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2006.12.15

日本のネットが匿名志向の強いその理由

匿名による情報発信が多いというのは、
日本人の性格を考えてみるうえで、興味深い現象だ。
日本人のコミュニケーション感覚が見えてくる。

●流動性の乏しい社会の情報発信

 日本のネットでの情報発信は、アメリカなどに比べて匿名志向が強いと、調査データなどをまじえて以前書いた。なぜそうなのかは考えてみるべきことではないか、と問題提起しながらも、その答えははっきりとは書かなかった。
 なぜそうなのか、いまひとつ私にもよくわからなかったからだ。
 でも、それから少し経って、気づいたことがいくつかある。ネットでは関心が高いようだし、問題提起してそのままというのも何なので、年が変わらないうちに、思いあたったことを書いておこう。

 アメリカでも、子どもがネットで個人情報を書きこんだために性的被害に遭うといった事件もあり、実名を明かすことの怖さは知られるようになってき た。また、ブログに書いたことが会社で問題になり、クビになるといった事例も伝えられている。こうした「実害」が認知されるようになってきて、アメリカで もしだいに名前は出さないほうがいいというムードも出てきたようだ。

 しかし、日本のネットが匿名性が高いのは、そうした「実害」のためではないだろう。害が知られる以前から、名前を出さないムードは強かった。
  文章を公開すれば、反感を買うことも評価されることもある。評価されるメリットよりも、反発されるデメリットを強く感じれば、自分の名前を出したくないと 思うし、メリットのほうを感じれば、実名で書いてもいいと思う。もちろんみんなに好かれればそれにこしたことはないだろうけれど、不特定多数の人に向けて 書いているのだから、評価する人も反発する人もいてそれはそれでしようがない。
 ところが、そう考える人は、じつはそれほど多くないのではないか。
 実名で書けば、仕事関係者や家族、友人などが読む可能性は高くなる。読み手全体からすればその人数はわずかであっても、その人たちから反感を買うことのデメリットは大きい。評価する人も反発する人もいて当然、などと醒めたことは言っていられない。

 とはいえ、この理屈は、日本人だけに言えることではないだろう。
 アメリカ人だって親しい人間に反感を持たれるのは避けたいはずだ。しか し、アメリカ人は議論は議論で、また議論なれもしていて、日本人のように、議論の結果、感情的なもつれが生じることが少ないというのが一般的な見方だ。ほ んとにそうなのかはいろいろな意見がありうるとは思うが、少なくとも主張すること自体が浮いて見えてしまう文化圏とは大きく異なる。
 また、アメ リカのように転職しやすく、社会の流動性が高く、誰かが自分のことをおもしろがってくれれば新たな可能性が広がることもある社会では、たとえ反発を買うこ とがあっても、評価される人がいればそれでいい、という考えになりやすい。アメリカ人のほうが未知の誰かとのリアルな結びつきに可能性を感じて実名で書い ている、ということはないだろうか。

 反対に、会社や学校など身近の共同体の人間に嫌われると行き場がなくなるようにふだんから感じていれば、リアルな世界に波及することへの心配は大きくなる。そうした危険を冒すよりも、バーチャルな世界での結びつきで満足しているほうがいい、と思うようになるだろう。
 学生でも、日本の場合は、浮いてしまうことを恐れる傾向はきわめて強い。そうであれば、実名で書くなど、波風のタネになるかもしれない要因はできるだけ減らしておこう、と思いがちだ。
 制度的・心理的両方の意味で流動性が高い国柄かどうかといったことや、身近の共同体とどういう関わり方をしているかが、実名を好むか匿名を好むかを決める要因になっている、ということはきわめてありそうに思われる。

