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2004.07.02

誰もが芸術のパトロンに――インターネットで社会は変わるか?(2番目に書いたもの──本のモデル)

●社会の変化とわれわれの意識

 私に与えられたもともとのテーマは、「インターネットで人間の意識は変わるか」というものだった。

 『インターネットは未来を変えるか?』とか『本の未来はどうなるか』といった本を出しているので、本誌の編集の方が、「それでは」と考えられたのだろう。たしかにインターネットによって人間の意識は変わっているようでもあり、また変わっていないようでもある。目下、脳科学者の茂木健一郎さんにインタヴューして6月末に出す『脳のなかの小さな神々』という本の作業をしているが、茂木さんの話によれば、脳の基本的な構造は人間以前の生物と変わっていないところが多いそうである。たとえば、言語などといういかにも人間にしかないように思われる能力についても、そのもとになる中枢神経の働きは昆虫などにも見られ、以前からあるそうした働きの上に成立したという説もあるそうだ。こうした見方にしたがえば、脳の構造に支えられている意識はなかなか変わらないことになる。
 もっとも、脳の基本的な枠組みは変化しにくいとしても、その脳に浮かぶさまざまな思いはつねに変化し続けているわけだし、社会がわれわれに与えている意識の枠組みも変わっている。社会が変化してわれわれの意識が変わるということもあるだろうし、またわれわれの意識が変わらなければ変わらない社会制度もある。これから書こうとしているのは、このどちらについても言えることである。というよりも、あらかじめがっかりするような結論を言ってしまえば(いちばんがっかりしているのは、あれこれ考えをめぐらせている私だが)、どちらも変わりそうにないので実現の見こみはほとんどない。空想的とも言えるし、机上のプランにすぎないとも言える。それでも、やはり書いておこうと思うし、これから先ももう少し考えてできれば本にまとめられるぐらいの状態にまで持っていきたいと思っているのは、こうした考え方の中に、インターネット時代にふさわしい著作物の扱われ方の雛形があるような気がするからだ。

●本が証券になる?

 前置きが長くなったが、この発想の源にあるのは、次のようなことだ。
 インターネット、とくにウェッブは情報の共有を可能にしたと言われる。たしかにウェッブには、以前は考えられなかったぐらいの情報があり、簡単に手に入れることができる。とはいえ、障碍もまた多い。たとえば著作権もそのひとつだ。著作権を持っている人間は、その作品をどのような条件で見せるか、また再利用や編集にあたってどうするかを決められる。情報の自由な利用のためには障碍ではあるけれど、だからといって「著作権なんてなくしちゃえ」という話にはもちろんならない。法律の問題以前に、創作者が(金銭的)見返りを得られなければ創作活動が促進されなくなる心配があるからだ。テキストや映像、音楽を作っている人の多くはお金儲け(だけ)が目的というわけではなくて、創作することが好きで、できれば多くの人に見てもらいたいと思っているはずだ。ただ、生活できなくなってしまったら困る、人々に喜びを与えたぶんだけの見返りはほしい、と考える。ではもし見返りを得られて、誰にでも作品を見てもらうことができたら?
 そんなことはありえない、というのが常識的な考えだろう。しかし、そうした方法はありうるのではないかとこのところ考え始めた。そして、あれこれ考えているうちに、そこにはたんに、「創作者が経済的見返りを得られて作品をただで見せられる」以上の大きな社会的メリットがあることに気がついた。
 本はお金を払って、購入する。払ってしまえば、そのお金は戻ってこない。これは誰しも当たり前のことだと思っているが、じつは払ったお金の何倍にもなって戻ってくることはありうるのだ。
 ますますウソっぽい話になってきたと思われるかもしれない。でも、投資というのはじつはそうだ。たとえば株券を買うことを考えよう(あまりにリスクが高くて投資とは言えないらしいが、馬券を買うのでもいい)。株券や馬券は買ったら戻ってはこないとはふつう考えない。(馬券の場合は考えたくないわけだが、)増えて戻ってくると信じて買う。
 本の場合と、株券や馬券の場合はどこが違うのか。違いは、それが代金か投資かということにある。お金の払い手にとってどちらがいいかと言えば、それは決まっている。将来何倍にもなって返ってくるほうだ。‥‥「いや待ってくれ、自分がほしいのは本であって、証券や馬券ではない」と思うかもしれない。では、本を証券にしてしまったら?

