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2006.10.13

「みんなの意見は案外正しい」というのはほんとうか?

ネットで起こることは、ポピュリズムなのか、
賢明な大衆社会の出現なのか。
アメリカのベストセラーが、
それについての指針を示している。

●釣りバカ社員は雇うべき?

 ネットの役割が大きくなればなるほど、みんなの意見が正しいかどうかが重要になってくる。
 ショッピング・サイトなどでは、利用者の感想を見て購入することが多くなってきたし、政治や経済の話もブログの意見を参考にしたりする。あるいは「教えてgoo」やカカクコム、メーカー・サイトのフォーラムなどでは、利用者どうしが教えあう。

 金融関係のコラムニストのスロウィッキーが書いた『「みんなの意見」は案外正しい』の邦訳の帯には、梅田望夫さんの話題の本『ウェブ進化論』の一節が引用されている。

「『次の一〇年』は『群衆の叡知』というスロウィッキー仮説を巡ってネット上での試行錯誤が活発に行なわれる時代と言ってもいい」。

 たしかにネットは、「みんなの意見は案外正しい」かどうかの一大実験場と言える。この問題は、ネットの根幹にかかわる重大な問いになってきたし、今後ますますそうなっていくだろう。

 スロウィッキーの本では、見本市にやってきた雑多な人々が予測した牛の体重は、平均するときわめて正確だった、といった話に始まって、少数の専門家などよりも「みんな」が正しかった例がこれでもかとばかりに並び、次のように主張している。

「正 しい状況下では、集団はきわめて優れた知力を発揮するし、それは往々にして集団の中でいちばん優秀な個人の知力よりも優れている。優れた集団であるために は特別に優秀な個人がリーダーである必要はない。集団のメンバーの大半があまりものを知らなくても合理的でなくても、集団として賢い判断を下せる」。

 こうした主張は、少し前にこの欄で取り上げた企業の人事問題にも、おもしろい視点を投げかける。
  スロウィッキー仮説にしたがえば、有能でないと見なした人々を早期退職に追いやったり非正社員化するのは間違い、ということになる。「優秀な意思決定者と それほど優秀ではない意思決定者が混在している集団のほうが、優秀な意思決定者だけからなる集団よりもかならずと言っていいくらい、よい結果を出してい る」からだ。
 こうした理屈からすると、映画「釣りバカ日誌」で、西田敏行扮する釣りしか能力のないダメ社員をかばい続ける社長は、社員の多様性を維持するための合理的な行動をとっている、ということになるかもしれない。

  エリート集団や専門家集団がなぜ間違いをおかすかというと、特定の分野について優れているに過ぎないにもかかわらず、他の分野についても過信しがちだから だとスロウィッキーは言う。さらに均質な集団は、多様な集団よりまとまっており、まとまっている分だけメンバーに対する圧力が強い。外部の意見や異論を排 除し、自分たちは絶対正しいという幻想を持ちがちだ。そのことが間違いを引き起こすとのことだ。

 均質で、成員にたいする圧力が強いと間違えるということならば、均質社会といわれる日本は間違える可能性が高い、ということにもなってくる。

●ネットの意見はどんどん正しくなくなる

 『ウェブ進化論』でも、スロウィッキーの仮説を紹介しながら、ネット百科の「ウィキペディア」やミクシィ、ソーシャル・ブックマー クなど「群衆の叡知」を集めたサイトをあげている。スロウィッキーも、みんなが張ったリンクによって検索精度を高めたグーグルの例などをあげているし、 ネットについても「みんなの意見は案外正しい」と言いたいようだ。ところが、この本の主張とネットの発展方向をあわせて考えてみると、まったく正反対の結 論が導き出されるように思われる。

 スロウィッキーは、「みんなの意見は案外正しい」例をたくさんあげているが、やろうと思えば、みんなの意見が正しくなかった例も、同じぐらい並べられるはずだ。重要なのは、どういう条件であれば「みんなの意見は案外正しい」のかをはっきりさせることだろう。

 「みんなの意見は案外正しい」例に比べればかなりあっさりとではあるが、スロウィッキーはその条件についても触れてはいる。集団が賢くなるためには、多様性、独立性、分散性の3つが維持されていることが必要だと述べている。
 多様な人がいる分散的なインターネットは、まさにこの条件を満たしているように見える。しかし、インターネットの進化はすさまじい。いまのインターネットはこの条件からどんどんはずれていっているのではないか。
 
 というのは、インターネットの世界はどんどん狭くなっているからだ。
  もちろんネットの世界は量的にはすさまじい勢いで拡大している。にもかかわらず、インターネットは狭くなっている。必要な情報や人にただちにアクセスし、 濃密なコミュニケーションを維持することが可能になってきた。SNSやメッセンジャー、あるいは携帯電話などを使って四六時中ほかの人と接していることが できるし、ますます便利になり精度を高めている検索を使えば、必要な情報を以前に比べて格段に容易に探し出せる。また、はてなやテクノラティ、SNSなど を使えば、同じことに関心を持っている人を見つけ出すことも容易になってきた。こうしたサイトを使って、関心の同じ人と容易に親しくなることができる一方 で、また逆に、たたくべき相手を見つけてその情報を収集し、攻撃をしかけることもできる。

 「参加型にすればメディアはよくなると素朴に 信じるのは考えものではないか」と前回書いた。「みんなの意見は案外正しい」のなら、参加型にして多様な意見を反映させればメディアはよくなりそうだ。し かし、たとえば、2ちゃんねるなどではスレッドごとにムードができあがっていて均質な空間になり、異論を排除するムードができているし、ブログなどでも、 さまざまな意味で「不穏当」なことを書けば、誰かに発見されて追及されるということもよく起こる。便利になった反面、ネットが多様で分散されているかどう かはだんだん怪しくなってきた。

 スロウィッキーはこう書いている。

 「メンバー同士がコミュニケーションを図り、お互いから学ぶことで集団の利益になる場合もあるが、過度に密接なコミュニケーションは逆に集団の賢明さを損なう」。

 この論理にしたがえば、検索精度がよくなり、コミュニティ機能が高まれば高まるほど、ネットの意見は総じて賢明ではなくなっていくことになる。

●スロウィッキー仮説の真実

 コミュニケーション機能が発展すればするほど、多様性や独立性、分散性が減少していくというのは、インターネットのなかだけにかぎらない。わかり やすい例をあげれば、あなたが聞いた情報を携帯電話やSNS、メッセンジャーなどでいつもつながっている親しい友人AやBに告げたとする。AやBは、やは り常時つながっているCやD、EやFにそれぞれ教える。こうしてその情報は、あっというまに社会のなかに広がっていく。情報が広まる速度が速くなり、わず かのあいだに同じ情報や問題意識をみんなが共有してしまえば、考え方は多様ではなくなっていく。

 スロウィッキーは、集団が賢明な判断をするための条件を満たすのが非常に難しいことも本のなかで認めている。スロウィッキーの本は、一般に思われているのとはまったく逆に、みんなの意見が正しいと安易には言えないことを明かしている。

 こうしたことを意識せずに、「みんなの意見は案外正しい」などと脳天気に言うのは百害あって一利ない。
 当然ながら、Web2・0には明るい面も暗い面もある。

    *

 賢明であるためには多様性や独立性、分散性が必要だとスロウィッキーは言うが、おそらく程度の問題はあるだろう。どの程度、多様であったり分散的であったりする必要があるかも重要だ。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.454)

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