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2006.09.22

「自己責任」という名の心の牢獄

自己責任の問題に強い反応が起きるのはなぜなのか。
いまの会社をめぐる厳しい環境が、そうした心の動きに
関係しているのではないか。

●職場における連帯感の喪失

 この欄で取り上げるテーマは毎回さまざまだが、ネットで激しい反応が返ってくる話題のひとつは、「自己責任」に関するものだ。
 04年の イラクでの邦人人質事件や耐震偽装の事件などでは、被害者の自己責任が議論になった。そうした話題を取り上げて、ネットでの議論の沸騰にいくばくか「貢 献」したかもしれない私が言うのも何なのだけど、正直なところ、多くの人が何でそんなに激高するのか不思議だった。「しょせんは他人事」でもあるはずなの に、ひとりひとりの心の琴線に触れる事件として激しい感情が巻き起こった。

 たしかに、これらの事件の被害者の救済には、税金が投入される。自分たちの納めたお金が使われるのだから敏感になるのはわかる。しかし、少なからぬ悪意を持って税金を無駄に使っている人々は、残念ながら山のようにいる。
 イラクで拉致された人々や耐震偽装マンションの住人は、その立場に同情するしないはともかく、事件の被害者だ。それなのに、悪意を持って税金を使った人々以上に反感を買うのはなぜなのか。

 事件ひとつひとつに、人々がムキにならずにはいられない個別の理由はあったのかもしれないが、それだけのことなのだろうか。自己責任という問題そのものが、自分に直接的にかかわるひどく切実なものとして、いま多くの人が感じているからではないか。

 このところ長時間労働や成果主義など会社をめぐる問題を取り上げてきた。あれこれ資料を読んでいるうちに、自己責任というのが、テレビや新聞で報 道されている他人事などではけっしてなく、会社で働く多くの人にとってきわめて切実で、意識するしないにかかわらず、つねに突きつけられている問題である ことに気がついた。

 社会政策や労使関係の専門家・熊沢誠氏の『リストラとワークシェアリング』という本には、こう書かれている。

「地味な仕事ではあっても元気に働き続けられる気力を労働者に与える、そんななかまのいる職場社会が、ここ二五年ほどの間に徐々に、そしてこの大規模リストラの季節に至って急速に崩壊をみた」。

 能力によってランキング付けされた雇用者は、リストラの危機にあっても、連帯して戦おうとは思わない。自分よりましな評価を受け、退職勧奨されていない同僚は、支持してくれないだろうと考える。
 「スキルの棚卸し」とよばれる能力評価が行なわれた結果、リストラされるのは自分の能力や努力が足りなかったからだと、自己責任に帰着して考えてしまうのだそうだ。

 年齢や性別、組合活動などの理由で一律解雇されるのであれば、問題が共有されて連帯して戦う気になる。しかし、自分の責任だと思えば孤独に辞めて いくしかない。しかも、「この骨を噛む孤独は、杜会的差別の場合とは違って、家族にさえ語ることをためらわせる。『私はスキル不足のため首になった』と闊 達に語れる『お父さん』は少ない。だから次の職場が見つかったときに話せばいいと、しばらくはなお勤めていることにして毎日スーツ姿でハローワークや図書 館に『出勤』したりもする」。

 いまの職場が自己責任の感情によって支配され、だから雇用者は孤独になっているというのは、とてもわかる話に思える。

●自己責任とリストラ

 リストラによって、雇用者が精神的にダメージを受けるということは、この本でも引用されている労働政策研究・研修機構の「事業再構築と雇用に関する調査」からもわかる。
 人員削減によって企業がどういう影響を受けたかについて事業所に調査を求めたところ、半分ほどの会社で従業員の士気の低下が起こり、3社に1社は優秀な人材が流出したという。減らした雇用者の割合が高いか、より過激なやり方で人員削減をやった企業ほどダメージは大きい。
 雇用者の18パーセント以上を減らした企業では、7割が士気の低下を、6割が人材流出を認めている。また、希望退職や早期退職の募集をした企業は6割、解雇をやった企業は7割が士気の低下を認めている。