 もう少し順序だてて説明しよう。本の発行部数を決めておく。最初はそれほどでもなかったが、作家に人気が出て、欲しい人が多くなってくるとする。でも、本はもうそれ以上は刷らない決まりだ。そうするとどうなるか。本の値段は高くなる。いまでも古書市場ではそうなっているが、買い手が限られているから、値上がりの仕方はそれ相応のものにしかならないし、値上がりするものも限られる。古書店は、実際に買うお客さんが(そのうち)見つかるというものしか買わないわけだ。つまり、値上がりするものも限られているし、値上がりの仕方も限られているから、値上がり期待で買う人も少ない。まあそういう循環論法になっているわけだ。ところが、もしこの前提が崩れて参入者が多くなり、値上がり期待で売買が行なわれるようになったら? そのときは、かなりの値上がりをするだろうし、本を読みたいわけではないけれど、値上がり期待で買いたいという人も出てくるだろう。そういう人にも売れるように、「本を買う権利」を証券化する。つまり「この証券がないと、本は買えない」というルールにしてしまう。
 といっても難しく考える必要はない。本を読みたい人はふつうに書店で本を買えばいい。ただ、そのときに「証券」と書かれた紙が付いてくる。その本の人気がそれほど出なかった場合には忘れてしまってもいい。本を買って楽しんだ。同じお金でこれまでと同じことができるわけで損はない。ただ、もしその作家が人気が出て、本が売り切れてしまい、さらにその本を欲しい人がいたら? ふつうは増刷するわけだが、先ほど書いたように、証券がないと本は買えない。ネットでその本を買いたい人の希望を募る。希望者は、希望するだけでなく、信用できる第三者機関に証券の購入代金を供託しておかなくてはならない。その本の作家、もしくは代理人(あるいはそういうことを生業にする業者)は希望者が一定数を超えた場合には、証券を分割すると宣言する。どういうことかというと、証券一枚が二枚分の価値を持つようにするということだ。つまり本が二冊買える。といっても同じ本を二冊もいらないから、一冊分の権利は売りに出す。最初に買った人は本を一冊買ってもう一冊分の権利を売ったのだから、ただで本が手に入ったことになる。さらに分割が行なわれれば利益が出る。作家本人も自分の本の証券を相当数持っておき、次に増刷されるまでに本を欲しい人が出てきたときには、少しずつ売っていってもいい。
 もちろん、買った本の証券が分割されていないかどうかなどをいちいちチェックするのは厄介だから、バーコードか何かをピッとやると自動登録されて、あとは分割されて自分の余剰の証券が売れたときにはそのたびにネット越しに情報をやりとりして自動的に自分の口座に振り込まれるなどの仕組みは必要だろう。証券もデジタルで、実際は紙の証券をやりとりせずにすます必要がある。オンラインで一般の人々が不要な本を売ったりすることはすでに始まっているし、オークションのサイトもある。突飛な話のようだが、インターネットで簡単に情報が処理できるようになれば、実際のところ、本(証券)の購入者にとってはそれほど厄介でなく、やりとりができるのではないか(こうしたデジタル証券方式が一般化すれば、知らないうちにお金が増えている、ということだってありうる)。

●代価か、それとも投資か

 本の購入について、実際にこういう方法が導入されたという話は聞いたことがないが、ここ何年か、投資を募って出版物を作ったり劇場公演をしたり音楽CDを作るという会社はいくつも出てきた。こうした会社を立ち上げたのは金融関係の出身者が多いようで、出版社の場合も、本の世界の人々とは使う用語も異なり、私自身、正直なところうさんくさい気持ちがしていた。そもそも企画書だけで出資しようという人の気が知れない。私も編集者をしていたし、自分でも本を書いたりしているので企画書を書くことは(たまに)あるが、なかなかその通りにできあがらない。そもそも概要は同じでもどう書くかによって、本の出来映えはまったく違う。たとえば、村上春樹と素人が同じあらすじをもとに本を書いたら、当然ながら出来映えはまったく違う(ほかのビジネスについても同じことが言えるのかもしれないが)。
 投資を募っている出版社の実態を私はよく知らないが、結局のところ、出資しようという人は、その本を出したい作家本人かその家族ぐらいなのではないか。だとすれば、これは出版の世界でもよく知られている形態、つまり自費出版である。ただし、違いは、自費出版の場合は払った費用が戻ってはこないのにたいし、ファンドの場合は、もし売れればそのぶん儲かるということだろう。
 通常何かの代価としてお金を払った場合、そのお金は戻ってこない。われわれはそれを当たり前のことのように思って暮らしているが、かならずしも当たり前ではないということをこうした形態の出版は明かしている。代価ではなく、投資として支払いができるものがあるわけだ。それは、将来、価値が上がりうるものでなくてはならない。会社というのも言うまでもなくそのひとつだし、創作者(あるいは創作物)の価値というのもそうだ。有望な会社の上場前の株を買っておけば大儲けできるといわれるが、創作者についても同じような制度がありうるのではないか(投資ということに偏見のある人も、払い捨てよりは戻ってくる可能性のあるほうがいいとは思うのではないか)。
 投資を募って出版物を作るシステムは、投資する人がきわめて限られるように思われるが、それは多くの場合、できたものを想像できるのが作家本人ぐらいだからだ。すでに名前の売れたベストセラー作家ならともかく、新人ではまずお金が集まらない。では、書き上げたものを読んでから投資するのだったら?

