ブログによって事件が解説されてしまう時代が本格的に始まった
ブログは、マスメディアによるものよりもおもしろく、
深い解説をしている。あらゆる専門家がそろっている
ブログの強みがライブドア事件でも発揮された
●予定調和のない解説
ネットで、新聞よりも早くタダでニュースが読めるようになって、「一次情報重視の新聞は先行きが厳しくなる。解説や論評、読み物に力を入れる必要があ
る」と言われた。ところが、ブログが普及するにつれ、その理屈も成り立たなくなってきた。その道の専門家のブログをたどれば、事件ごとにリアルタイムの専
門家の解説が読めてしまう。
とくにこんどのライブドア事件のように、高度な金融や法律の知識が必要とされる場合は、専門家のブログは絶大な威力を発揮する。どんなに能力のある
ジャーナリストでも、専門知識に関しては彼らにかなわない。しかも日々現場でその問題と格闘しているだけに、当事者ならではの迫力のある意見が言える強み
もある。
新聞は、そうした欠点を補うために、専門家に寄稿を頼んできた。しかし、紙面の制約はあるし、同じ専門家が毎日書くわけでもない。時々刻々進展する事件の進行はフォローできない。あくまでも記事の補強という位置づけだろう。
テレビの場合は、こうした事件が起きると、ライブドアにもともと批判的な専門家ばかりが呼ばれるようになる。それでは、意見がモノトーンになることは避
けられない。いまではすっかりマンネリ化してしまったけれど、深夜の討論番組「朝まで生テレビ」がおもしろかったのは、ともかく相反する考えの人を呼ん
で、時間の制約が少ない状況で議論させたからだった。
まあ、新聞でもテレビでも、ふつう頼む側は、「こういうことを言ってくれそうな人」と選択して頼むわけで、見当もつかないことを言いそうな人に頼むことは稀れだ。テレビ局や新聞社の思想傾向にあった人を、予定調和的に登場させる場合が多い。
●マスメディアとブログ
マスメディアが持っている数ある制約の中でとりわけ大きいのは時間の問題だ。大事件が起きたとき、メディアは、「よくわからないからいま報道しません」などというわけにはいかないし、視聴者もそんなことを望んではいない。ともかく伝えてほしい、と思っているはずだ。
ほんとうのところ、ブログも、「時間の制約のなかで書く」という要素が、これまでのウェブサイトに比べてずっと強い。あるテーマについて瞬間風速的に多
くのブログが取り上げ、あっというまに次の話題に移っていく。事件のニュースの消費速度が速くなっていることが、ブログによって確かめられるとともに、ブ
ログによって助長されてもいると思う。
時間的な制約があることは従来のマスメディアもネットも同じだけれど、ただ違うのは、ブログの場合は情報発信者が格段に多いということだ。多い分だけ多様な意見が交わされる可能性がある。
実際そうなっていればブログはマスメディアより健全といえるし、その逆に、多くの書き手があっというまにある方向に誘導されて同じ論調になるようでは、マスメディアと同じ、ということになる。
ブログの急速な普及と並行して繰り広げられた、プロ野球参入に始まるホリエモンの数々の騒動は、これまでもブログに話題を提供し続けてきたが、こんどのライブドアの事件ではとくに、専門家のブログは、興味深い意見の対立や多様性を示していた。
ここ何回かたどって書いてきたように、公認会計士たちは、ライブドアの会計の不透明さを指摘し、「会計というのは会社の状態を正確に反映させるものなの
だから、それを怠ったライブドアの責任は大きい」と言い、一方、弁護士たちは、「”グレーゾーン”では犯罪に問えない。犯罪に問えるのは、“クロ”の場合
だけ」と主張する。それぞれの世界のルールをもとにした意見の違いが、事件を立体的に浮かび上がらせていた。こうした意見の相違は、そのまま裁判の争点に
もなっていくのだろう。
●「説明責任」を意識し始めた検察
さらにこんどの事件で興味深いのは、ライブドア幹部を逮捕した検察も、陰に陽にこうした論戦に加わっているように思えることだ。こんどの事件を指揮して
いる東京地検の特捜部長は、「グレーゾーンでは罪に問えない」という弁護士たちの声にあらかじめ反論するかのように、「利益を貪ろうという人たちは摘発さ
れないように巧妙な仕組みを作っているのですから、多少の困難を前にして捜査をあきらめたのでは彼らの思うつぼ」で、法令の趣旨からは違法だろうが、判例
がない、いわばグレーゾーンの問題についても摘発を躊躇してはならないと、すでに紹介したように法務省のサイトで言っていた。
また、こんどの摘発は、ライブドアという上場会社の存続を一挙に危うくし、東証のシステムを止め、世界中の株価を大きく下げた。「このような逮捕劇を
やった以上、検察には説明責任があるのではないか」と弁護士たちがブログで主張しているのをまるで意識しているかのように、検察は、こんどの事件にかぎっ
て異例の情報発信をやっている。
東京地検の次席検事は、起訴にあたって、証券取引の不正によってライブドアグループが急成長を遂げたことを明らかにする一端がこんどの起訴で、さらに徹
底的に捜査すると、異例の声明を出している。また、自民党幹事長の息子への資金送付を堀江氏がメールで指示したという疑惑を民主党が提起すると、すかさず
「そうしたメールについて把握していない」と異例のコメントを出す、といった対応をしている。
●「ライブドアは見せしめ」で悪いか?
