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2004.07.09

ひとはどうしてお金を払うのか

宝くじの当選確率はみな同じなのに妙にこだわるのは
なぜなのか。「人間という謎」を説くカギを探している
最先端の脳科学者が繰り出す常識を覆す話の数々

●クオリア・ブランドとクオリア研究の関係

 今年の前半、茂木健一郎さんの話を聞いて本にまとめる作業をしていた。茂木さんは、クオリアの研究で知られる脳科学者である。

 しかし、本誌の読者にとってクオリアは、昨年6月から発売の始まったソニーの高級製品のブランド名がまず頭に浮かぶかもしれない。252万円のプロジェクターとか84万円のCDプレイヤーなど、びっくりするぐらい高い価格設定のブランドだ。あまりに高いせいか、いまグーグルで「クオリア」を検索したら、トップに出てくるのは茂木さんの「クオリア宣言」のページで、2番目はキャンペーン展開中の「クオリア」名のプロバイダ・サイト、3番目は茂木さんの日記ページ、4番目がようやくクオリア・ブランドのサイトという順番だった。グーグルのランク付けでは茂木さんのクオリアのほうが勝っているわけだが、もちろん両者は対立関係にあるわけではない。茂木さんはソニー・コンピューター・サイエンス研究所の研究者で、ブランド名も茂木さんの研究から名前をとられている。
 とはいえ、ソニー・トップの茂木さんについての認識は少なくともクオリア・ブランド開始当初はあまり高くなかったようだ。昨年、ソニーの出井会長の講演を聞いていたら、「茂木さんはうちの会社にもといた研究者で‥‥」みたいなことを言いはじめ、後ろから誰かに注意され、「あ、まだいるそうです」なんてやっていた。
 クオリアというのは、質感と訳されている。ものを見たり感じたりするときの感覚で、そうした質感が脳のなかでどのようにして生まれるかというのが、茂木さんの研究である。クオリアのこの定義でもわかるように、クオリアは快適な質感だけでなく、当然ながら気持ちの悪い質感もある。たとえば「お化けを見たときのぞっとする感覚」なんていうのも質感のわけだが、ソニーのブランド名になっているクオリアは、快適な質感だけを言っているようだ。クオリア・ブランドを立ち上げた出井会長も、あちこちでそんなふうに語っている。
 というわけで、茂木さんが研究しているクオリアとソニーの新ブランド「クオリア」は少し別ものだと思っていた。インタビューをはじめるまえに茂木さんの本はすべて目を通したのだけれど、不覚なことにソニーのクオリア・サイトは見なかったのか、この原稿を書くためにアクセスしてみて驚いた。
 高価なブランドのサイトらしくフラッシュを使った凝ったページになっていて、「未知のクオリアにたいする欲求」「意識という謎を解く大きなカギ」などなど茂木さんのエッセイからの引用が次々と現われる。クオリア・ブランドはすっかり茂木さんのサイトになっている。本も出てしまったいまとなっては完全に手遅れだけれど、あわてて読んでみた。
 サイトに掲載されている出井会長と茂木さんの対談を読んで、出井さんがなぜ「もといた研究員」などと言ったのかわかった。出井さんは、自分の対談が載っている週刊誌のなかで、偶然、クオリアについて茂木さんがしゃべっているのを見つけたらしい。そして「おもしろい」と思い、「これがソニーの進む道」とブランドを立ち上げたのだそうだ。自社の研究員というよりも雑誌の対談者としての認識だったから、「もといた研究員」になってしまったのだろう。
 それはともかく、この出井さんとの対談でも、茂木さんは、こんどの本にかかわる興味深いやりとりをしている。出井さんが、「ソニーというビジネスをしていて、人は必ずしも経済的合理性だけで行動しているわけではないと常々感じていたんだ」と言ったのに対し、茂木さんはこう答えている。「なぜ有名ブランドのバッグを女性は高いお金を払ってまで買うのか、というようなことを経済の合理性から説明するのはとても難しい」、しかし「人間の脳の合理性から説明するとあたり前」と言っている。こんどの本のなかでは、こうした話も重要なトピックスのひとつになっている。つまり、ひとはどうしてお金を払うのか。