●新人がデビューしやすいシステム

 じつは、私がほんとうに言いたいことはここから先だ。本を作って出すにはいうまでもなくお金がかかる。しかし、ワープロソフトで文章を書いて、ネットで発表するならお金はほとんどかからない。実際にそうしている人は数多くいる。でも、その人たちが対価を得られる可能性はほとんどない。たまたま目にする編集者がいて、本にしてくれることぐらいしかないだろう。実際にネットで書いたものが本になって成功した例はすでにいくつかあるが、なぜ少ないかと言えば、利益につながる読み手(つまり編集者)が少ないからだ。
 では、こうしたらどうだろう。
 ネットでテキスト(だけでなく、音楽でも映像でもなんでもいいが)を公開すると同時に、デジタル証券の買い手を募り、一定数を超えたら発行する(証券の価格と発行数はとりあえず本のコストがまかなえるぐらいの設定だろう)。
 証券の販売や購入というとなんだかおおごとだが、要するに、その作家へのサポートの表明である。ひつじ書房という出版社の社長の松本功さんは「投げ銭システム」というのを提唱されていた。気に入った創作者に投げ銭をする。その場合、投げてしまったお金は戻ってこない。動機は創作者へのサポートということで同じでも、デジタル証券方式の場合は投資なので、何倍にもなって戻ってくる可能性がある。投資を募るためには多くの人に読んでもらう必要があるので、デジタルではコピーフリー、つまり自由にコピーして読んでもらっていいことにする。すでに名の売れた作家にとっては、(少なくとも当初は)あまりにリスクの大きい選択肢かもしれないが、お金をもらうよりもまず読んでもらいたい新人や、研究者などの書き手にとっては損にならない方法だろう。
 この方式の利点は、多くの人が有望な新人の発掘や宣伝に熱心になるということである。新人発掘のほうが利幅が大きい。本でも音楽でも映像でも、いまのシステムの問題点は、いったん売れるとますます宣伝され、口コミも加わってますますメジャーになり作品が売れるが、新人がデビューするのはむずかしい。しかし、このデジタル証券方式では、一般の人々が、たんに創作物の享受者であるばかりでなく、もっと積極的な評論家になり投資家になる。さらに、いったん購入すれば人気が出たほうが儲かるわけだから宣伝もするだろう。以前だったら個人が宣伝できる方法は限られていたが、いまは自分でホームページを作ったり、ウェッブ上の掲示板に書きこみをするなどインターネットを使えばいくらも方法はある。ともかく誰もがネットで自由にあれこれ読んだり聞いたり見たりして批評眼を高め、気に入ったら、サポートとしてわずかのお金を払い、その作家のアイテム(つまり本)をもらい、その本のいいところを熱心に語る。そして、そういうサポートが将来、大きなリターンになって戻ってくるかもしれないという仕組みである。10代の子どもたちから老人まであらゆる人が創作活動を支える重要な担い手となり、批評眼をみがき、芸術へのパトロンになる。そんなことも、インターネットの技術を使えばできなくはないし、誰もが情報の担い手になれるインターネット時代にふさわしいものだろう。
 新人にとってメリットがあると書いたが、すでにデビューした作家にとってもいまの時代、本を出し続けることは容易ではない。ある直木賞作家は、新人向けの文学賞を受賞したさいに、「『以前だったら受賞者の本は3冊まではともかく出したが、いまはとてもそんなには出せない』と編集者から宣告された」と言っていた。プロの書き手も、本を出してくれなければ話にならず、とはいえ、まったく見返りの当てがなくネットで公開してしまったら食べてはいけない。誰にでも無料で読んでもらえながら、将来お金になりうる方法がもしうまくいくようなら、かなり多くの書き手が参加する可能性はあると思う。
 もちろんこのアイデアはまだ完全ということからはほど遠い。「ネットでただで読めるようにしてしまったものについて、はたして本が売れるのか」ということはまず指摘される点だろう。このデジタル証券の価値の裏づけはアナログのもの、この場合で言えば本なのだから、そこに価値がないということになってしまえば成り立たなくなる。
 ネットでその本の電子書籍がただで読めるのであれば本はほんとうに売れないか。このこと自体、まだはっきり確かめられたわけではない。ネットで自由に読めれば宣伝になって、紙の本を買おうという人が逆に増えるのではないかという意見さえある。それもまた検証されていないことだと思うが、ともかく電子書籍がただで読めても紙の本に価値を持たせ続けられる方法というのはあるのではないか。たとえば、この4月に立ち上がったソニーの電子書籍は「レンタル制」で、2か月経つと読めなくなる。この仕組みについては私は不満を感じ、そうしたことを書いた(「出版ニュース」4月下旬号)。しかし、「有料レンタル制」ではなしに「無料レンタル制」、つまりプロモーション期間は無料で読めるが、それを過ぎると読めなくなるといったふうにする手はあるだろう。手もとに置いておきたい人は紙の本を買わざるをえなくなる。またたとえば、電子書籍は書きこみができないなどの制約を加えておけば、仕事の資料として使う本などは線を引くなどの書きこみをしたいので、紙の本がほしくなるだろう。もちろんいわゆる愛書家と呼ばれる人やコレクターといった人種は、どんなに電子書籍が普及してもいるだろうし、この場合は言うまでもなく投資のために購入する人もいる。
 さらにデジタル証券の魅力を増すために、作家が、この証券の持ち主にだけ配る本を出すといった方法も考えられる。そのほか細かいことを並べれば、その作家のクラブに入って直接メールでやりとりできるとか(ただのファン・メールというより本をよりよくするために意見を言うことは重要だ)、作品の中に自分の名前を使ってもらえるなどということもあるかもしれない。
 本について書いてきたが、たとえば音楽だったら、デジタル証券の購入者しかコンサートへは行けないことにして、デジタル証券の価値を高めるという方法があるだろう。いずれにしても先に書いたように、デジタル証券の価値の裏づけは、デジタルの外の世界、つまりアナログでアクセスに限度があるものによって生み出す(そもそも物の価値が需要と供給の関係によって決まるという考え方は、アクセスに限度のあるアナログではありえても、無限に劣化しないコピーができるデジタルの世界には原理的には馴染まないもののように思われる)。

