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2006.12.22

「年賀メールの勧め」から2年近くたって

年賀状を出そうか、それとも年賀メールにしようかと
迷っている人は多いだろう。
年賀メールを始めてはみたけれど、
やってみたら意外な問題も‥‥

●TBSラジオから電話がかかってきて

 今年も年賀状を書く季節がやってきた。
 原稿を書くのを仕事にしているのに何だけど、何によらず文章を書くのは気が重い。
 そう思っているところに、携帯電話が鳴った。
 TBSラジオからで、土曜の午後にやっている久米宏の番組で、年賀状について特集をするのでひと言コメントしてくれないか、という依頼だった。
「歌田さんは、昨年1月、週刊アスキーで、『年賀メールの勧め』という原稿を書いたでしょう」とのことだった。

 そうだった。
 一昨年は、年賀状を大幅に減らして年賀メールにしてみたところ、思いのほかいい点があったので、勧めたんだった。
 忘れていたわけではないけれど、どうしようかなと思っていたところだったので、不意を突かれた気分がした。

 年賀状について悩んでいる人は多いようで、そのときの原稿には、思いのほか反響があった。
 昨年初めに書いたのは、次のようなことだ。

 年賀状では、「元気?」と書いて送りあったりしているだけだが、年賀メールなら返事が来ることもあり、もう少し内容のあるやりとりができる。正月 はヒマな人も多いし、お屠蘇気分で、しばらくぶりの人と、たわいのないメールを送りあうのもいいものだ。また、年賀状だと無制限に出す数を増やすわけには いかないけど、年賀メールならいくらでも出せる。さらに、このところ知りあいについての必要な情報は、住所よりもメール・アドレスになってきた。一年に一 度、年賀メールを出しがてら整理するのも都合がいい。
 こんな内容だった。

 IT関係のビジネスマンなどには、名刺を交換したあとで、かならずメールを出すという人がいる。
「今日は○○でお会いできて幸いでした」などと書いてメールを送れば、関係を深められるということもあるが、メール・アドレスの整理がてらという人もいるらしい。
 名刺の整理をことさらしなくても、メールをやりとりしておけば、メール・ソフトにアドレスが残り、検索できる。
 また、送信済みのメールを開けば、いつどこで会ったどういう人かも思い出せる。
 メールを受け取った相手のパソコンにも自分のアドレスが残るので、検索するだけで連絡先を見つけてもらえる。
 相手との関係作りとアドレスの整理、さらにその人の記憶情報を残すことができ、そのうえ相手のパソコンにアドレスが届くという一挙何得にもなる妙手、というわけだ。営業マンなどにとっては、基本的な仕事術にもなってきているようだ。

 名刺でも、マメな人はそこに相手の情報を書きこんで、どんな人だったかわかるようにしておく、ということはやられていた。あまりおつきあいはない けれど、水商売の女性などは、そうやって一度あった人は忘れない訓練もしているらしい。そうした情報整理術のデジタル時代版がだんだんと浸透し始めてい る。

 ただ、年賀メールの場合は、ビジネスライクなつきあいの相手についてはよく考えてみたほうがいいかもしれない。
 会社のメール・アドレスの場合、自宅などで見ることのできる設定になっていなかったら、正月には読まれないが、年賀状でも同じことだから、それはそれでいい。
 問題は、自宅でメールを見ることができる設定になっていた場合だ。
  せっかくの正月休みだと思っているところに、仕事先の相手からメールが来るというのは、あまりぞっとしない話ではなかろうか。少なくとも私は、「締め切り を忘れずに」などと書かれた年賀メールを読みたくはない‥‥けれども、自分が編集者をしていたときには、そうした年賀状を毎年大量に出していたっけ (笑)。

●手間がかからず読めて、見映えのいい年賀メールは?