多忙をきわめている特捜検察は、まさか弁護士たちのブログを見ているわけではないだろうが、同じ法律の世界で生きている人間として、共通する発想はして
いるのかもしれない。実際、弁護士のブログ、とくに検事を辞めて弁護士になった、いわゆる「ヤメ検」弁護士のブログからは検察の発想が明かされていて、と
ても興味深い。
ライブドアの検挙は一罰百戒、つまり「見せしめ」をねらったものではないかという批判に対して、『元検弁護士のつぶやき』というブログはこう書いている。
「経済事犯において『一罰百戒』は重要なことです。脱税事件の摘発などはその典型です。たしかに他にもライブドアと似たようなこ とをやっている会社はたくさんあると思います。しかし、検察の人的資源には限りがありますから、それらを全部摘発することは物理的に不可能です。つまり必 然的に『一罰百戒』にならざるを得ません。ならば『一罰百戒』になるような摘発はすべきでないのか、ということになりますが、すべきでないとすると、全部 といわないまでも同種事案を多数摘発するか全く摘発しないかのどちらかということになります。前者が不可能なことは既に述べました。後者であるべきという ことになりますと、脱税事件の摘発もすべきでないことになります。それではまじめに納税している人は納得できません。みんな脱税することになります。つま り『一罰百戒』は必要なのです」。
なるほど、「一社だけ摘発すればいい」というのでは困るし、恣意的な摘発でもいけないが、「同様な違法行為をしている多数の会社の中で『一罰百戒』効果が大きい会社を選ぶべき」で、上場会社であるライブドアはその要件を「十分すぎるほど」満たしているという。
一罰百戒とか見せしめというと聞こえは悪いが、検察には、どのように効果的かつ合理的な「見せしめ」をやるかということについてのはっきりとした考えがあるわけだ。
こうした「一罰百戒の論理」は、検察にとっては、これまでも取ってきた当たり前のものなのかもしれない。しかし、こんどの事件は、検察にとってやはり特別なものなのではないか。
もうそろそろこの話題は終わりにしようと思っていたのだけれど、ちょうどこの原稿を書き上げたときになって、ネットで思いがけない人がそれについてきわめて興味深いことを言っているのを見つけてしまった。次回はそれを紹介することにしよう。
*
ブログは事件の解説にうってつけだが、それを発見する方法はまだあまりに未開拓だ。いまの検索でそうしたブログを見つけるまでにはかなりの時間がかかる。この点は従来のメディアに劣る。IT業界的に言えば、そこにビジネスの種がある、ということになるのかもしれない。
関連サイト
●検察出身の弁護士のブログ『元検弁護士のつぶやき』。
「一罰百戒は必要」と書く一方で、法に触れなければ何をしてもいいという風潮を正す意図で検察がライブドアを摘発したとするならば、「これはとても変」
で、「法に触れなければ摘発できない」と書いている。また、ライブドアが電子メールを消去したのであれば、それによって疑惑を招くリスクよりも残しておく
リスクのほうが大きいと判断したわけで、違法性を認識していたことになる、と元検事らしい指摘をしていて興味深い。
●『弁護士阪口徳雄の自由発言』。昨年の総選挙の時期に、ホリエモンが、自民党関係者に3000万円の金銭振り込みを指示したものだと、民主党議員が謎のメールを持ち出し、大騒ぎになっているが、国政調査権を発動するより前に、ライブドアは社内調査をして事実関係を明らかにすべきだ、といち早く指摘していた。実際、ライブドアの平松社長はその後、ライブドアがそうした送金をしたという報告は受けていない、と発表している。
●堀江氏は容疑を認めていないが、ほかのライブドア幹部は認めているようだ。『福岡若手弁護士のblog』は、否認中の容疑者は、否認しているから具体的な反論ができず、自白した共犯者に責任をなすりつけられて重く罰せられるおそれがあると指摘している。「ホリエモン1人が否認しても無罪の獲得はおろか、彼のみ刑罰が重くなる危険が高い」のだそうだ。
(週刊アスキー「仮想報道」Vol.424)
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» ライブドア事件のまとめ [貞子ちゃんの連れ連れ日記]
最後に『ライブドア事件』について 良くまとまっているブログを紹介。公認会計士と弁護士の立場から見たら ライブドアは限りなくグレーゾーン(推定無罪)であった話が良くまとまっている。
歌田氏の地球村の事件簿のこことここ
この二つのブログ記事だけで ほとんど ライブドア事件は総括できるのですけど。
ただ 恐る恐る一言ツケ食わせさせていただきますなら ライブドアが『見せしめ(スケープゴート)』になってしまったのは ライブドア証券が顧客情報管理を徹底しなかったがために いつのまにかマネー・ロ●ダリング機関... [続きを読む]
>ブログは、マスメディアによるものよりもおもしろく、深い解説をしている。あらゆる専門家がそろっている。
勿論、その意見には納得するし、反論しないのだけれど、それはマスメディアの不備を補完するという意味しかもたない。
ブログの画期的な点は、いままで情報の受け手だった人が意見や感想を述べることだと思う。
専門家はある意味、職業観の囚われ人であり、利害関係者でもある。そういう言説が新たな立場の擁護である場合もないとはいえない。
インターネットが起こしている現実は、西洋近代精神の萌芽期とよく似ている。ならば、拍手をもって迎えられるべきは、「自由なる精神」に、他ならない。
…なんて、思うんだけど、どんなもんでしょうか。
投稿: sponta | 2006.03.07 18:05