« 日本のネットを作ったもの――オタク文化とウェブ | トップページ | 日本のネットが匿名志向の強いその理由 »

2006.12.08

ミクシィ嫌い

ウェブは一般に使われ出してまだ10年ほどだが、
その性格は大きく変わった。ミクシィに馴染めない
私から見ると、最先端のネットはちょっと息苦しい。

●「"足あと"が気持ち悪い」は少数派?

 どうも『ミクシィ』に馴染めない。
 ミクシィのようなソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)は、いまいろいろな意味で注目されている。ネットについてあれこれ書いているのに、「ミクシィに馴染めない」なんて言っていていいのかと思うけど、ソリが合わないのだからどうしようもない。

 本欄でSNSを取り上げたのは、けっこう早かったと思う。
 ミクシィがまだ影も形もなく、アメリカで、グーグルが『オーカット』という SNSを立ち上げたとき、これはおもしろいと思ってすぐにとりあげた。そして、アメリカで広がり始めたSNSサイトをいくつも紹介した。そこまでは、本欄 担当者の使命(?)をまあ果たしていたといえるかもしれない。
 しかし、ミクシィには、どうにも違和感をぬぐえない。

 アメリカのSNSと比べて一段とミクシィに馴染めなかったのは、「足あと」があったからだ。ミクシィに入っている人は誰でも知っていることだけ ど、「足あと」のページを開くと、日記やプロフィール、写真などが載っている自分のページに誰がアクセスしたのかわかる。また、ほかの人のページを見れ ば、自分の名前が残る。「足あと」ページの名前をクリックすると、その人のページに飛んで、どんな人か確かめられる。
 最初に見たとき、はたしてこれが受け入れられるのだろうかと疑問を感じた。もう少し率直に言えば、「気持ち悪い」と思った。これは一種の監視のシステムで、プライバシー上も問題では、などと思ったけれど、それはかなり見当違いの感想だったかもしれない。
 というのは、まったく逆の見方もあるからだ。人の家を訪ねたときに、黙って入ってそのまま帰ったのでは不審者だ。ひと言挨拶して帰る、というのがまともな考えだろう。名前を残すというのは、礼儀にかなっているともいえる。

 でも、ここはネットである。
 少なくともミクシィ以外のサイトでは、足あとを残さず見ても当たり前だ。それがそうでなくなったのだから、とまどう人がたくさんいても不思議はないと思う。
 でも、そうではなかった。
  ミクシィの会員はどんどん増えていき、いまや600万人に達したと推定されている。もっとも、「足あと」を残していってくれる礼儀正しいサイト、などとい うことで人気が出たわけではない。「足あと」によってほかの人と関係を持てることが歓迎された。アクセスしてくれたことがわかれば、すでに知っている人と は新たなコミュニケーションのきっかけになるし、知らない人とも知りあいになれる。
「足あと」があっさりと受け入れられたことに驚いていたら、ちょっとした事件が起こった。

●広くて狭いいまのネット

 自分のサイトを作ったことがない人には何のことかわかりにくいが、たいていのブログやホームページの制作サービスには「アクセス解析」というのがあって、どのウェブページから自分のサイトに飛んできたかがわかるようになっている。
  あるとき、ミクシィからアクセスがあったので、飛んできた元ページにアクセスしてみた。そうしたら、非常勤で教えに行っている大学の授業に出ている学生の ページだった。私のサイトを紹介しているぐらいの内容だったと思うけど、次の授業に行くと、その学生は、「先生、見ましたね」となんだかとても恨めしげ だ。
 ミクシィは誰かに紹介されないと会員になれないが、私も一応はミクシィの会員だから、公開されている彼のページを見て悪いわけはない。だけ ど、なんだかとても悪いことをしてしまったような気がした。いまほどミクシィがポピュラーでなかったときだし、学生にすれば、教師もミクシィのメンバーに なっていて、アクセスされるとは思ってもみなかったようだ。
 その一件があってから、ミクシィの他人のページにアクセスするのが、ますます億劫になってきた。

