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2006.09.15

「みんなが能力がある」という幻想と成果主義

成果に応じて報酬を払うというのは聞こえはいいが、
会社が負っていたリスクを社員が負うことになる。
そしてこの制度は「人間の現実」に見あったものなのか

●総論賛成、現実には「?」の成果主義

 学校を出て入った小さな出版社で、「企画を立てられる編集者は10人に1人ぐらいのものなんですよ」と社長に言われて驚いた。何しろ編集者は全部で10人ぐらいしかいなかったのだから。
  人生経験豊富な社長は、「誰もが能力があるわけではないどころか、能力のある社員のほうがまれだ。それでもやっていけるのが会社だ」と、世の中を知らない 若者に教えてくれようとしたわけだが、こうした論理にしたがえば、10人のなかの1人は、ほかの9人の分まで働いているわけだ。待遇が同じならば、ばかば かしくなって転職してしまいそうだ。しかし、つねにそうともかぎらない。逆に、自分が頑張らなければ、と思うこともある。そして、その1人がいなくなる と、こんどは別の誰かが頑張りだしたりする。

 小さな会社だから、それですむという面はあるかもしれないが、大きな会社でも、ひとつひとつの部署の人数は少ない。少し前までの日本の会社は、程 度の差はあれ、こうした感覚だったのではないか。みんながみんな報酬相応の仕事をしているわけではないが、社員全体で見あっているならば、会社はそれでよ しとする。できる人の報酬をできない人に分けていることになるが、社員も、そんな細かいこと(?)を気にする人はそれほどいなかったように思う。会社とは そういうものだ、と多くの人が(意識するしないはともかく)思っていたのではないか。

 ところが、そうした状況は一変した。「報酬は成果に見あったものにすべきだ」と当然のように会社も社員も思うようになった。
 成果主義に賛成している社員はきわめて多い。今年の「労働経済白書」に掲載されている調査では88パーセントもの人が賛成している。やった仕事に応じて支払われるというのはやる気が出そうだし、フェアだと思うから、誰しも賛成するわけだ。

 しかし、公平に査定されると思うかとなると話は変わる。8割の人が「上司や管理者が正しく評価するかわからない」と答え、賛成した人も、その7割 は「賛成だが、不安」だと言っている。成果主義が実際、企業の業績にプラスになっているかどうかについては、そう示唆する調査結果も、また直接的・短期的 な関連性を見いだせなかった調査もあるようだが、労働政策研究・研修機構の調査報告書「変革期の勤労者意識」によれば、社員のほうは、「会社が導入した成 果主義は成功している」と思っているのは12パーセントしかいない。4割近くは否定的である。そして8割近くの人が「成果の測定が困難な部署がある」とか 「評価者により評価のばらつきがある」、5割の人が「部門間の業績の違いで評価に大きな差がある」などと問題点をいくつも感じている。
 けれども、興味深いことに、「成果主義は会社全体の業績を向上させる制度だ」と思っている人は約5割いる。会社の業績を向上させるとは思っていても、現実問題、成功しているかとなると、疑問に思う人がけっこういるわけだ。

 制度について客観的に見たときと、わが身に降りかかってきたときでは(当然ながら)隔たりがある。しかも、だいたいの人は、自分に能力がないなど とは認めたくない。だから、賃金を下げれば、不当な仕打ちと思いがちである。総論としては賛成だが、現実に導入すると、不安を持ち、さらには不満な人も出 てくる。
 それに対し会社は、目標を明確に設定し、結果を本人にきちんと知らせ、評価者を教育するといった方法で、透明度を高めようとする。たしかに成果主義の導入が成功するためには、不信感を払拭することが最低条件だろう。

●成果主義がもたらす非正社員の時代

 前々回、正社員が減り、非正規雇用が増えるいまの流れの行き着く先には、いまよりもっと少ない正社員といよいよ増える非正社員で会社が構成される ようになるのではないかと書いた。90年からの15年で非正規雇用が倍になり、3人に1人は非正規雇用になった。来年から団塊の世代の正社員が大量に退職 していくし、非正社員が雇用者の過半を占める時代も、やがてはやってくるかもしれない。

