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2007.02.09

2ちゃんねるは管理人ひろゆきの性格の反映?

月間1000万人がアクセスする巨大メディアの
『2ちゃんねる』が個人サイトだということは、
強調してもしすぎることはない特異なできごとだ

●人工的な「社会」の創造主

 2ちゃんねるの管理人・西村博之氏(通称ひろゆき)はメディアにもしばしば登場し、かなり開けっぴろげにしゃべっている。だから、何を考えているのか明らかなようだが、よくわからないことも多い。
 誹謗中傷の書きこみがあふれ、書きこみをした人の情報を明からかにしないことから、ひろゆきは数々の訴訟の対象になって、高額の賠償を負っている。
 また2ちゃんねるを恨んでいる人のなかには筋の悪い人もいるだろう。本人ばかりか、家族が不安を感じるようなこともあるにちがいない。そんなリスクを負いながら、何のために2ちゃんねるを続けているのだろうか。

 広告料や2ちゃんねるの書きこみをまとめた本の印税その他の二次使用料でそうとうの収入があるにしても、金儲けのためにやっているようにも見えない。
  アナーキーな2ちゃんねるの言論を守るため、などと大上段なことはおよそ口にしそうにないひろゆきだが、そうした意識は多少はあるだろう。ネット以前のマ スメディアなどによる一方通行の言論ではなく、誰でも匿名で情報発信できるネットのあり方を守る。それが守るに値するかどうかは人それぞれだし、爆弾予告 や殺人など、刑事事件にかかわる警察からの照会には情報開示に応じているようだが、民事についてはそうではない。その是非はともかく、彼が身を盾にしなけ れば匿名性どころか、2ちゃんねるも維持できない。しかし、そうした「大義」のためばかりで2ちゃんねるをやっているとも思えない。
 ではいったい何のためにやっているのか。

●最高の社会学

 1年ほどまえにひろゆきの話を聞く機会があった。そのとき彼が口にしたことで、とても印象に残っていることがある。それは、社会学に興味を持っている、と言ったことだ。
  阿鼻叫喚が交錯する2ちゃんねるはまさしく社会の縮図だ。神のような高見から社会を見ることができる2ちゃんねるは、格好の社会学のケーススタディの場所 である。これまで、どんな高名な社会学者も、社会を研究しているにすぎなかった。しかし、ひろゆきは、社会そのものを創ったわけだ。

 いまの時代の最高のアートは、作品を作ることではなくて、作品を生む道具そのものを作ることだと、あるメディアアーティストが言っていた。どんな 偉い絵描きでも、これまでは、絵の具や筆など他人が作ったものを使って創作していたにすぎない。しかし、コンピューターを使えば、多くの人が創作する場所 やソフトそのものを作ることができる。創造行為のもっとも基本的な部分にアーティストがかかわれる。なまじっかの作品を作るより、そのほうがはるかに大き な影響力を発揮できる。それこそがこの時代の最高のアートだとしたら、同様に、社会を創るのは最高の社会学だろう。社会を創るという神のようなふるまいと 引き替えに、ひろゆきは、ふつうの生活を送れないリスクを甘受しているのではないか。

 私が一番最初に書いた本はポップ・アーティストのウォーホルの伝記だが、ウォーホルもまたそうした「趣味」を持っていた。「ファクトリー」と呼ば れる自分の仕事部屋に集まってきたジャンキーや性倒錯者のどんちゃん騒ぎを片隅でじっと見て楽しんでいた。そのあげく、そうした女の一人に恨みを買って、 ピストルで撃たれたりもしている。
 2ちゃんねるもまた、醜い欲望や感情が赤裸々に見てとれる空間だ。他人ごととして見ているぶんには、これほど おもしろい場所はない。そうしたひそかな欲望からひろゆきが2ちゃんねるをやっているのではないか、というのは私の憶測に過ぎないと言えばその通りだが、 2ちゃんねるがひろゆきの個人サイトである以上、彼の個性や考えを反映しているにはちがいない。