●芸術が経済の柱となる日

 最初に書いたように、デジタルの著作物をコピーし流通させるインターネットというものすごいシステムができたものの、われわれはそれを十分に活かすことはできない。インターネットの技術のために世の中があるわけではないのだから、多少の制約は我慢してもらわなければならない、というのはたしかにひとつの意見だろう。しかし、既成のシステムを存続させるために、われわれの前に開けるかもしれない可能性を閉ざしてしまうのは理不尽だという考え方もありうる。著作権法は、著作物の保護とともに文化の発展に寄与することを目的としていると謳っている。著作者がその見返りを得ながら自由に作品を見聞きさせることができ、子どもから老人までがそうした活動を容易にサポートし、新人作家・新人アーティストがデビューしやすくなるというのは理想的な状況と言うべきだろう。
 もとより私にはビジネスの才能はないし、証券の実務などの知識はいよいよない。ただ、こうした仕組みができたときには、創作とか音楽、映像が社会のなかでいまよりも重要なものになり、経済活動を支える大きな柱になっていくだろうということは感じられる。古代ギリシアでは、市民階級はもっぱらアートや思索などの活動に従事していたそうだ。古代ギリシアはつらい労働をになう奴隷の存在があって初めてこうしたことが成り立っていたわけだが、インターネットによってわれわれの意識が変われば、奴隷なしでもわれわれは古代ギリシアの市民になれるかもしれない。

【付記】
* デジタル証券のアイデアは、ファイル交換ソフト「Winny」の作者による「デジタル証券によるコンテンツ流通システム」と題された文章から着想を得た。
** デジタルがコピーフリーになるのだったらデジタルにしないというのはもちろん自由だし、それもひとつの考え方だろう。ただし、ネット上ではなんでもただで読めてしまうわけだから、デジタル化しなければ、人に読まれるチャンスはかなり減る。新人のうちは、デジタル証券の形でデジタルを中心に活動し、売れてきたら、紙の本中心に移行するという考え方もあるかもしれない。ともかく、ネットでは、ただちに利益をあげることではなく、多くの人に知ってもらい、デジタル証券の購入につなげるための一種の宣伝媒体と考える、というのは現在でも通用するネットについての考え方だと思う。

(「草思」2004年7月号掲載)

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