 こうした変化は、成果主義という発想からも当然のように導き出される結果である。会社は、正社員の待遇に見あう雇用者が実際よりも少ないことに気 がついた。必要とする雇用者の人数は景気によって変動するし、一人の人間の能力もいつも同じではない。景気の変動や能力の変化に応じて対応できる雇用シス テムが望ましい。ということで、解雇しやすい非正社員を増やすことになる。

 労働政策研究・研修機構のサイトに載っている阿部正浩獨協大学助教授の「『成果主義』成功のポイント」という研究報告は、成果主義の背景まで触れ られていて興味深い。成果主義は、経済史的に見れば、小作農が収穫量に応じて地代をおさめたときまでさかのぼれるそうで、小作料が固定か出来高に応じてか によって、リスクの取り方が変わってくるという。固定報酬であれば、天候不良であっても小作農は食いっぱぐれず、リスクが少ない。その分、地主がリスクを 負っていることになる。

 この理屈は、企業についても同じらしい。年功序列賃金では、会社が業績変動のリスクを負っていた。けれども、成果主義の導入によって、業績が賃金 に反映できるようになり、会社のリスク負担が下がる分、従業員がリスクを負うことになった。過激な成果主義を導入すれば、業績が悪化したときに社員は暮ら していけなくなるかもしれない。成果主義によってやる気が高まる側面はあるが、負うリスクが過大になると、雇用者のモラル・ダウンが起こるという。

 阿部氏によると、近年のアメリカの研究では、成績を数値化しやすい営業職でも、成果主義導入は難しいという結果が出ているのだそうだ。売り上げな どの客観的指標だけにもとづいて成果主義を導入した企業はうまくいっていないという。営業マンが目先の利益を追って無理に売れば、顧客の満足度が下がり、 会社は、結局、顧客を失うことになる。阿部氏は、人事制度のなかでも成果主義は、「一歩間違うと会社の経営を成り立たなくさせるような問題をはらんでい る」と警告している。従業員がどれぐらいリスクを負えるかなども十分調べて、導入してからもしょっちゅうチューニングを行なうといった配慮が必要だとい う。

●リスクを負った不安定社会の到来

 先の「変革期の勤労者意識」の調査では、会社の実態と従業員の意識がずれていることも指摘されている。
 73パーセントの企業が、できるだけ多くの従業員の長期安定雇用を維持したいと考えているのに対し、そう受け取っている社員は40パーセントしかいない。
 また、成果主義を実際には導入していない企業でも、半数近くの社員は、導入していると錯覚している。
 企業の人事制度の変化について社員はきわめて敏感で、意識が先に行ってしまっているわけだ。人事をめぐる変化は、実際以上に不安感を増大させているのだろう。

 こうした心理状況のなかでは、成果主義によって待遇が上がった「勝ち組」にしても、いつまでも業績を維持できるかどうか不安を持っているはずだ。 いまはよくても、いつ早期退職や賃金カットを迫られるかわからない。そうしたことを恐れて会社生活を送り続けるストレスはそうとうなもののはずだ。

「成果に見あわない年功序列の報酬で満足すべきだ」などといまさら主張しても、賛同する人はおそらくあまりいないだろう。しかし、成果主義的な発想を大幅に取り入れた企業社会が、「成熟した安定社会」とは正反対の方向に向かっていることは確かなのではないか。

     *

 独立行政法人 労働政策研究・研修機構の「成果主義と働くことの満足度」は、成果主義という人材マネジメントは、早期選抜、非正社員活用、教育訓練という施策と束になって実施されていることを指摘している。

関連サイト
●独立行政法人 労働政策研究・研修機構の労働政策研究報告書 「変革期の勤労者意識 ――『新時代のキャリアデザインと人材マネジメントの評価に関する調査』結果報告書」(PDFファイル)。
●阿部正浩・獨協大学経済学部助教授による報告「成果主義」成功のポイント―人事データによる成果主義の検証から―」(PDFファイル)。阿部氏の研究報告には数式も含まれているが、その理屈は誰でもわかる。

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.450)

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