« 誰が何のために電子書籍を読むのか? | トップページ | 多数派でいることがメディア社会を生きる道? »

2004.06.02

踊る世論と「メディアの死」

激しい振幅で変化する世論のなかで、
着実に「メディアの死」がはじまっている。
メディア社会はいったいどこへ行く?

●老練な戦場ジャーナリストの死

 5月になって日本のメディアによるなまなましいイラク・レポートがめっきり減ったと思っていたら、痛ましいニュースが入ってきた。30年以上のキャリアを持つ戦場ジャーナリスト橋田信介さんらが銃撃を受けて殺された。彼らにたいする襲撃は、はっきりと殺意のあるものだったようだ。

 人質事件のときに掲示板などで、「捕まれば国賊だが、死ねばヒーローだ」と書いていた人たちがいたが、橋田さんたちの殺害は、まさにそれを地で行く展開になった。メディアで尊敬する人が多かった橋田さんは、死んでヒーローのあつかいだった。とはいえ、ヒーローになるか国賊になるかは紙一重の差だろう。人質事件のとき、橋田さんは、「人質になったジャーナリストの判断は甘かったんじゃないか」と批判の言葉も口にしていたが、そう言っていた本人が殺されてしまった。経験豊富な橋田さんでさえ「判断が甘かった」ことになる。人質になる可能性だってもちろんあったわけだ。
 このところイラクについての日本のメディアのレポートはあっても短いものが多かった。外務省は、「安全のため」ということでイラクにいる邦人数を明らかにしないそうだが、朝日新聞が伝えるところでは、イラクにいる記者は10人程度らしい。4月の人質事件までは、70人ほどいたと言われているから、この事件をきっかけに大幅に減ったことになる。数が減ったばかりではない。現地にいる記者の大半はバグダッド市内のホテルに留まり、安全地域外への移動をともなう取材は、イラク人の助手などがおもに行なっているようだ。移動して取材していたのは殺された橋田さんたちぐらいだったのではないかと言う人もいる。
 イラクにいる日本人ジャーナリストが減ったのは、もちろん治安が悪化したからだろう。しかし、それ以外の理由もあるはずだ。4月の人質事件のころだって治安は十分に悪かった。ファルージャでは米軍と現地住民の悲惨な衝突が続いていたし、対米強硬派のサドル師シンパによる事件も頻発していた。それでもジャーナリストは70人もいたわけだ。それなのに人質事件のあと激減したのはなぜなのか、その理由は容易に想像できる。
 イラクで拘束されたフリージャーナリストたちには「判断が甘かった」という批判が集まった。その後、さらに捕まって犯行グループに自衛隊撤退を要求されたら、「さんざん判断が甘いと言われたのに、まだそんなことをしているジャーナリストたちがいるのか」という非難が沸き起こらないともかぎらない。いくら危険なところで取材するのがジャーナリストの使命だと言っても、そういう世論では自制する気持ちが働かないわけはない。イラクにいるジャーナリストたちは、命の危険だけでなく、日本の社会に白い目で見られかねないという二重のリスクまで背負ってしまったわけだ。
 とくに、「フリー記者の暴走」とか「危険無視のフリー記者」などと書き立てた某大新聞の記者たちはたいへんだろう。万一、拘束されて自衛隊撤退を要求されたりしたらいい笑いものになる。社としても、撤退させるか行動を大幅に制約するしかないはずだ。フリージャーナリストにたいして「無謀だ」と書き立てたメディアは、このように自分たちの首をも絞めてしまったことを理解しているのだろうか。
 誉められたくて取材をするわけではないにしても、命の危険を冒してイラクに残って罵倒されかねないというのでは、当然ながら志気は落ちる。イラクで拘束されたジャーナリストの安田純平さんは釈放後、父親に、「とにかく早く帰ってこい。一家存亡の危機だ」と言われたとある雑誌で笑い話のように語っていたが、笑いごとではなく、日本の社会はこうして「メディアの死」に向けて確実に大きな一歩を踏み出したように思われる。