 早期退職に応じた雇用者についても調査していて、53パーセントの人が募集以前には離職するつもりがなかったそうで、応じた人のうち4割近くが 「会社の将来に不安を感じた」という理由をあげている。こうしたデータからは、リストラが雇用者の心理におよぼす影響を見てとれる。

 こうした流れを組合が止めることができなかったのは、非正規雇用の切り捨てについて、正社員の解雇をまぬがれるために、見て見ぬふりしたところか ら始まった、と熊沢氏は見ている。そういう組合は、さらに経営状況が苦しくなったとき、能力の劣る正社員を見捨てるようになった。こうしてずるずる譲歩し ていったのが日本の組合、というわけだ。

 熊沢氏の本では、近年チームでなく、一人一人独立して仕事をすることが増えたという研究も紹介されている。
 たしかにどんな会社でも、パソコンに向かって仕事をすることが増えた。
  もちろんネットを介してほかの人とつながることはできるが、それでも一人一人がパソコンに向かって文字を打ちこんでいることには変わりない。仕事中つな がっているのは社内の人間ではなくて、ミクシィの誰かだったりするかもしれない。わいわいがやがや話し合いながら仕事をしていたときのようなわけにはいか ない。
 仕事のスタイルも雇用の現実も、いつのまにか仕事場の連帯感を乏しくさせている。

 そういえば、会社で飲みに行くことをしなくなったという話をよく聞く。若い人たちが嫌うからだ、と言われるが、それだけのことなのだろうか。
 大学生がコンパ好きでなくなった様子はない。若い人が飲みに行かないわけではなさそうだ。しかし、会社のなかでは孤独に仕事をし、成果主義によってその責任を自分一人で受けとめなければならない。
 そうした個人主義原理が浸透した職場から、「みんなで飲みに行く」という行動パターンが消えるのは、むしろ当然のことのように思われる。

●「自己責任」の罠

 労働政策研究・研修機構の「働き方の現状と意識に関するアンケート」の仕事上のストレスについての調査では、「相談する相手がいない」と感じるか尋ねている。「強く感じる」と「やや感じる」をあわせて42パーセントの人が相談相手がいないと感じている。
 また、雇用者の6割の人が会社の将来に不安を感じていて、4人に1人以上は年収が減りそうだと思い、54パーセントが自分の雇用について不安を持っている。さらに、2人に1人が「働く時間が長」く「責任が重すぎる」と感じていて、6割が仕事量が多いと思っている。
 こんなふうに疲れて不安を感じているのに、相談する人もいない人間関係ならば、仕事のあと飲みに行く気になれなくても当然かもしれない。

 こうした厳しい状況に直面し、自己責任で生きていく以外にないことを日々痛切に感じているときに、「政府は救済の手を差し伸べるべきだ」などという議論を聞くと、「何を甘っちょろいことを言っているんだ」と強い反発を感じるということは十分理解できる。
 格差が拡大していると感じる人が増えている現在、「負け組」はもちろん、「負け組」にいつ転落するか不安感を抱く人はみな崖っぷちにいる気分になっている。これまでにない緊迫感をもって、多くの人が「自己責任」の厳しさを感じているにちがいない。

 この自己責任の環境が何より恐ろしいのは、困った状況になっても、「こうなったのは自分の責任」と思いこんでいるために、抑圧的な環境にも問題があると意識できないことだろう。
 いまの企業人は、多かれ少なかれ、自己責任という心の牢獄に閉じこめられていると言ったら、言い過ぎたろうか。

関連サイト
 労働政策研究・研修機構のサイト「事業再構築と雇用に関する調査」および「働き方の現状と意識に関するアンケート調査結果」
 このところ労働政策研究・研修機構の調査をデータとして取り上げてきたが、この組織のサイトには、労働をめぐるさまざまな調査が掲載されている。こうしたデータは自分の仕事環境を振り返るのにも役に立つだろう。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.451)

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