●書き言葉好きの国民の匿名好き

 そんなふうに考えながら、ある国際組織のシンポジウムに行った。登壇した日本人のパネラーが、次のようなことを言っていた。
「国際会議では、日本人は、言葉の壁もあるし、そのメンタリティもあって発言しにくい。アメリカ人は、内容がなくても、べらべらしゃべり続けて議論を独占してしまう。国際組織なのだから、アジアの人々の意見も反映しやすいようにしてくれ」。
 そう注文された欧米人は、どうも困ったようで、次のような反応が返ってきた。
「自分たちも、広くいろいろな人の意見を聞きたいとつねに思っている。具体的にどうしたらいいか言ってほしい」。
 日本人パネラーの返答は、日本人にはきわめて理解しやすい次のようなものだった。
「別の国際組織では、紙に書いて、意見を出せるようにしている。これはわれわれにはとても都合がいい」
 その日本人パネラーは、こなれた英語でこうした質疑をしていた。国際会議の経験が豊富で、英語に不自由していないように見える人たちでもそうなんだな、と思ったが、英語はもちろん日本語でも、日本人は、文章を書くほうが得意で、また好きでもあるようだ。

 ブログ検索のテクノラティの調査では、驚くことに、世界のブログのなかで、日本語のブログは3分の1前後を占め、英語とトップを争うほどの多さだ という。今年第3四半期は英語が上まわったものの、昨年秋から今年春までは、英語のブログを抜き、日本語は、ブログ投稿において最大の言語圏だった。話す 人の多い中国語やスペイン語を大きく引き離している。
 こうした状況をブログでレポートしたテクノラティのCEOデヴィッド・シフリーは、日本人は携帯電話から頻繁にブログに短い投稿をしているので多いのでは、と推測しているが、いずれにしても、日本人がきわめて熱心にブログをやっていることは確かなようだ。

 日本人は、面と向かって話すのは得意とはいえないが、一定の距離を置いた形でやりとりすることを好むのだろう。以前も紹介した調査結果だが、日本 のサイトは、氏名や性別、住所、電話番号、既婚・未婚などの客観的情報の開示度が低い一方で、主観的な心情や趣味については開示を好む傾向があるという。 自己顕示や自己主張は好きではないが、自己表現には積極的というわけだ。であるならば、自分を隠して気持ちを伝えられる匿名での情報発信は、ちょうどいい スタイルなのかもしれない。

●匿名の風土

 20歳前後に外国でしばらく暮らしていた。日本に帰ってきて、はっきり物を言いにくいことにとまどった。外国語が堪能だったわけではないので海外 でスムーズに会話ができたわけではないが、外国語だと、じつにはっきりイエス・ノーが言える。というよりも、イエス・ノーを言わないと会話にならない。と ころが日本に帰ってきて、同じようにイエス・ノーをまず言うと、浮いてしまう。
 私が海外で暮らしたのはそれほど長い期間ではなかったが、それで もしばらく「帰国子女」の気分を味わった。海外で暮らしていたときのほうが心理的には楽で、コミュニケーションに困らないはずの日本のほうが窮屈に感じら れた。ずけずけと面と向かって物を言うことを回避する風土もまた、匿名を選ばせているにちがいない。

 もちろん、いいとか悪いとかいったことはまた別の問題だ。
 ただ、こうしたことは、いまさかんに議論されているいじめの問題ともどこかで関係しているのではないか。少なくともそうした風土に生きている、ということはもっと考えてみるべきことかもしれない。

関連情報
●日本のサイトは、客観的情報の開示度が低く、その一方、主観的な心情や趣味については開示を好む傾向があるという調査は、『ウェブログの心理学』(NTT出版)という本で紹介されている。
●テクノラティの創立者でCEOデヴィッド・シフリーのブログ(http://www.sifry.com/alerts/)で明らかにされた同社の調査によれば、今年第3四半期は、英語が39パーセントに対し、日本語は33パーセント(第3位は中国語で10パーセント)。しかし、今年3月は、日本語が37パーセントで、31パーセントの英語を抜いてトップ。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.463)

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