返る「おおごと」である。
 地方局 は、キー局の放送を流すだけで「電波料」をもらえる。テレビ業界以外の人間には、これは不思議な話に思える。コンテンツの提供を受ける側が提供側にお金を 払うのがふつうだが、テレビの世界はその逆だ。コンテンツをもらって使う地方局が、提供者のキー局からお金をとる仕組みになっている。
 キー局が 作った番組に、地方局が自分たちで取ってきた広告を付けて放送するのであれば、たしかに地方局はキー局にお金を払わなければならない。しかし、キー局の広 告付きで番組を流せば、払うどころか電波料がもらえる。視聴者はドラマやバラエティこそが本編だと思っているけれど、おカネの面から見れば、広告にドラマ やバラエティが付いているわけで、広告付きの番組というか、番組付きの広告を流してあげれば、地方局はおカネをもらえる仕組みである。テレビ局というのは 番組を制作するところだと一般に思われているが、「コンテンツの配信会社」でもあって、地方局は、番組付きの広告を配信して提供元のキー局からお金をも らっているわけだ。

 昨年12月に出た『テレビはインターネットがなぜ嫌いなのか』(吉野次郎著、日経BP社)という本は、テレビが50年かけていかにおいしいビジネ スになっているかを説明している。この本を読むと、放送と通信の融合にテレビ局がなぜ積極的でないのかが、業界以外の人間にもよくわかる。
 本書によれば、地方局は経常利益が数億円という規模が大半だが、一局あたり平均で年間10億円ほどの電波料をキー局からもらっているという。
  地方局は、自分のところで番組をわざわざ作らなくても、キー局の番組を流せば流すほどおカネになるので自立しない。地方の文化を守るために地方局を守れと いうが、じつは地方局は、番組制作に熱心になる必要がない仕組みのわけで、何とも皮肉な話だ。こうした形になっていることもあって、テレビ局の開局は利権 がらみのものになりがちだった。

 キー局は、全国に広告を行き渡らせる必要があるので、これまでは系列局をだいじにしてきた。とはいえ、ネットやBSを使えば、キー局だけでも全国放送ができる。だから、少しずつキー局と地方局のあいだに亀裂が入り始めているということも、この本は指摘している。

●失われた機会

 昨年前半から夏にかけて、先の懇談会がテレビ業界のこうした構造を問題にしたときが制度を変える大きなチャンスのはずだった。しかし、この懇談会 ではあまりに多くのことをあつかおうとしたためか、この問題はなしくずしになってしまった。ほんとうはこのことにターゲットをしぼった委員会を作り、もう 少し早くから検討して、方向をはっきりと打ち出すべきだった。実際、これはそうするに値する大きな問題である。結果によっては、テレビ番組のネット配信が もっと大胆にできるようにもなっただろう。地方の視聴者にも大きなメリットがあったはずだ。

 地方の文化を守るためには県域単位の放送が必要だという理屈だが、これは、電波だけに頼っていたときの発想だろう。テレビがブロードバンドにつな がることがあたりまえになってくれば、テレビに映像を送れるのはテレビ局ばかりではなくなる。ネットの膨大なコンテンツがテレビに流れこみ、そのなかには ローカルな情報を扱ったものもある。地方で広告を打ちたい企業はあるのだから、そうした広告がほっておかれるわけはない。ローカルな広告をもとにしたロー カルな情報発信がネットを使って行なわれ、それをテレビでも見ることができるようになる。
 そもそもどこへ行っても郊外に大きなショッピング・セ ンターがある同じような光景にしておいて、テレビで地方の情報発信をすれば地方文化が守れると考えるのはあまりに安易な考えだ。それも、もっといろいろな 番組を見たいとか、キー局の番組を見たいといった視聴者の欲求を妨げることによってそれを成し遂げようというのだから、あまりに不自然だ。こんなことがい つまでも続くわけはない。
 地方文化を守るにしても、テレビで見られるコンテンツを減らすのではなく、増やすことによって達成すべきだというの は、あまりにあたりまえのことだと思うのだが、なぜそうしたことが主張されないのだろうか。地方・中央を問わず、新聞社から生まれたテレビ局も多く、両者 は深い関係にある。だから、新聞はこうした問題をとりあげたがらない。しかし、ネットのような第3のメディアが力を持てば、そうも言っていられなくなる。 そうした日は確実に来つつある。

afterword
 ブロードバンドによって同時再送信される地デジは、ほかのネットのコンテンツと切り離され、セットトップボックスを使って、県域単位で送信される。そもそもこうした方式にする必要があったのだろうか。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.482)

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