 そのとき彼から聞いた言葉のなかでもうひとつ強く記憶に残っているのは、「わざと殺伐としたサイトを作った」と言ったことだ。
 もし2 ちゃんねるを暖色系の柔らかな背景のサイトにしていたら、いまのような2ちゃんねるにはなっていなかっただろう。もちろん2ちゃんねるには、助け合いの ムードが漂うヒューマンなスレッドもある。しかし、このサイトを生んだ青年が「殺伐としたサイト」を作りたかったのだとしたら、ヒューマンなスレッドは彼 の当初の意図に沿ったものとはいえないわけだ。
 これだけの巨大サイトだから、「創造主」の意図と離れた部分が出てくるのは当然だが、「創造主」はなぜ「殺伐としたサイト」にしたかったのだろうか。
 殺伐とした人間絵巻を見たかったからにちがいない。そうだとしたら、その意図はもののみごとに実現したことになる。

●実現したアナーキー

 ひろゆきのこうした言葉を聞いて、犯罪者や歪んだ欲望の持ち主が参入し、ふだんは威張っているマスコミや企業、著名人がすっぱ抜きや誹謗中傷の泥 沼に引きずりこまれ、多くの人が泣いたり笑ったり怒ったりしているのもすべてひろゆきの手のひらの上でのこと――というのが言いすぎだとしても、少なくと も彼のデザインした環境のなかで七転八倒している、ということは言える。
 ひろゆきと2ちゃんねるの関係についてあれこれ思いめぐらせていると、月間一〇〇〇万人がアクセスするこの巨大メディアが、個人サイトにすぎないという事実の特異さをあらためて感じないではいられない。
  誰でも情報発信でき、無名の個人でもネットを使えばマスメディアなみの情報発信ができるというのは、いまとなってはあたりまえのことになった。しかし、そ うは言っても、一人の大学生が作ったサイトが6-7年のうちに膨大なアクセスが集まるメガメディアになり、そうなってまでも個人サイトであり続けていると いうのは前代未聞である。その個人が一人で「全責任を負う」と宣言し、実際いっさいの法的責任はひろゆき個人が負う仕組みになっている。
 マスメ ディアなどからこれだけ非難を浴びているサイトなのだから、ハンサムな好青年に見えるひろゆきを正面に立て、裏で誰かが操っているのではないかと、正直な ところ勘ぐりたくなるし、またそうであったほうがずっと理解しやすい。とはいえ、個人サイトがこのように肥大化するというのは、もちろん起こりうること だ。サイトを作る技術力さえあれば誰でも始められるし、2ちゃんねるのようにボランティアの助けも借りれば膨大な人を相手にできる。
 けれども、 ボランティア・ベースでは、誹謗中傷などのトラブル時の対応にはやはり不備がでがちだし、そうなったときの被害を十分にぬぐうこともできない‥‥というの が今の2ちゃんねるが置かれている状況だ。第一義的には、それは根拠のない誹謗中傷をしている人間の罪だが、こうした状態がいつまでも放置され続けるとは 思えない‥‥というのが常識的なモノの見方というものだろう。

afterword
 いまのネット社会はロシアン・ルーレットのようだ。笑って攻撃している側が、ふと気づくと攻撃されている。誹謗中傷のターゲットにいつなるかわからない。そうしたことに気づいている人も増えている。

関連サイト
 アンチ2ちゃんねるサイトはかなりの数ある。膨大な「2ちゃんねらー」に抗するアンダーグラウンドの抵抗組織のような雰囲気も漂っている。たとえば、この『2ちゃんねるから子供たちを守ろう!』『2ちゃんねるの攻撃から身を守る為のブログ』はブログ・ランキングなどでも上位になっていて、注目度が高い。アンチ2ちゃんねるサイトへのリンクも多数張られている。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.470)

追記1
上の「殺伐としたサイトにしたかった」ということについて、ひろゆき氏のブログで反論(説明?)があったので、リンクしておきます。

追記2
この件については、3月6日発売の週刊アスキーであらためて原稿を書きます。
このサイトへの掲載はその後、10日ごろです。

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