●感情というリスク分散装置

 茂木さんは、脳の働きから経済行動を解き明かそうと、神経経済学と名づけた新しい学問分野を準備している。人がお金を払うのは経済的合理性からだけではない。宝くじで買う場所や番号にこだわったりするのもそうで、感情の働きが大きい。もうちょっと神経経済学っぽくいえば、神経物質を排出し快感を得られるからものを買う。こうした仕組みは、人類の進化の秘密と関係しているというのが茂木さんの見立てである。
 リスク分散というのは、株だとか不動産だとか種類のちがうものに投資してリスクを分散させる投資の知恵だが、人間は感情に左右されて行動することで、リスク分散をしているのだそうだ。ある人は極彩色のアロハを買うことで快感を得るが、別のひとはスーツのラインにこだわったりする。お金がないのに高価なブランドを買うことに喜びを感じる人もいるし、少しでも安く買うことに情熱を燃やす人もいる。感情の働きによって同じ人でもしょっちゅう違う行動をとるし、人によっても行動様式は異なる。みんなが同じ行動をし、それが間違いだったら人類は絶滅の危機に陥るが、感情のフィルターを通すことで行動を分散させ、人類は種としてのリスク管理をしているわけだ。
 そうした話を聞いて、「ふーん、なるほど」と感心してしまった。宣伝っぽくて申し訳ないけど、茂木さんにインタビューした本『脳のなかの小さな神々』には、そうした目を見開かれるような話が次々と出てくる。
 たとえば、われわれはふつうアナログな感覚で外界を見ていると思っている。黒か白か、右か左かなどといったきれいに分かれる判断をすることはまれで、だらだらと切れ目なくものを見、考えているように思っている。われわれがいるのはパソコンのようなデジタルの世界ではない、と思っているわけだ。ところが、(茂木さんに言われてみれば当たり前のことだけど)脳は0と1のデジタルな信号で情報を運んでいる。脳にとってはデジタルのほうがふつうなわけだ。むしろどうやってアナログが出てくるかが問題だと言う。
 その一方、脳はデジタルで情報処理しているくせに、同じか違うかというデジタルな判断をするためには膨大なリソースを使っているのだそうだ。「同じか違うかという判断をしているときはほかのことができないでしょ?」と言われてみると、なるほどそうだ。脳はアナログな質感を感じるのは意外に簡単にできるけど、デジタルに落とすためにはたいへんな認知能力を必要としているらしい。
 ‥‥などという話もおもしろかったし、あるいはまた、人間はどうしてゾンビでないのか、という指摘にも意表を突かれた。人間に意識があるのは当たり前だと思っているが、神経細胞の発火などの中枢部分も含めて、人間の物理的な振る舞いの説明には意識の存在はとくに必要ない。これまでの自然科学の研究対象としての人間は意識がない存在、つまりゾンビでもまったくかまわなかった。神経細胞の発火など物質の振る舞いだけで人間を説明しようとすると、意識が生まれる必然性がないのだ。なのに、人間はどうして意識というようなものを持ったのだろう? そんな話を聞いているうちに、たしかにわれわれがゾンビでなく意識があるほうが不思議な気がしてきた。
 クオリアといったものがそうした謎を解くカギになるというのが茂木さんのスタンスだが、こう言っては何だけど、はじめるまえに思い浮かべていたより、ずっとおもしろいインタビューだった。簡単に読める本で1600円は高いんじゃないかと思うかもしれないが、次々と出会う科学の最先端のおもしろい話を読めば損したとは思わないはず、とお勧めしておこう。

関連サイト
茂木健一郎「クオリア宣言」のサイト
●茂木さんのエッセイなどで構成されているソニーの「クオリア・ブランド」のサイト。インナー・イヤー・レシーバーは7月1日に発売された新製品。税込みで21000円で、手の届くQUALIA製品?
『脳のなかの小さな神々』(柏書房)。脳には赤や丸に反応する神経細胞があるが、さまざまな部分の脳が連携して働くためには神経細胞の動きを見て監督している存在が必要だ。つまり脳のなかにはすべてを見張る「神々」がいるはず、というのがタイトルの由来。
脳の研究というと、脳を切り開いたり電極を挿したりばかりやっているようになんとなく思っていたけれど、茂木さんのやっているような意識とかに関わる研究は脳の構造だけを見ていてはダメで、広範な分野の最前線でどんな発見があるか、つねに情報を収集していなければならないようだ。クオリアや意識といった茂木さんの本筋の話も興味深かったが、関連分野の話もおもしろかった。

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コメント

はじめまして。
ちょっと古いですし、
あまり関係のない話で恐縮ですが。。

>茂木さんは、脳の働きから経済行動を解き明かそ>うと、神経経済学と名づけた新しい学問分野を準>備している

神経経済学は、すでに去年あたりから海外で立ち上がってる分野みたいですよ。

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