 難点はそれ以外にもあった。以前のコラムでも、「『メールでは味わいがない』という意見には反論できない」と、次のように書いた。
 ポー タルサイトなどでは、年賀メールの送信サービスをやっている。しかし、年賀状が届いているというメールを受け取った相手は、メールにあるリンクをクリック して、ブラウザに表示する必要があり、たくさん受け取ると面倒だ。また逆に、こうしたメールになれていない人には怪しげに見える。
「よくわからないメールの指示には従わないように」というのは、ウィルスやらフィッシングやらスパイウェアやら、だましのテクニックが横行するせちがらい時代の鉄則だから、見てもらえない可能性もある。

 私は前回、ふつうのメールで送ることにし、一応グラフィックを入れたhtmlメールにしたが、htmlメールは危険、という「せちがらい電子化時 代の常識」(?)もある。テキストメールとして受信する設定になっている人には、羽子板の画像ファイルが添付されている、かなり間抜けなメールが届いてし まうことになった。

 最近の年賀状ソフトには、作った年賀状の画像を添付ファイルにしてメールでそのまま送れるものもある。これだと一応グラフィックな年賀メールを送れるが、パソコンで年賀状を読むというのも、何だか妙な感じだ。
 パソコンの画面なのに、なんで葉書の形をしていなければならないんだろ、と思う。
 もらったほうも、「何だ、年賀状を作ったのなら出せばいいのに」と感じるのではないか。郵送料をけちっただけ、のようにも見える。

●手間が減らずに増え、結局のところ‥‥

 それともうひとつ、年賀メールには、かなり決定的な問題があった。メール・アドレスを知らない人もいるし、デジタルに馴染んでいない年輩の人な ど、メールというわけにはいかない相手もいる。また、もらった年賀状に年賀メールで返す、というわけにもいかない。結局、年賀メールと年賀状の2種類、準 備しなければならないのだ。
 笑い話のようだけど、手間が減らずに増えている。

 というわけで、昨年の正月明けに「年賀メールの勧め」を書いたものの、今年の正月は、転居通知を出す必要もあったので、どたんばになって少しだけ年賀状を刷って出し、終わりにしてしまった。
 そうして、さて今年はどうしよう、というわけだ。
  ラジオの全国放送で、「年賀メールを勧めます!」とでも言ってしまっておけば覚悟は決まったのだと思うけど、久米さんのラジオ番組では、勧めているんだ か、味気ないからやめたほうがいいと言っているんだか、自分でもよくわからないことをごぞごそ言って、番組的にははなはだ申し訳ないことをしてしまった。
 ただ、そうして年賀メールにしてみたり、また年賀状を出してみたりと、ふらふらやっているうちによくわかったのは、年賀の挨拶をするモチベーションがそもそも決定的に下がっている、ということだった。
  実際のところ、年末も年始もあまり関係なく仕事をしている。今年なんて、元旦から仕事していた。そうしたこちら側の事情もあるが、年賀状を出していようが いまいが、必要な人とは仕事を続けていて、べつに支障はない。(たぶん多くの人が思っていることだろうけど)少なくとも仕事上のつきあいの人と儀礼的に年 賀状を送りあうことって意味があるのだろうか。年賀状を出さなかったことぐらいで続かなくなる関係なんて、そもそも続かない関係なんじゃないか。
 これまではあたりまえのように思っていたことも、違ったやり方をし始めてみると、根本的な疑問をおさえられなくなってくる。

 まあ、あまり堅苦しく考えずに、気が向いたときには年賀状を出し、またあるときは年賀メールを出す。そして、気が向かない年には何もしない。私のように、年賀メールという選択肢が増えた時代には、年賀の挨拶をする習慣そのものを失っていく人も増えているにちがいない。

関連サイト
『年賀メールの勧め』
「アンカーリサーチ with goo」の昨年末の調査では、年賀葉書を出す人が43・17パーセント、年賀メールが30・17パーセント、どれも出さない予定の人が38・53パーセントとのことだった。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.464)

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