 さらに、たとえばかわいい女の子の写真が載っていればクリックして見たくなるのは人情だけど、おじさんがやってくると若い女の子は嫌がるんじゃな いかとか、日記で取り上げた人物にアクセスされると、先の学生のように動揺するのだとすれば、気軽な気持ちで私の原稿の悪口を言っているところにアクセス してしまったりすると気詰まりなんじゃないかとか、考えなくてもいいことまで考え始めて、ますますミクシィが苦手になってきた。

●「足あと」があるにもかかわらず‥‥

 ミクシィ内で友人関係を結んだ人のことを「マイミク」と呼ぶ。マイミクの日記が更新されると、自分のページにタイトルが表示され、メールで教えてくれる仕組みになっている。ミクシィにアクセスしたくなる仕掛けなのだけど、それもまた問題がなきにしもあらずのようだ。
  私の場合は、学生のページをたまたま見てしまって、双方気詰まりな思いをしたわけだが、まったく逆のことも起こる。自分の日記の更新情報が「マイミク」の 仲間には伝わっているはずなのに、「あいつは見にも来ない」とか、「来たことは『足あと』でわかっているのに、何のコメントも残さない」などと憤慨する、 ということは、かなりありふれたことになってきたようだ。

 またミクシィでは、「バトン」というのも流行っている。自分の日記やメールに質問を書いてまわす。「好きな音楽は」とか「好きな色は」と何項目か 問いを並べるのが普通だ。答えを知りたいというよりも、質問して答えてもらうという「つながり」の確認がけっこう重要だったりするらしく、どうでもいいよ うな問いも多い。日記に書けば、「マイミク」の仲間のページに自動的にタイトルが表示されるから、見たほうは、それに答えて、さらに自分の「マイミク」た ちにまわす。こうやって次々と渡していくから「バトン」というわけだ。
 一種のチェーンメールのようなもので、もっぱら手紙でやりとりしていた時 代にも、「不幸の手紙」というのがあった。「この手紙を受け取った人は○日以内に○人の人に同文の手紙を送らないと不幸が訪れます」というものだった。 「バトン」では、不幸は訪れないが、そのかわり、答えたりまわしたりしないと仲が悪くなる可能性はあるかもしれない。

●ますます人とつながれるようになったものの‥‥

 これと同様のことは、メッセンジャーと呼ばれるツールでも起こっているらしい。
  ポータルサイトなどが提供しているメッセンジャーのソフトをダウンロードして友人を登録しておけば、ネットにアクセスするたびに自動ログインし、友人のリ ストが表示され、クリックひとつでオンラインでのやりとりを始められる。便利といえば便利だけれど、それに答えないと関係が悪くなる、ということもあると いう。
 メールでも、返事が来なくて仲が悪くなることはある。しかし、メールの場合はまだ悠長だ。少しばかり遅れても許される。
 メッセ ンジャーでは、リアルタイムで答えなければならず、押しつけがましさはメールの比ではない。電話せずともメールでやりとりできるようになってよかった、と 思っている私には、これでは進歩ではなくて退歩だと思うけど、つねに誰かとつながっていたい、という人には、とてもいいツールということになるのだろう。

 いじめが大きな社会問題になっている。それはもう何度目かのことだけれど、今回は、ネットを使ったいじめも注目されている。しかし、ネットはいじめの手段になるばかりではなくて、仲のよかったはずの相手と突然関係が壊れる場所にもなっているのではなかろうか。

afterword
 サイトの数は膨大になっているにもかかわらず、ネットは狭くなっているのではないかと前に書いた。検索の高度化とともに、ミクシィのようなSNSの存在もネットを狭く感じさせている。
 ミクシィとはまったく発想の異なったSNSが上陸しようとしている。
 近々そのサイトをとりあげよう。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.462)

« 日本のネットを作ったもの――オタク文化とウェブ | トップページ | 日本のネットが匿名志向の強いその理由 »

ソーシャル・ネットワーキング」カテゴリの記事

2014年8月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31