●政府に迷惑をかけてはだめ

 ところで、マスコミ論の授業をしている大学で、学生たちに、読売新聞と朝日新聞の人質事件についての社説を読ませ、どちらの意見に賛成するかレポートを書かせてみた。マスコミ論の授業は昨年からやっていて毎回レポートを書かせているので計30回ほどになるが、この回ほどレポートの水準が高かったことはない。どちらの意見にしても言いたいことがいっぱいあったらしく、いずれもかつてないほど長文だった。借り物の意見らしいものもほとんどない。明らかにこの事件は彼らの心のどこかに響くものだったのだろう。社説を見比べたことがなかった学生も多いようで、「こんなに意見が違うとは」と驚きながらも、朝日新聞は個人の立場に立っていて、読売新聞は政府の立場に立って書いているなどとマトを突く分析をして自説を展開した。
 学生は200人近くいるのでちょっとした世論調査である。ふたつの社説の賛否は、読売派が102人、朝日派が70人、どちらともいえないが19人だった。
「読売は政府より」と分析しながら読売派の学生が多いのは、いまの学生の気質を表わしているかもしれない。「政府に迷惑をかけてはだめだ」という声が多いのだ。これには面食らった。「ただし、人質とその家族にたいするいやがらせには共感できない」と書き添えている学生も多く、よくもわるくも彼らは、「素直でいい人たち」なのだろう。政府の言うことを疑うよりもまず信頼し、人に迷惑をかけたり大声で要求するのを好まない。謙虚で奥ゆかしいのが好きというのは日本的美徳かもしれないが、一方で、批判精神がないということもまたはっきり言える。

●あっという間に非難の嵐

 学生たちのこうした傾向は、世間の反応と明らかに重なっている。5月22日、日朝首脳会談を終えて帰国した小泉首相に、拉致被害者家族会のメンバーが、「予想された中で最悪の結果」とか「首相にはプライドがあるのか」などと激しく非難した。それにたいし、「感謝がたりない」などと反発が起こり、電話やファックス、メールなど抗議の声が家族会に寄せられたという。実際、掲示板を覗いてみても、「3馬鹿家族以下」とか「マスコミは家族会を聖域化するな」「家族会は解散しろ」などと激しい書きこみがある。ついこのあいだまで世間の同情と共感を一身に集めていたのが嘘のようだ。拉致被害者家族会の意見によって核開発問題まで含めた北朝鮮への対応全般が左右されるようで、それでいいのかと思っていたが、そのときには何の反発もなかった。ところが、激しい言葉だけが編集されテレビに映ると、一挙に過剰な反応が起こる。この国のゆくえがほんとうにこわいものに感じられてきた。
 何よりもこわいのは、悪意ある人々の悪意ある行動ではなく、「ふつうの人々」の過剰な反応である。そして、マスメディアのほうは、そうした行動パターンにたいする懸念があるとはとても思えず、無邪気に激しいシーンだけを抜き取って執拗なまでに繰り返し流す。それに対して、世論がまた反応する。その循環がかつてないほど速く、あっというまに非難轟々になって、反発のメールやファクス、手紙が殺到する。世論も、学生たちとまったく同じくとても単純で、そのときのメディアの流す情報によって反応がたちまち一変する。さらにその反応を見て、マスメディアが意識的というより無意識のうちにそうした世論に迎合し、それを助長したり、たとえ疑問に思っていたとしてもそのトーンを下げてしまう。何ともすさまじい世の中になってきた。他人が何をどう考えて行動しているのか想像することもなく、一時の感情にまかせてあっという間に沸騰するメディア社会。この先いったいどこへ行き着くのだろうか。

     *

 読売と朝日の社説にたいする200人の学生の支持の割合は本文に書いたとおりだが、授業が進むにつれ、彼らの反応は驚くほど一変しはじめた。職業的な大学教師でもない身には毎回たくさんの受講生のレポートを読むのはたいへんだが、学生たちのこうした反応を見るのはおもしろい。次回は学生たちの変化なども紹介しながら、いまのメディア社会についてもう少し考えてみることにしよう。


関連サイト
●首相訪朝の成果の乏しさを批判した拉致被害者家族らに、「感謝がない」と批判が殺到した。その反応に驚いた家族会や救う会はサイトで、首相の労をねぎらう挨拶をしたと「ご批判に対して」と題した「家族会・救う会見解」を発表している。
●社説を読み比べるのだったら、産経新聞の社説ページがお勧め。ほかの新聞サイトの社説ページにリンクが貼ってある。ライバルの他社サイトに飛べるようにしたのは画期的だ。とはいえ、「リンクを張る場合は原則としてトップページ」という産経も含めた多くの新聞社サイトのポリシーはどうなったのだろうか。
●橋田さんたちの殺害事件を受けて、外務省の「海外安全ホームページ」には、あらためて強い調子の避難勧告が掲載された。さて、こうした退避勧告にもかかわらずイラクに行った橋田さんたちは「バカ」だったのか。

(『週刊アスキー』「仮想報道」Vol.340)

« 誰が何のために電子書籍を読むのか? | トップページ | 多数派でいることがメディア社会を生きる道? »

イラク邦人人質事件」カテゴリの記事

インターネット(社会)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/56597/2358015

この記事へのトラックバック一覧です: 踊る世論と「メディアの死」:

« 誰が何のために電子書籍を読むのか? | トップページ | 多数派でいることがメディア社会を生きる道? »

2014年8月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31